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「つらいって言える人は幸せだな」目に見えない病気の苦悩|2021/07/27 通院記録

通院記録

生きてることがつらいなら

いやになるまで 生きればいい

(わたしの年齢からすれば)古い歌にこんな歌詞があったように思う。

勘違いで覚えているのかもしれないけれど、それでもわたしは、

この歌が大嫌いだ。

生きてることが嫌になったから、生きてることがつらいんだ。

 

なんてことを考えるここ1週間、ついに神経内科と精神神経科の通院日がやってきました。

以前「これから先の掲載を迷う」と言った精神神経科の記録ですが、一切覚えていないし書かないと思い出す手段すらないことに気づいてしまったので気が向いたときは書こうと思います。

 

今日は病院内を「歩いて」受診しました。

だからこそ病院内でも露骨に味わうことになった、通院記録を通しての、ここ最近の苦しみの話。

 

神経内科

「今日は主治医じゃなくて第2担当医だからな~」と残念がりながら行った神経内科。

しかし病院入り口で主治医に遭遇。

たぶん白い巨塔(入院病棟の見回り)を終えて別の病院へ行くところだったのでしょう。

 

「おおー」

なんの声なのかわかりませんが、とりあえず立てさえすればわたしは身長が高い部類なので主治医を見下ろすことになってしまいます。

「ちょっと歩いてみて」

まさかの入り口で診察開始。

「だいぶ良くなってきてるね。これだったら薬も減らしていけそうかな」

と太鼓判。

 

「よっしゃ!」と思う反面、先々週辺りにかなり酷いしゃっくり、脱力、そのときから激しくなってきている痙攣と不安要素もあったので、

その旨は簡単に伝え、「今日の担当医にまた詳しく話しておきますね」とわたしも回答。

 

そして呼ばれた神経内科の診察室では、歩行していったため歩行テストはなし。

指折りテストはあり、企図振戦なのか痙攣なのか微妙なことにはなりながらも

「とりあえず前よりはマシ」

との結論。

 

「脱力はこの暑さなら当然」
「酷くなる痙攣は神経に損傷のある人はこの時期しかたない」

と言われました。

 

そしてお薬は、痙攣が酷くなっているので抗痙攣薬はそのままの分量

ただし退院とかぶって余っている分があるので、今回だけ処方がランドセン8→6錠へ減っていますが
ステロイド18mg→17mgへ減薬

となりました。

以前20mgで再発したので、慎重に減らしていきます。

 

前に担当医に会ったときは多発性硬化症専門の主治医ですら自信がもてないからといろんな先生を招集したときだったので、あのときより今回は確実にマシでしょう。

そもそも歩いてますからね。

車椅子でなく病院に行けたのは、病後初めてです。

 

でもね、車椅子じゃないから回復してるとは限らないんですよね。

多発性硬化症含め神経難病は、目に見えない部分が損傷する病気なんです。

そこ、医師にすらけっこう忘れられがちなんですよね。

 

ちなみに「水分をよく摂るように」と言われ「1日3Lくらい飲んでます」と答えたところ、だいぶ笑われましたが「お薬をたくさん飲んでるからそれくらいでちょうどいい」とのこと。

お薬をたくさん飲まれてる方、一緒に3L飲みましょう笑

 

精神神経科

問題はというかもうずっと先生に会いたくてしかたがなかったのが精神神経科です。

 

解離性同一性障害

人格どうこうの話は神経内科では一切触れない線引きを主治医がしており、相談できるのが精神神経科だけな現在。

いや過去もそうなのですが。

 

最近は戸籍を移したり母()や父や新しい母とあったことを話したりと、なぜ事態がここまで複雑化してしまったのかを話していたようで

まったく覚えていないのが残念ですが

今日も続きを…となりそうだったのですが、

 

「ちょっと久しぶりに人格の話して良いですか?」

と遮り中断。そもそももう戸籍に関して話すことはなかった気もする。

 

「最近、わたしでいられる時間が短くて……」

から始まる、しのんとの話…を短縮形でお伝え。

 

すると先生は

「それは実在するゲーム? それともはるかさんの脳内でしたゲーム?」
「いや、実在します。バンダイナムコです」
「ちゃんとしたところだね笑」

 

他の人格と「首を切って生き残ったらはるかの勝ち、死んだらその子の勝ち」なんて賭けで包丁で首切り事件を起こした前科があるのでなんともいえませんが、

「テイルズオブシリーズ」って、RPG系のテレビゲームをする人なら知らない人はいないんじゃないかな?と思います。

 

「そのシリーズは全部二重人格系なの?」ときかれましたがそんなことはなく、「ラタトスクの騎士」だけが異色のような……

他もある意味で異色なものはありますが、人格系で異色なのはこれだけかなと

 

