みなさまお加減はいかがでしょうか。
心身ともにお元気であれば良いのですが。
さて、これは2020/04/06にわたしが精神神経科にて、退院して家へ戻されるにあたり心配だったことを相談した、その記録です。
2020/04/06
まずこの04/06は、血漿交換ラスト予定(4回目)前日でした。
全4回の血漿交換が終われば治療はない、すなわち退院かも?と聞いていたので、急遽どうしても家に戻る前に相談したいことがある、と先生にお願いした結果の精神神経科の救急受診です。
精神神経科
相談内容と背景
相談内容は、
この背景にはわたしの家庭事情と、わたしという人間の流されやすさがあります。
家庭事情
このサイトを昔からご覧になってくださっているみなさまはご存知でしょうが、
わたしは縁を切った母親「通称:義母」を含め親戚たちと同居しています。
そしてわたしは体温調節機能がほとんど病気でやられてしまったため、1人部屋に隔離されています。
ただこの「リビングの隣」という点がかなり厄介で、みんなの目に触れやすい場所だからこそ
- わたしがふすまを数センチ開ければ、あとの何十センチは誰かに開けられる
- 夜中は1人でトイレに行っているのに、誰かがいるとわたしが布団から起き上がることすら介助する
- 親戚の都合の良い日に元気で一緒に歩いて出かけることを強要される
- わたしの元気な日にわたしがしたいことをするのは許可されない(すぐにやめろと言われ道具などは取り上げられる)
- ふすまを開けると閉められ、部屋に閉じ込められる
これらはいくら断っても拒絶してもやみません。
ここまで過保護に義母や親戚を動かしているのはわたしへの罪悪感と後悔です。
- 8歳の頃から家族の母親役として小学生と家事係を兼任し、
- パキシルODで精神崩壊した父親からの負担を一身に浴び、
- 父の代わりに仕事に出始めた母(現義母)の相談にのり、
- 他の親戚の子たちには両親の悪影響がないよう配慮し、
- 口論が始まれば子どもたちを別部屋に隔離し、
- 罵詈雑言の間には耳を塞いであげて、
という罪悪感です。
発症と義母
わたしが多発性硬化症を発症したとき、義母は「わたしが負担かけてきたから」と反省し、毎日県を跨いでお見舞いに来ては全身不随のわたしの清拭などを行いました。
「ここではそういうことは看護師の仕事ですから」と看護師さんに怒られてもやめませんでした。
わたしは21歳でした。
毎日母親が来て過剰に心配して、下着まで脱がせて体を拭いて、頭を撫でて帰っていく…
そうした子ども扱いがとても嫌で、自分でできることも「できない」と決めつけられることが苦痛でした。
ようやくそのことを伝えられたときに、義母は「あんたが動けなくなって、3歳児に戻った気がした。わたしがやってあげなくちゃと思った。」と言いました。
そして今、わたしは23歳です。
痙攣により全身不随になる頻度が増え、入院も激増しました。
ただ家出していた2ヶ月間は、痙攣はあっても全身不随にはなりませんでした。
多発性硬化症にはストレスが大きく影響します。
ただわたしの場合には、
いわゆる洗脳のようなものが大きく免疫系統に影響しているのではないかと考えています。
夢の邪魔
料理。台所に椅子を用意して、包丁を左手で握って、レンジを使って、火に近づく時間を短縮すればできます。
洗濯。片麻痺でも頑張ればできないこともないです。
掃除。リメイク魔のため片付けは苦手ですが、トイレやお風呂の掃除はできます。
わたしは結婚したら専業主婦になる予定なので、こうした家事はできるし結婚して苦痛に感じないようにやっておきたいのに、
そのひと言でわたしの限界を決められるのが苦しいです。
突然ですが、義母は仏教徒です。
そして最近「体験説法」という「これまでの人生を振り返り懺悔し今後どうするかを人前で話す」というお役をもらったらしく、その原稿を書いています。
その過程でわたしに対してしてきたことや、家庭崩壊寸前でその仏教の教会の偉い人に言われた
