みなさまお加減はいかがでしょうか。
わたしは主治医に急な時間変更を告げられ、ほぼ眠らないまま病院へ行ってきました。
精神神経科の欄で書きますが、精神状態は最悪でした。
神経内科
2週間前にも神経内科にも通院していたのですが、主治医ではなく薬を出すだけになったので記録をつけていませんでした。
そんな今日は「免疫グロブリン点滴から2週間以上経ったけれど効果はどうか?」という問いから始まりました。
答えはノー。効果は感じられず、変化はありません。
すると主治医は、
- ぼくも他の先生も、もともとの病気(MS)が悪くなったとは考えにくいと思っている
- 免疫系の他の病気ならステロイドや免疫グロブリン点滴で治療効果が出て良いはず
- 画像には写らないタイプだし
- 美智子様が一時期しゃべれなくなったようなものから来る痙攣じゃないかな
と言われ、
この段階では「美智子様が一時期しゃべれなくなった」の意味はまだ若いわたしにはわからず、
ただ「痙攣のとんぷく薬、3回分出しとくね」と言われて診察室を出たあと
「痙攣のとんぷく薬」として「リスペリドン」を出されました。
「とんぷく出しとくね」
とリスペリドン処方を知ったときのわたしの気持ち
3、
2、
1、
「ふざけんなああああああああ」
精神神経科
もはや思い出すことすらストレスフルな話題がありすぎるので神経内科に関するものだけ書こうと思います。
リスペリドン処方について
今回は神経内科の方が先だったので、リスペリドンが処方されたことを精神神経科の先生に伝えることができました。
返ってきた答えは、
でした。
何度も血漿交換してアナフィラキシーショックを起こしながらもなんとか回復して今ここにいるわたしも同じ気持ちです。
「いや免疫やろ!」
と全力でツッコみます。
主治医は作用を明かさず「痙攣の薬」としてリスペリドンを出すことで気持ちの問題だとしたかったのでしょうが、一応カウンセラー資格を取得したときにリスペリドンも勉強して知っていました。
ごめんなさい。
と、先生の苦笑い。
果てしなく同感でした。
ただ主治医が黙って(騙して?)リスペリドン処方に踏み切ったのは理由があると考えています。
- 前回の診察後に笑って帰る姿を見られていた
- 前回の診察でアームカット痕を見られていた
- 今日は号泣していた
この3つは確実に影響したのだと考えています。
笑って帰る姿を見られていた
「これさ、どうしようもなくない?」
そうわたしは尋ねたいです。
だって常に痛いもの!
痛みをごまかさなきゃ生活できないもの!
笑っていなきゃ生きていられないもの!
唯一真剣な顔をできるのが診察室。
「診察室病」「診察室症候群」なんてものもあって、これは患者が診察室で重症に振る舞うことを指しますが、
車椅子で硬直してたって外から見てわからなくない!?
笑っていなきゃ、心配されるじゃん。
心配されるために生きてんじゃねえよ。
だから笑う。どうでもいい話題で、ヘルパーさんと。
そこを見られて「笑ってる、診察室とは違う、好きなことをしてるときに症状は出ないのかも」なんて考えられたところで、
いってえ、いってえ、いってえわ!
ですよ!