ただ楽しくゲームをするのなら「戦うときだけ人格変わるとかかっけぇ」で済んだのかもしれませんが、

当事者がやるとけっこうぐっさりくる、完成度高すぎるのか微妙に惜しいのか、なんとも言えなくなるゲームでした。

 

「あの世に帰りたい」

そしてようやく昨日くらいから人格は「はるか」として安定してきたものの、うつ状態が酷く送られてくる仕事にすら手をつけられないまま

「しんどい」
「つらい」
「痛い」
「帰りたい」

を連発していることを伝えると

「家にいるのに、どこに帰りたいの?」

と尋ねられ、数日前に気づいてしまったわたしの回答

「あの世に帰りたいって気づいてしまったんですよね」
「向こうから来た記憶もないのに帰りたいんだ?」
「そうみたいなんですよね」

 

いや、そうみたいなんですよね。

「どこに帰りたいんだろう?」を繰り返した結果の「あの世に」が解答として挙がったときのわたしの衝撃、すさまじかったです。

 

「今は彼が『僕のところに?』とか言ってくれるので電話している間は大丈夫ですけど、電話つながってないときは何もできないし寝ているのもつらいです」

もうこれだけでもちゃんと言えた自分、偉いなって思うんですよ。

 

「周りは『はるかがはるかでいれば』って言う」
「『別の子に変わっても物壊したりとかはしないの?』って言う」
「『人格のことはあんたの問題だからあんたのなかで解決しなさい』って言う」
「けれど変わらないように要求してくる」
「わたしに『わたしでいること』を要求してくる」
「わたしはわたしが誰かさえわからないのに」
「相手の求めている『わたし』は『わたしの中の誰なのか』わからない」

 

解離性同一性障害でなくても自分探しの旅に出る人がいるんです。

解離性同一性障害で自分探しなんてしたら迷宮入りですよ。

 

ただ最後のものに関してだけは、先生は冷静に

「それは、今こうやって話してるはるかさんを求めているんじゃない?」

と。わたしもそう思います。

「でも全部はるかさんだからね。多面体のどの面を見るかの話で」

そう思います。

でもそう思わない人もいるんです。

 

精神疾患で苦しいのは、きっとそこなんだろうなと。

神経難病と同じ、目に見えない苦しさ。

 

「つらい」と言える幸せ

多少なら歩けるまでに回復した理由を尋ねられ、わたしは「リハビリの成果」と答えました。

 

「環境の変化でストレスが減ったとかじゃなくて?」

わたしの周りは母()から離れてストレスが減ったから病気が改善したのだろうと言います。

 

この人たちはわたしのどこを見て改善したと言っているのだろう?

そう考えたときにわかるのは「外見」です。

 

  • 四六時中痙攣で踊らなくなった
  • 多少なら歩けるようになった

 

そうだよね。

マシに見えるよね。

 

その下でわたしがどれほど筋線維の断裂を起こして、線状の内出血を起こしているかも知らずに。

 

父方の家族はとても素直というか、自分の大変さは口に出せる人たちだから

「痛い」「つらい」

とよく言うし、それでわたしがマッサージすることも矯正することもある。

どうしたら改善するのかを知っていながら放置できるほど、わたしは冷たくないから。

 

「こうしたら痛い」

うん、そうだね。

でもわたしは何もしなくても痛い。

 

「ちょっとマシになったかも」

うん、良かったね。

その「ちょっと」のためにわたしが味わった筋肉の線維がちぎれる痛みを、あなたは知らない。

 

「これだけマッサージできるまで回復したんだね!」

違う。それはただの気合いと根性。

それだけだ。

 

あなたが整体やマッサージでなんとかできる「痛み」は、皮膚の痛覚過敏のわたしにとってどうにもならない「痛み」だ。

あなたが薬でごまかせる「痛み」は、わたしには効く薬のない「痛み」だ。

あなたが同情や共感をほしがる「つらさ」は、わたしには自力でなんとかするしかないとわかっている「つらさ」だ。

 

わたしは「痛い」と言ったところで「痛いんだね~」と言われて終わること、痛みは消えないことを知っている。

わたしは「つらい」と言ったところで「つらいんだね~」と言われて終わること、つらさは消えないことを知っている。

 

自力でどうにかするしかないことを知っている。

 

だからもう他人に理解を求めない。

伝えない。言わない。

「他人の同情や憐憫や共感なんて、究極の痛みやつらさの前では無価値だ」

そこまでの痛みやつらさを味わったことのない人にこの意味はわからないだろうし、

「周りの声援が力に!」と思える人にもこれはわからないと思う。

 

