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「リスペリドンは痙攣の薬じゃない!」「わたしは産んでと頼んでない!」|2021/04/20 通院記録

通院記録

みなさまお加減はいかがでしょうか。

わたしは主治医に急な時間変更を告げられ、ほぼ眠らないまま病院へ行ってきました。

精神神経科の欄で書きますが、精神状態は最悪でした。

神経内科

2週間前にも神経内科にも通院していたのですが、主治医ではなく薬を出すだけになったので記録をつけていませんでした。

 

そんな今日は、「免疫グロブリン点滴から2週間以上経ったけれど効果はどうか?」という問いから始まりました。

答えはノー。効果は感じられず、変化はありません。

 

すると主治医は、

  • ぼくも他の先生も、もともとの病気(MS)が悪くなったとは考えにくいと思っている
  • 免疫系の他の病気ならステロイドや免疫グロブリン点滴で治療効果が出て良いはず
  • 画像には写らないタイプだし
  • 美智子様が一時期しゃべれなくなったようなものから来る痙攣じゃないかな

と言われ、

この段階では「美智子様が一時期しゃべれなくなった」の意味はまだ若いわたしにはわからず、

 

ただ「痙攣のとんぷく薬、3回分出しとくね」と言われて診察室を出たあと

「痙攣のとんぷく薬」として「リスペリドン」を出されました。

 

「とんぷく出しとくね」

とリスペリドン処方を知ったときのわたしの気持ち

3、

2、

1、

 

「ふざけんなああああああああ」

 

この衝撃は以下の精神神経科の項目でわかっていただけるかなと思います

 

精神神経科

もはや思い出すことすらストレスフルな話題がありすぎるので神経内科に関するものだけ書こうと思います。

この部分を書いているのは診察から約3日後、けっこう冷静になれていると思います

 

リスペリドン処方について

今回は神経内科の方が先だったので、リスペリドンが処方されたことを精神神経科の先生に伝えることができました。

返ってきた答えは、

「え、本当に!? 信じられない! だってあれだけ免疫の治療やってきてここで精神論?苦笑」

でした。

何度も血漿交換してアナフィラキシーショックを起こしながらもなんとか回復して今ここにいるわたしも同じ気持ちです。

「いや免疫やろ!」

と全力でツッコみます。

だって今でこそあまり効かないけれど、はじめはパルスも血漿交換も効いたし、今でも内服ステロイドは効いてて減らせない状態だし、血漿交換もひと月くらいは効くし…

 

主治医は作用を明かさず「痙攣の薬」としてリスペリドンを出すことで気持ちの問題だとしたかったのでしょうが、一応カウンセラー資格を取得したときにリスペリドンも勉強して知っていました。

ごめんなさい。

 

また先生も、

「向精神薬は痙攣の閾値を下げる(=痙攣しやすくなる)から、痙攣にはあまり向いていないんだけどね……」

と苦笑いでした。

 

ちなみに飲んでみたここ2日間は、覚醒度が下がり何もできない状態ながら痙攣や硬直は増えて動けず、痙攣や硬直の痛みで眠くても眠れないという地獄を味わいました

 

ただ主治医が黙って(騙して?)リスペリドン処方に踏み切ったのは理由があると考えています。

  1. 前回の診察後に笑って帰る姿を見られていた
  2. 前回の診察でアームカット痕を見られていた
  3. 今日は号泣していた

この3つは確実に影響したのだと考えています。

 

笑って帰る姿を見られていた

「これさ、どうしようもなくない?」

そうわたしは尋ねたいです。

 

だって常に痛いもの!

痛みをごまかさなきゃ生活できないもの!

笑っていなきゃ生きていられないもの!

 

唯一真剣な顔をできるのが診察室。

「診察室病」「診察室症候群」なんてものもあって、これは患者が診察室で重症に振る舞うことを指しますが、

 

車椅子で硬直してたって外から見てわからなくない!?

笑っていなきゃ、心配されるじゃん。

心配されるために生きてんじゃねえよ。

 

だから笑う。どうでもいい話題で、ヘルパーさんと。

 

そこを見られて「笑ってる、診察室とは違う、好きなことをしてるときに症状は出ないのかも」なんて考えられたところで、

 

いってえ、いってえ、いってえわ!

 

ですよ!