外見で判断されると、わたしのような「慢性疼痛のくせに1人でいるとき以外常に笑顔」の人間はとても困るのです。
アームカット痕を見られていた
これもどうしようもないことのひとつだとは思うのですが、
初めて死のうとしてリストカットした14歳を除き、アームカットを行っているのはほぼ別人格です。
あまりに筋痙攣が激しいとその痛みに耐えられなくて、まだ切り傷の痛みの方がマシだからと切ってしまう子たちがいます。
精神神経科の先生は
との見解なので理解があるのですが、
主治医はそれを知らないので多分、いや絶対わたしをメンヘラだと思っています。
何もなければわたしの精神はとても穏やかです。
何もなければ。
その日は号泣していた
「何もなければ」と言いつつ、何かしらあるのが人生です。
診察日の前夜から当日早朝にかけて相当心理的フルボッコにされていたので「もうなんかもう…」ですが、わたしの今後の進路にも関わるだろうし、号泣理由の1番かなと思うものをひとつだけ選んで遺そうと思います。
母親の話
わたしはサイトでも「産みの母親」「育ての母親」を区別しています。
わたしが施設に預けられたわけでも、どこかの養子になったわけでもありません。
ただ戸籍上の、産みの母親を「母」と呼びたくないだけです。
産みの母親に育てられた記憶がないだけです。
そして今まで「お母さん」と実際に呼んだこともありません。
「母()」は「母(生物学上&戸籍上の)」という意味です。
母()には「一生許さないこと」が3つあります。
- 「この薬(ステロイド)今やめたら死ぬから自己判断でやめないでね」と医師から一緒に説明を受けたすぐ後に「この薬すぐやめたら治してあげるって人がいるのだけど、やめない?」と言ってきたこと
- 「何にでもありがとうって言いなさい」「痛みにありがとうって言いなさい」と何週間も言い続けるので「痛みには痛すぎて感謝できない」と必死で伝え、「わかった」と言われた翌日「痛みにありがとうって言いなさい」と言ってきたこと
- 全身痙攣を起こしながらもなんとか父との絶縁を避けた、のに…
簡単に抽象的に言い直すと、
- 西洋医療を否定して民間療法に縋り、わたしを殺す選択肢を選んで突きつけてきたこと
- 全身不随に全身痙攣で1番つらい時期にわたしの話を聞かなかったこと
- 元両親・ふたりの仲を取り持ったこと
3,は許せないというか「貸し」だと思っていて、当時の母()は「よくやった」「ありがとう」いろいろ言ってくれたのですが、
今回の診察の当日朝、
- わたしなら「あんだけ看護師さん来てくれといてする話か!」って引っ叩く
- 別にあんたにそんなこと頼んでない
- 絶縁を選んでくれても良かった
- わたしの人生に干渉せんといて(=干渉しないで)
もう、最後のがきつくて。
「ごめんなさい」しか言えなかったです。
「産まれてごめん」しか言えなかったです。
「産んでほしい」なんて頼んでないけれど。
だってもう、産まれた時点で、産まれてしまった時点で、あなたの人生には干渉してしまいますよねって。
このページを最初にご覧になられた方は混乱するかと思いますが、わたしの父は精神疾患、母()はこんな感じでとても精神不安定で、先生にも「母が精神科を受診した方が良い」と言われるくらいです。
それプラス「病気になってからはるかを甘やかし過ぎた」とか言うのだから、笑いますよね。
「わたしの意見に反対しないことで、わたしの意見に反対する人への耐性がなく育ってしまうのでは?」と思い、今からあえて反対することで教育しようと思ったそうですが、
わたしは
- カウンセラー失格
- どころか人間失格
- 社会不適合者
- 虚言症、詐病
- 人殺し
- お前のせいで死ぬ、血を抜く
- 性奴隷になれ
- 死ね
など、反対意見にも当然出会うし、とことんこうやってわたしの人格や生きることすら否定されながら、それでも今生きているわけです。
最大の教育は、教育しないことである
教育学者・哲学者:エレン・ケイ
この言葉に賛同した人とは思えない言葉に絶句し、産まれたのはわたしの責任ではないのにわたしが泣きながら謝る理不尽。
そんなこんなで涙が止まらず、診察室にも目が腫れた状態で入れば「精神不安定からくる痙攣」とか言われますよね。
いや、違うから!
精神が荒ぶってもパソコン打てるときだってあるわけで。
これも次回言おうと思いました。
最後に
わたしの人生はもう親のためにあるのではありません。
わたしを大切にしてくれる人たちや、同じように障害は病気で苦しんでいる人たち、小説を書く仲間たちと一緒にいるためにあります。
わたしはそんな同志や仲間たちの存在を感じながら、懸命に生きたい。