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新年のご挨拶【2023年】成長させてくれた出来事と今年の抱負・希望

気ままライフ

あけましておめでとうございます。

みなさまにとって昨年はどのような一年だったでしょうか。

わたしはとても目まぐるしい一年だったと感じています。

新しい年を迎えるにあたり、今年の振り返りをざっとしながらこの歳になってようやくわかったことなども記録しつつ、今年の抱負を忘れないよう残していたいと思います。

2022年の出来事

「目まぐるしい」と冒頭に書いた通り、わたし自身が自分の変化についていけないほどの状況変化に置かれた年でした。

「これが本当の家族なのかな」と思った1月

ステロイド挫創が全身へ広がったと思えば、のちにカンジダが原因とわかる謎の全身発赤、激しい湿疹に年をまたいで苦しんでいだ1月。

それでも旅行先で実父と再婚相手さんを見たときに、「これが本当の家族なのかな」と温かさを覚えて泣きそうになりました。

もはやアルバムのなかでしか見たことのない、実父と実母の笑顔と、それに囲まれる自分。

物心がついた頃には怒声や罵声ばかりが響いていた家で、自分の存在価値など家政婦程度にしかないと感じていた幼少期から去年まで。

久しぶりに笑顔で包まれたわたしは、家族ってこういうものなのだろうかと思いました。

闘病と心労で倒れて「家族になれない」と悟った4月

「難病ではないことにしたら治ったことになるよ?」という謎の診察があり、「治ったことになってもわたしの体の状況は変わらない」と悩んでいた4月。

その診察の翌々日程度に実父や祖母にかけられたストレスにより、心よりも先に体が悲鳴を上げて緊急入院した4月。

「このままここにいてはまたダメになる」と救いを求めて、結婚の予定を早めました。

未知の土地へ移住を決めた7月

わたしにとって未知の土地である東北へ、婚約者を追いかけて移住を決めました。

結婚の書類は間に合わなかったものの、それ以外は順当に運び、新たな生活を始めました。

初日だけは布団が間に合わずタオルケットで寝ましたが、さすがは東北、夏でもタオルケット1枚の夜は凍えました。

夏にクーラーなしで凍えるのは未知の経験です。

初めてひとりで新幹線に乗ったときでもありました。

結婚の挨拶と、コロナを乗り越えて結婚した8月

まだ家電をそろえたところで、お盆の帰省の予定もあって食料がちょうど尽きていた頃にコロナにかかった8月。

結婚の挨拶に一度帰省したので、そのときの新幹線でもらってしまったのかなと。

帰省時には婚約者の家も訪ねて結婚の挨拶をしたのですが、改まった場は後日とのことで、順番は前後しますが年末に両家の顔合わせをすることに決定しました。

コロナにかかると、田舎はタクシーがそう何社もないので、発熱の段階で乗車を断られます。

車はまだもっておらず、婚約者は40度の熱。

39度のわたしの車椅子を近くのクリニックまで、山道を押していくには無理がありました。

幸いなことに義両親の食糧支援がかなりあり、業者の方も事情を汲んで手伝ってくれて、なんとか生き延びました。

わたしは基礎疾患があるので施設隔離でも良いと言われましたが、婚約者のほうはそうもいかず、40度で水も飲まず寝たきりの人間を放置していくのは気が引けたので、

発汗作用を数年前に失って以来「汗をかいて熱を下げることができない」わたしは、濡れた服を着てその気化熱で体温を下げながら看病を続けました。

コロナにかかれば食料品が送られてくる、と思いますが、化学物質過敏症などでアレルギーの多い婚約者の食べられるものは白がゆのレトルト2パックのみで、ひたすら料理と洗濯に明け暮れた日々でした。

それが終わり、ようやく入籍しました。

看病が大変すぎて素直に喜ぶばかりではいられなかったのが正直なところですが、幸せな今となっては感謝しかありません。

結婚に喜ぶかわいい女子ではなかったけれど、結婚してくれてありがとう。

その気持ちでいっぱいです。

体調の急激な悪化とともに障害等級の変更を言い渡された10月

手に力が入らない。足がもつれて1日に何度もこける。

長時間座ることが苦痛。食事も喉を通らない。

何度も吐いて、最終的に水も飲めなくなった10月。

ちょうど障害者手帳の更新の時期でもあり、いろいろな検査を受けたところ、知らないうちに右手と右足がほぼ動かなくなっていたことを知りました。

大きな痙攣も起きず体調は安定していると思っていた矢先に「前まではできていた動作ができなくなっている」と知らされた衝撃はすさまじかったです。

この頃には体重もかなり落ちており、1月に登録した生体認証の顔認証が通らなくなりました。

(顔認証は今でも弾かれるので、たぶんわたしを相当な陰キャのデブだと認識しているのでしょう)