外見で判断されると、わたしのような「慢性疼痛のくせに1人でいるとき以外常に笑顔」の人間はとても困るのです。

楽しくオセロしてても痙攣で中断なんかざらにあるわい!と次回伝えようと思いました

 

アームカット痕を見られていた

これもどうしようもないことのひとつだとは思うのですが、

初めて死のうとしてリストカットした14歳を除き、アームカットを行っているのはほぼ別人格です。

朝起きたら腕と服が血まみれで、メモがあります

 

あまりに筋痙攣が激しいとその痛みに耐えられなくて、まだ切り傷の痛みの方がマシだからと切ってしまう子たちがいます。

わたしからは「痙攣によく耐えた」としか言えません…

 

精神神経科の先生は

「痛みから逃げたいあまりに別人格を作り出してしまったのだろう」

との見解なので理解があるのですが、

主治医はそれを知らないので多分、いや絶対わたしをメンヘラだと思っています。

 

ちょっと口悪く言うなら、「ちゃんと情報共有しやがれ」です。忙しいのはわかるけどさ。

 

何もなければわたしの精神はとても穏やかです。

何もなければ。

 

その日は号泣していた

何もなければ」と言いつつ、何かしらあるのが人生です

診察日の前夜から当日早朝にかけて相当心理的フルボッコにされていたので「もうなんかもう…」ですが、わたしの今後の進路にも関わるだろうし、号泣理由の1番かなと思うものをひとつだけ選んで遺そうと思います。

 

わたしはサイトでも「産みの母親」「育ての母親」を区別しています。

産みの母親は「母()」と記述していたり…

 

「母」に該当する人が2人いるわけでも、わたしがどこかの養子になったわけでもありません。

ただ戸籍上の、産みの母親を「母」と呼びたくないだけです。

そして今まで「お母さん」と実際に呼んだこともありません。

 

母()には「一生許さないこと」が3つあります。

  1. 「この薬(ステロイド)今やめたら死ぬから自己判断でやめないでね」と医師から一緒に説明を受けたすぐ後に「この薬すぐやめたら治してあげるって人がいるのだけど、やめない?」と言ってきたこと
  2. 「何にでもありがとうって言いなさい」「痛みにありがとうって言いなさい」と何週間も言い続けるので「痛みには痛すぎて感謝できない」と必死で伝え、「わかった」と言われた翌日「痛みにありがとうって言いなさい」と言ってきたこと
  3. 全身痙攣を起こしながらもなんとか父との絶縁を避けた、のに…

 

簡単に抽象的に言い直すと、

  1. 民間療法に縋ってわたしを殺す選択肢を選んで突きつけてきたこと
  2. 全身不随に全身痙攣で1番つらい時期にわたしの話を聞いていなかったこと
  3. ふたりの仲を取り持ったこと

3,は許せないというか「貸し」だと思っていて、当時の母()は「よくやった」「ありがとう」いろいろ言ってくれたのですが、

今回の診察の当日朝、

  • わたしなら「あんだけ看護師さん来てくれといてする話か!」って引っ叩く
  • 別にあんたにそんなこと頼んでない
  • 絶縁を選んでくれても良かった
「絶縁か病室を教えるか」電話越しに迫ってきた父に関して、わたしが母の「老後には茶飲み友達になりたい」との願いから絶縁を選ばなかったことに対して
  • わたしの人生に干渉せんといて(=干渉しないで)

 

もう、最後のがきつくて

「ごめんなさい」しか言えなかったです。

「産まれてごめん」しか言えなかったです。

「産んでほしい」なんて頼んでないけれど。

だってもう、産まれた時点で、産まれてしまった時点で、あなたの人生には干渉してしまいますよねって。

 

このページを最初にご覧になられた方は混乱するかと思いますが、わたしの父は精神疾患、母()はこんな感じでとても精神不安定で、先生にも「母が精神科を受診した方が良い」と言われるくらいです。

 

それプラス「病気になってからはるかを甘やかし過ぎた」とか言うのだから、笑いますよね。

わたしの意見に反対しないことで、わたしの意見に反対する人への耐性がなく育ってしまうのでは?と思い今から教育の必要性を感じたそうですが、

 

わたしは

  • カウンセラー失格
  • どころか人間失格
  • 社会不適合者
  • 虚言症、詐病
  • 人殺し
  • お前のせいで死ぬ、血を抜く
  • 性奴隷になれ
  • 死ね

など、反対意見にも当然出会うし、とことんこうやってわたしの人格や生きることすら否定されながら、それでも今生きているわけです。

と先生に言われました

 

最大の教育は、教育しないことである

エレン・ケイ

 

この言葉に賛同した人とは思えない言葉に絶句し、産まれたのはわたしの責任ではないのに謝る理不尽。

そんなこんなで涙が止まらず、診察室にも目が腫れた状態で入れば「精神不安定からくる痙攣」とか言われますよね。

 

いや、違うから!

精神が荒ぶってもパソコン打てるときだってあるわけで。

これも次回言おうと思いました。

 

最後に

わたしの人生はもう親のためにあるのではありません。

わたしを大切にしてくれる人たちや、同じように障害は病気で苦しんでいる人たち、小説を書く仲間たちと一緒にいるためにあります。

わたしはそんな同志や仲間たちの存在を感じながら、懸命に生きたい。

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