が「はるかに頼るのではなくはるかも守れ」という意味だとわかったと後悔した、と謝られました。
2年前には「そこにいるだけでいいから帰っておいで」は全身不随で何もできないわたしを救う言葉となりましたが、
今の「そこにいるだけでいいから」は義母の自己満足の贖罪のつもりのわたしへの罰でしかありません。
してあげたかったことを今
もうひとつ、義母がわたしに対して抱いている感情があります。
それは「後悔という名の愛情」です。
これはわたしが産まれたときの事情が大きく関係しています。
当時、祖父が病気にかかり、当時の医療では為す術もなく死にかけでした。
そこへわたしが産まれて祖父は回復し、わたしの世話をするためにどんどん回復していきました。
義母は「祖父が元気になるのなら」とわたしを祖父に預けました。
しかし祖父たちと喧嘩をする度に「はるの世話を押し付けて!」と責められたらしく、「本当は初めての子どもだし自分で世話したかったのを渋々譲ったのに」と今でも言っています。
義母が見ているのは今のわたしではなく、常に昔のわたしであり義母の後悔と罪悪感の対象としてのわたしです。
だからわたしは義母との心の訣別を選びましたし、今も優しい言葉をかけられたところで「一般的な親子関係」に戻るつもりはありません。
数ヶ月前はわたしの前では優しい言葉、わたしが部屋にこもるとわたしへの罵倒の言葉を吐いていましたが、それは家出や色々した仕返しで懲りたようで終わりました。
でも言葉が優しいからって、気持ちも優しいとは限らないんですよ。
愛情でも人を殺せるんです。
それでもわたしは自立して病気に負けない専業主婦になりたいし、他にも自助具開発についてお待たせしている方がいるので早く届けたい。
小説の続編を待ち望んでメッセージをくださった方だっている。
ただわたしも人間で、起床から体が動くまでに平均3時間ほどかかるし、
バイトレベルの仕事はしているものの、わたしが「やりたくない、しんどい」と思えばやめてしまえる。
これが今回の相談内容でした。
先生の見解
先生の見解としては、
もしくは
というものでした。
わたしは身体3級の障害者ですが、ぶっちゃけ目もそこまで自由ではないので「福祉の手引」を読みきれません。
なのでわたしがどの程度何に該当するのか、手帳を取得して3ヶ月ほどになりますが把握しきれていません。
また精神科のデイケアに通うとなると話は別になります。
ただ親戚は家にヘルパーを入れることを嫌がっている現実があり、福祉を利用するなら別居するしかないものの
「義母は世話なら自分がすると言い、世帯分離はできず生活保護は難しいだろう」というのがわたしと先生の共通見解です。
なので今後のわたしは1つ目、マシなダメ人間となって専業主婦となったときとのギャップをできるだけ減らせるよう努めるしかないということになります。
最後に
わたしがここまで詳しく書いたのには理由があります。
実は今わたしの人生を文章化してみているのですが、あまりに訴えたいことが多すぎて、あまりに妙な出来事が多すぎて、書くのが面倒になってきたので
とりあえず先に1番訴えたいことを伝えるためです。
1番訴えたいことは
ということです。
ついでに2番めは
です。
さて、それではこんな読んでいて気持ちのいいものではないものにお付き合いくださりありがとうございました。
1年ほど前「金にもならんのに難しいこと考えんな」と知らない方に言われ、「わたしはお金のために頭を使っているのではないので考えたくない方は考えなくていいです」みたいな返答をした気がしますが、
パスカルは「人間は考える葦である」と言いました。
「なら考えるのをやめた人はただの葦かな」とわたしは思っていますし、こうして書いている間だけはわたしは人間でいられる気がしています。
兎にも角にも、相手の心情を思いやれる方が増えれば、わたしとしては満足です。
神でも仏でもなんでもいいですが、みなさまに心身のご加護がありますように