でもわたしは、そうして同情や共感してもらうだけで気持ちが楽になる、その程度の「つらい」しか知らない人を「幸せだな」と思う。

 

「何も言わないから痛くない」「何も言わないからつらくない」と考えるのは、それは思慮に欠けていると思う。

あまりに短絡的だと思う。

指1本動かすために味わう苦痛を、想像したことがあるか
口を少し動かすために味わう苦痛を、想像したことがあるか

 

人は無価値だと判断して諦めると、もう何もしなくなる生き物だ。

 

「病気が改善」にムカつく理由

ところで先生はわたしが「つらさを伝えるのを諦めた割には、改善したって言われるとムカつく」点を指摘。

 

それは言い方によります。

「環境変えて改善したね」

違います。

 

わたしの体調が改善したのは、100%わたしの努力です。

 

だってちょっと考えればわかるじゃないですか。

苗字と寝る場所変わっただけじゃ、何も変わりませんよ?

 

わたしが努力できる環境に置いてもらった。

そこには感謝。

そこから先は、一歩一歩前に歩こうとした、一段一段、何十分とかけて動こうとした、わたしの毎日の、誰も見ていない努力の結果です。

毎日筋肉が裂ける音を聞きながら、毎日内出血を起こしてでも頑張った、わたしの努力の結果です。

 

だからムカつくんですよ。

「環境を変えたから」なんて簡単に言われると。

体の動きとして改善したように見えるのは「わたしが頑張ったから」であり、そのおおもとに「頑張れる環境に置いてもらったから」がある。

そして「動かなくても痛いなら動こう」なんていう「気合いと根性」で寝たきりにならないことを「わたしが選択したから」結果として改善しているように見えるだけで、

白鳥が水面下でバタ足しているように

わたしは黙って痛みと戦っている。

それを簡単に「環境を変えて」「病気が改善」とか言われても、

環境を変えたのは事実でも病気が実際に改善してるかなんて見えないじゃないか。

 

「神経が損傷してる人はしかたない」って言われたように、まだ3年以上前の炎症を引きずって治ってないから激しく痙攣するわけで、

みんな寝ているから知らないだけで、どんなに薬の副作用で眠くても夜中は1~2時間眠れたと思ったら痙攣で起きてしまうわけで、

「症状は改善」したように見えても「病気は改善」していない。

それが「難病」

 

なんだけどなあ。

 

まあだからといってすべてにムカつくわけではなく

「自分の置かれた状況の不平等さに怒りたくなることはないの?」

と尋ねられたので

「ないです」

と即答すると、やはり理由を尋ねられ、

「人間平等に不平等だと思ってるんで」

と答えたところ

「哲学だね」

と言われました。

なんか嬉しい(*´∀`*)

 

父方へ移って

あとは父方に移ったことで「そろそろ性格が見えてきたんだね」と言われましたが、もともとは一緒にいたのでそれはわかっています。

父は精神崩壊していたので忘れていますが、父から酷い扱いを受けたこともわたしは忘れていません。

それでも移ろうと思うほど以前の環境が嫌だったという話です

 

「残念だけど人間そうそう変わらないからね」
「本質はなかなか変わりませんよね」
「でもはるかさんは変わってきてるよ」
「何がですか?」
「形が変われば心も変わる。歩けるようになったことで、変わったこともあるんじゃないかな」

少し謎めいた、けれどわかるような言葉で今日は終わりました。

でももし変わったんだとしたら、病気以前の気の強さを取り戻しているだけかもしれないな、なんて。

 

会計にて

通院記録とは関係ないように思うのだけど、気になったので一応。

「障害者手帳」と言うと「障害者!?」とまじまじ顔を見られ

「難病手帳」と言うと「難病!?」とまじまじ顔を見られ

 

別に顔で障害者や難病患者になるわけじゃないですよ。

ついでに多発性硬化症になる人はかわいい女子が多いっていわれてるんです。

そんな変な顔はしていないと思うのですが、

これ今日だけじゃないんですよね。

 

けっこうどこに行っても同じように顔をじろじろ見られるものだから、さすがに「いや顔見てもお前らわからんだろ」って。

わたしの丸い顔もステロイドのせいって知らずにダイエットや筋トレ勧めてくる人もいるし、

痙攣で鍛えられてる筋肉なめるなよ体脂肪率はそれなりに低いぞとは毎回思いながら

 

なんか「顔見たらそれですべてわかる」って思ってる人多くないですかね。

思い上がりですよそれ。

 

という、けっこう腹立たしい通院記録でした。

それではみなさま、おやすみなさい。

良い睡眠、良い夢を☆

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