陰キャはさておき、顔はステロイド性肥満なので、5月にはステロイドを断薬したことも影響しているかもしれません。

妊娠がわかり里帰り出産が決まった11月

10月くらいから「もしかしてつわりだろうか?」とは思っていたものの、交通の不便さからきちんと検査していなかった妊娠検査をついにした11月。

東北のなかでも辺鄙な地域に引っ越してしまったので、脳神経内科と産婦人科のある病院が現実的な距離で見つからず、「里帰りして産んで来い」と言われました。

ただわたしの「里」がどこにあたるのか皆目見当がつかず、戻ったからといってお世話になれるような家はあるのだろうかと悩み、

結局は「虐待だ」と飛び出した実母の家でお世話になり、金銭的援助は実父にしてもらうようにとの助産師さんの言葉にしたがって「里」を決定しました。

わたしが家を出た1年で実母はかなり正気を取り戻しており、他にもサポーターがいることで無事に暮らせています。

気がかりは実父と、旦那のことでした。

ただ旦那はなんだかんだきちんと生活できており心配はなく、尊敬と嬉しさが募りました。

実父はたとえ娘のためであっても自分のためではないことにお金を使いたくないようだったので、金銭的援助は早々に諦めました。

顔合わせと縁切りと自立の12月

顔合わせの5日前の夜になって、実父から「顔合わせに行かない」との連絡が届きました。

厳密には「あなたのために行かないほうがいいと思う」ですが、「あなたのために」と言いつつ意見を押し通すか謝罪を求めるかする人は「自分の理由を他人のせいにしている」のが大半なので、何を求められているのかわかりませんでした。

実父は「敵か味方か、善か悪か」みたいな両極端の人なので、わたしが父に感謝しているのも、憎んでいるのも、幸せを願っているのも、今の様子だと無理そうだなと思っているのも、全部わからないでしょう。

それでも別にかまいません。

ただ人の感情にはグラデーションも多方向もあり、

数学的にたとえればxyz軸があるので深さも大きさも様々であって、直線や対比で測れるものでないということはたくさんの人が実体験として知っているのではないかと思います。

父について語れば本人には届かないし聞く耳をもたないし今のわたしの言葉など聞く気もないだろうし、わたし自身は語りつくせないのでこの辺りでやめておきます。

顔合わせは実母に頼み、相手方も快く了承してくれ、無事に年末を迎えられました。

今は無事、年を越せたことに感謝です。

 

2022年を通しての発見

去年一年はずっと、ひたすら親子の在り方を模索していた年でした。

「子供として」親子を考えるのと、「親として」親子を考えるのとは相当異なるのだなと、母親の立場になって体感しています。

あと、一般的な立場として幅広く「親子関係」を考えるのとも違うなと。

自立したことで得られた感謝と幸せ

わたしは大学生から病気発症で中退、働ける体ではなく親の庇護を必要としたことで、26歳になっても子供気分が抜けないでいました。

ただ客観的に考えればわたしもいい歳の大人ですし、結婚して妊娠したことでいつまでも「子供」の立場に固執するわけにもいかなくなりました。

たった1週間で父を許せるほど心は広くありませんが、人生をかけて「いつまでも子供気分で自分を守ることしか考えずに他人を愛さず過ごせばこうなるよ」と教えてくれたと思うと感謝できます。

わたしには素晴らしい家族ができたことには、何より感謝しています。

「同調しなければ捨てられる」危機感と「親にすら疎まれている」存在価値の否定で生きてきたわたしにとって、わたしを選んで尊重してくれる人たちの存在は奇跡でした。

そんな奇跡をたくさん味わえて、わたしはとても幸せです。

この幸せは今回、親からの決別という形になりましたが、どんな形であれ「自立」したからこそ得られたのだと深く感じています。

愛情と親心「本当に愛したなら見返りはいらない」

最近よく加藤諦三先生の本を読むようになったのですが、特に「『大人になりきれない人』の心理」と「親離れできれば生きることは楽になる」が現状にぐさりと刺さりました。

そして至った結論は、

「本当に愛しているのなら見返りはいらない」

でした。

好きなことは放っておいてもするように、

好きな人のためにする努力は苦にならないように、

本当に愛する子供のためにしたことなら「これほどしてやったのに」なんて言葉は出てこない。

義務感とか社会的な倫理観だとかで自己愛を抑えて無理して世話しているときに、自分を犠牲にしてまで「してあげた」と思うから、見返りを求める。

こういう「無理やり世話した」人たちにとって子供はペットや愛玩動物以下、所有物でしかないのだろうなと。

子供が所有物な話については後日別ページでと考えています

これに今気づけたわたしは、少しはましな親になれる気がしています。

 

2023年の抱負と希望

妊娠していなければお仕事の話を抱負として挙げたでしょうが、今は無事に出産を終えて子供が元気に育ってくれることをひたすらに願っています。

お仕事面でいえば、小説の改訂を終えて出版までこぎつけたいのと、現在構想のある2作を書き始めたいです。

完結をお待たせしている続編を出版までこぎつけたいとも思っています。

これ以上はスケジュール的にできなさそうだし、これだけでも育児をしながらとなると厳しそうなので、お仕事の抱負はこのくらいにしておきます。

体調では発作を起こさない、入院しないことを前提に、家事育児で倒れないことを目標にして、

自分と家族の幸せを願いながら過ごしたいと思っています。

あんまりそんなことを願ったことはないので、少し新鮮な気分です。

 

1秒先には死んでいるかもしれないと言い聞かせて、悔いのないように過ごしてきたここ数年でした。

未来に期待なんてできそうもない人生で、状況でした。

けれど子供がいると思うことで、数か月先を考えられるようになってきました。

十年先を考えて今を生きられる人は幸せになれるそうです。

そこまで計算高くはなれそうもありませんが、もう少し未来を考えて希望をもって生きられるようになりたいと思います。

 

それでは、本年も宜しくお願いいたします。

みなさまも素敵な1年をお過ごしください。

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まぁるいせかい管理人
はるか

考察家。作家。開発者。多発性硬化症+希少難病+先天性心臓奇形などをもつ障害者。病歴や薬歴は多すぎるので管理者情報参照。今までにないものを創るお仕事。京大医学部を病気により中退。ケアストレスカウンセラー、保育士などの資格をもつ。

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