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救急搬送と免疫グロブリン点滴|通院?記録 2021/04/02

通院記録

まさか「考察の記事か本を書きたい」とツイートした1、2時間後に救急車のお世話になるとは思っていなかったです。

今回はフルスマホのため修飾なしでお送りします。

ちょっとパソコン開ける状況にありません。

搬送前

昨日は夜9時から10時まで眠ることができ、

10時に痙攣で目覚め、手脚だけの痙攣だったのでいつも通りかと服薬して放置し、

わたしはいつも痙攣しながらツイートしているのですが、いつも通りそのツイートも終わり、

いつも通り電子書籍の読書もして、

4月末が締切の評論文を書いている最中。

痙攣がまだ治まらない朝?明朝3時7分に首の痙攣が始まり、

首の痙攣はかなりの頻度で窒息につながるので母を(腕の痙攣を使って騒いで)叩き起こし、

始まった窒息。

口や喉の筋肉が止まって呼吸困難になっている時間を冷静に測定。

15秒、20秒、30秒、40秒、50秒、50秒、50秒、……

だんだん延びていき意識が朦朧とし始めたところで「救急!」と叫び、わたしの意識は途切れました。

救急車にて

救急車で冷やされ酸素マスクを着けられているところで耳と意識は復活してきました。

手脚が相当に暴れていろんなもの、周りのものを破壊する勢いだったとあとから聞きましたが、確かに救急車の中でも暴れていて自分で制御はできず、ひたすら押さえてもらっていました。

たぶん殴ったり蹴ったりしています、ごめんなさい、すみません。

水曜日にも痙攣で施設の人を蹴っていたので、今回もたぶん自分はやらかしてます、申し訳ないです。

「ADL…普段、意思疎通はできますか?」

母に向けられた質問が場違いにもおかしく感じていました。

3月末には小説を2本上げ、さっきまで電話や執筆していた自分が今、意識が飛んでいたのと現在も口の痙攣で話せないことで「普段は会話できるか、言葉はわかるのか」を質問されている。

「車椅子ですが普通にしゃべれます」

との母の回答すらなんだかおかしくて、

とりあえず既往歴や服薬状況は救急隊員さん用に別に作らないといけないなと思いました。

こうして救急慣れしたり呼び慣れたりもしたくないものですが、念には念を。

人間いつ何があるかわからないですし。

1つめの病院にて

かかりつけは救急を断られたのでとりあえず別の病院に運んでもらい、点滴やら点鼻やらで筋弛緩剤を打ってもらいました。

ミダゾラム注10ml「サンド」2ml(MAX)

ビカネイト輸液500ml

だそうです。明細より。

そこで一旦落ち着いたものの、1時間後には痙攣が復活。

入院案もあったそうですが、お薬手帳を見た医師が「主治医の方がいいだろう」と言ったそうです。

確かに複雑だし多いです。

そして午前なら主治医も病院にいるかも?と、痙攣が酷くならないうちに移動することにしました。

かかりつけ病院にて

その頃には意識もはっきりしていたので、かかりつけ病院で割と真剣にお願いして当日予約を取りました。

すると、

「これ以上酷くなるようだったら血漿交換と言っていたけど、土日だし今日入院しても何もできないだろう」

と、セルシン(筋弛緩剤)の筋肉注射をしたあと、

今日できる最大限で免疫グロブリンの点滴をすることになりました。

成分的に5000ml、本数にして瓶6本

が体に入るので、

点滴時間は5時間

です。

輸血からできているので拒絶反応を少し起こした過去もありましたが、今回は大丈夫でした。

この時期貴重な輸血をありがとうございます。

みなさま献血のご協力お願いいたします。

わたしは輸血された経験有り扱いになるので献血できません。とても悔しいです。

 

はじめは恐らく疲れもあり眠れたのですが、開始2時間ほどで手脚が暴れ出して起きました。

そこからは痙攣と点滴との戦い。

夜6時にようやく点滴が終わり、家に着くと完全に夜。

現在も両脚と右腕がフリーダム。

さっきまでは左腕も自由を謳歌しておりました。

との記録を残して今回は終わります。

なんとも味気ないですね。

みなさまもお疲れさまでした。

できれば土日のうちに通院記録ではない何かを書きたいなと思っています…。

(上の画像は剥がし忘れられていた心電図です…使い捨てだからいいや)

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