みなさまお加減はいかがでしょうか。
わたしは笑いあり苦痛の涙ありな1日でした。
血漿交換の説明は別ページにも載せているのですが、文字だけなのはわかりにくいかな〜と今回は首の写真も載せます。
これが血漿交換というものの現実です。
血漿交換
血漿とは、血の成分でも赤血球や白血球などの固体成分とそれ以外の液体成分のうち、液体成分の方を指します。
血漿交換とは、体から血液を抜いて、固体成分はそのまま戻し、液体成分を生理食塩水と血漿分画製剤と呼ばれる輸血から作られた血漿の中にあるはずの成分のごく一部を体に戻す治療法です。
なぜこんな遠回りな方法を取るかというと、多発性硬化症などの自己免疫疾患では血漿の中にある抗体が自分の細胞を攻撃してしまう誤作動を起こしているので、
- 誤作動する抗体を特定するのも難しいしいっそのこと抗体を全部体の外へ出そう!
- じゃあ何百とある抗体の種類を特定してひとつひとつ除去するより血漿ごと抜いた方が早いか!
- でもそれだけだと血が足らなくなるし液体じゃないと流れてくれないから水分も足しとこ(生理食塩水)!
- あと血液の濃度が薄すぎると血管の外へ出ていっちゃうからなんか入れとこ!(血漿分画製剤)
という安直な発想です。
わたしはFFPでアナフィラキシーショックを1度起こしているので、今日はアルブミンでした。
血の出し入れは鼠径静脈(脚の付け根)か内頸静脈(首)にチューブを刺し、そこから行います。
こんなやつ↓(線は酸素モニタ)
表面は麻酔するものの中は麻酔が効いていないので割と痛いです。
周りの皮膚がペロペロしていると感染症リスクが高くなるので、チューブを入れてから2針ほど縫います。
そして1枚めのようにチューブがピロピロした状態で2週間〜?の期間過ごします。
今日の記録
忘れがたき今日もたぶん明日になれば覚えていないので残しておきましょう。
血漿交換と痙攣
血漿交換ってチューブを機械に繋がれてまず生理食塩水を流し始めると「冷たい…」ってなるんですよね。
そこから血を抜き始めると「寒寒寒さむっ」って寒気がして追加の布団や電気毛布をもらって、終わる頃にはホカホカすぎて脱力するっていう
なかなかMSには難しい治療だなと思っています。
今日もスタートは毎度と同じくでしたが、終わり頃で
から数分会話をしていると胸がピタリと止まり、
と思ったので痙攣来そうと伝えた数秒後には喉がひゅっと閉まり呼吸困難、というか呼吸が数十秒停止
そこからは全身痙攣と約1分の呼吸停止と後の過呼吸を繰り返し
段々意識が朦朧としていきやたら肩を叩かれ
意識清明とは言えないものの微妙に有りと混迷を繰り返し
意識がはっきりした頃には
- 透析室ではない病棟のベッド
- 全面柵が立てられている上に柵に布団がまきまきされている
- 車椅子がない
- 心電図に繋がれている
- 左耳から酸素モニタに繋がれている
- 酸素マスクに繋がれている
- 右首からやたら血のついたチューブが出ている
- 頭痛い
という、
という状態になっていました笑
そして入院中の主治医がやってきて、
と謎の指示を受けました笑
入院初日にやらかした痙攣は今日よりもっと酷くほとんど意識が飛んでいたので、今日くらいのものなら耐えられます。
笑い事
入院初日に大痙攣を起こしたので、実はナースステーション前に部屋移動になりました。
その上心電図モニタはナースステーションで映像としてテレビ?に波形が映っている上に脈拍が鳴ります。
なのでわたしはこれを自分の脈拍を電子音で聞きながら右半身の痙攣と闘いつつ左手で書いています。
傑作だったのは、心電図モニタは服の内から、酸素モニタは服の外から同じ機械に繋がっていて、
着替えようと服を脱ぐとモニタが服を着てしまい、
とりあえず新しい服を着ようとすると首のチューブや耳のモニタが邪魔になり、
ひとり知恵の輪になっていたことです笑
どうでもいい事
ついでに義母が来ました。
「泣いてるんやろ⁉泣いてるんやろ⁉」とひと言め。
けっこう痛みとか痙攣で勝手に泣いているので、泣いてるんやろと言われても「いつ何の理由で」かを言ってもらわないと意味がわかりません。
と言われたときには
と返しました。
と、こんな感じで9時過ぎから始まった血漿交換も夕飯前には意識もそれなりに回復し、あとは意欲の回復を待つのみです。
これをアップするのがいつになるのかはわたしのやる気次第ですが、
おかげさまで1回目、生き残りました。
あと3回も頑張りたいと思います。
ただ一昨日の痙攣の筋肉痛が今来ているので、リハビリも無理せずやろうと思います。
みなさまに穏やかな日々と幸あれ。