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血漿交換入院前日と痙攣に倒れた入院当日|MS?の記録 2020/03/24,25

闘病記録(入院記録)

みなさまおはようございます。お加減はいかがでしょうか。

わたしは眠いのに眠れていません。緊張かお昼寝のせいか笑

そして今日は痙攣のせい笑笑

今回は「スティッフパーソン症候群」をめぐるなんやかんやのお話です。

スティッフパーソン症候群とは

スティッフパーソン症候群。

実はTwitterをしていた頃にお話ししてくださった優しく聡明な方の中にお1人いらっしゃりました。

もっとよく話をしておけば良かったな、と思っても後の祭りですね。

その方曰く、100万人に1人希少難病

多発性硬化症は10万人に7.5人。
わたしは宝くじを買いたい気持ちでいっぱいです。真面目に。

体幹の筋肉から強ばって動かなくなっていく進行性中枢神経系自己免疫疾患です。

わたしの気持ち

実は一昨日、主治医からスティッフパーソン症候群ではないかと言われたときに

「ああ、そうか」

納得してしまいました。

首や下顎の痙攣というだけではなく、実は

  • 口が開きづらく喋りにくいし食べにくい
  • 背中が妙に強ばって整体に行こうか悩む

という日々を1人送っていたからです。

基本的にわたしは整体に行きません。←これ大事

自分から動かしてほぐしていかないと、揉み返しがあったりそもそも触られるのが痛かったりするからです。

他人にマッサージしてもらうのは、そのときは気持ちよくても結果的にまた強ばってしまってキリがありません。

なので「こる前に動かす」をモットーにしています。

今回は右腕が死んでいたのでそもそも動かせませんでしたが…
それでも大抵は自分でなんとかできます。
それができなかったんですよね。
マッサージしても動かしても、筋肉が剥がれるような痛みを伴うだけで一向にほぐれない
そんな中で「スティッフパーソン」と言われると、「それでか」と納得してしまって。
まだ決定ではありませんし、わたしの場合は四肢にもかなり影響が出ているので
スティッフパーソン症候群は腕や脚には大きくは影響しない、といわれている
まだまだ違う病気の説も濃厚ですが、わたし自身としては
MSより珍しいものを引いてしまった
のひと言に尽きました。
対処法が確立されておらず、検査の信頼度もそこまで高くないのも厄介です

家族(仮)の反応

ここではなんやかんやあった人々も血が繋がっている限りはまとめて「家族」とします
スティッフパーソン症候群というものは希少難病ゆえ親戚家族誰にも知っている人がおらず、主治医の話をその場で理解できたのは「病気自体を知っている」わたしだけとなりました。
そして主治医の滑舌の悪さ(笑)から病名すら聞き取れておらず、なぜかわたしが家で自分で説明することになりました
笑うしかなかった
わたしの説明は初心者向けで簡単すぎたので、自分で調べた人もちらほら…。
そして再びわたしの部屋(痙攣で叫ぶので隔離されている)へやってくると、
泣かれました。
「見る間に悪化していく」「数時間の強直」「麻痺で窒息」「悶え叫び声も出ず苦しむ」というわたしの姿を実際に見てカメラに収めているからなのでしょう。
しかし、
泣きたいのはわたしです。
ただでさえ多発性硬化症首から下が一切動かなくなって、
やっと動くようになったと思えばまた動かなくなって、
「病変がないから再発ではないかも」と言われながらステロイドパルスは効くので内服ステロイドも20mgから減らせないし、
こんな特異体質だからテクフィデラやアボネックスなどの典型的な「疾患修飾薬」:その病気に特に効く薬は使えないし、
痙攣も脱力も原因不明、「耐えろ」とはじめの病院で言われた通りただただ耐えてきた
それなのに今さら、違う病気の可能性があって、しかもこれまでとは比べ物にならないスピードで進んでいて、
今は指の感覚もおぼつかないまま、痙攣で徹夜続きの昼寝無し、体内の酸素濃度が低い状態が続き意識混濁で夜を明かして脳損傷が残ると言われ、
もうなんなの!?
叫びたいのはわたしなのに「どうして泣く家族を慰めて笑っているんだろう
どうしてわたしは
「まあ、希望は捨てないでいよう」
なんて涙ながらの浅~い言葉で、一見して慰めだけれど本当は「家族自身がわたしの病態を受け入れようとする努力の言葉」を聞かされているんだろう。
わたしは絶望していないぞ?
今まで多発性硬化症では説明のつかなかった症状に説明がついて新たな治療が試せるのなら、治験だろうが被検体だろうがなんだってやる。
入院2日目になってようやくこのページを仕上げられそうになり、
首にチューブを何度も失敗され、成功しても「入れられて痛いなあ」なんて思いながら痙攣を堪えて考えているのはこんなどうしようもないことです。

婚約者

実は今回入院するにあたり、一度は生死の境をさまよった治療をもう一度行うということで、遺書を書きました。

電話でもきちんと話しました。

死んでも愛してる
「眠たい」って言っても「起きろ」じゃなくて「一緒に寝る?」って言ってくれる人を見つけて幸せになるんだよ

婚約者へのメッセージです。

ただ彼は「はるちゃんじゃないと嫌だ」と言ってくれました。

それがとても、とても嬉しかった。
いつ入院しても困らないように、お気に入りだったボブの髪をショートにした。

いつ点滴や採血をしても血管を見つけられるように、常に毛を産毛まで剃ることにした。

いつ乾燥した唇が痙攣で開かなくなって息が止まらないように、常にリップを携帯して頻繁に塗るようになった。

綺麗に見せるためじゃなかった。

かわいく見せるためじゃなかった。

いつ入院してもいいように、玄関には入院セットが置かれるようになった。

いつ歩けなくなってもいいように、車椅子で移動するようになった。

いつ手が動かなくなってもいいように、音声入力を覚えた。

いつ声が出せなくなってもいいように、アイコンタクトを決めた。

いつ意識がなくなってもいいように、遺書を遺すことにした。

いつ死んでもいいように、わたしが生きた証を遺しておくことにした。

わたしは誰かの心に何かを与えられる「アーティスト」でありたかった。

手が思い通りにならなくて日記に遺せなかったから、こちらに遺しておきます。

わたしは、「わたしでないと嫌だ」と言ってくれる人に1人でも出逢えて幸せだ。

明日から治療が始まります。

ここで死ぬ気はありませんが、もし死んだとしてもわたしはきっと幸せだった。

ありがとう。

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