おはようございます。
たぶん公開する頃には朝ではないのですが、書き始めが朝なので「おはようございます」
久しぶりにMRIを撮影し、加えて皮膚科にも行ったので「もう書かないだろうなあ」と思った通院記録です。

端的に、体調はあまり良くありません……
「皮膚がはがれてきたのってやばいよね?」皮膚科の記録
前々から頬の皮膚の表面(表皮だけ)がはがれて、ちょっとだけ中が見えている状態だったのですが

そんなに重症じゃないしな…
とスルーしていました。
しかし
- はがれた部分が増えてきて顔に赤い斑点ができる……
- 額のステロイド挫創はブツブツを通り越して全部赤くなってひび割れて汁が出てくる……
- 髪の生えている部分も、なんかカサブタがはがれて、ものすごい量が枕元に散らばる……
乙女的に非常にやばたんな状況にいたりました。
そこでようやく皮膚科へ回してもらいました。
はじめに感染症じゃないか皮膚片から調べてもらい、無事陰性とわかったところで

とりあえず保湿
酷くなれば外用ステロイド
ステロイドが効けばステロイド挫創じゃないよね!
と、部位別の外用薬を処方されました。
- ヒルドイドソフト軟膏0.3%(顔の保湿)
- キンダベート軟膏0.05%(ステロイド)
- ヒルドイドローション(頭皮の保湿・シャンプー前)
- メサデルムローション0.1%(ステロイド・1日2回)

シャンプー前10分、お薬を塗って待って
との指示でしたが、お風呂場に長時間いられないわたしはその10分をどう過ごせばいいのでしょうか…
鏡で自分を見続ければいいのでしょうか…
今朝は間違えて髪を濡らす前に部屋で塗ってしまったので暇ではありませんでしたが、次回からの時間の潰し方に真剣に悩みます…

お風呂上がりに塗るのがコンディショナーではなくお薬なところも微妙に切ないです。
「これ以上治らないんだ…」失望したMRIと神経内科
10月にMRIを撮影してから2か月ぶりの撮影は、嬉しくもあり悲しくもある結果を叩き出してくれました。
まったく変化のないMR画像
これまで右半身麻痺に関わる中脳の病変は超スローペースでしたが、体にほとんど影響しない大脳新皮質の病変などは診断時から徐々に小さくなってきていました。
ただ今回のMRIは10月とまったく同じ。
プレドニンを大量に飲んでいたときには縮小していた病変痕が、減薬するとこんなにも変わらないものかと。
「じゃあ薬を飲んだほうがやっぱりいいんじゃない?」と思ってしまいそうになります。
だからといって薬を飲んでも再発を抑えられはしないし。
となると「病変痕小さくするだけなら薬飲むの無駄じゃね?」と思い直し…
でも「中脳病変がマシになったらこの痙攣もマシになるのかな?」とも考え…
いや、もういいや
考えるのが面倒になって「断薬」の決断に従い続けています。
ただ薬を飲まなければ「痕すら」消えてくれないのは、けっこうショックでした。
悪化する右腕の痙攣と反比例する右脚
2021年12月15日、約2年間続いていた仕事を辞めました。
仕事といっても内職のようなもので到底自立できるレベルではなく、中学生のお小遣いレベルのような、そんなものです。
ただ難病患者が働くことはとても難しい。
少なくともわたしが働くことはとても難しい。
それでもたくさんの配慮してもらってなんとか続けられていたお仕事を本日やめました。
- 入院による長期休み
- 通院による1日休み
- 突然の体調不良による急な休み
- 体調不良により規定の作業量をこなせない日も出るだろうこと
これらを認めてくれてようやく継続できていた、難病を受け入れた上で仕事を任せてくれる人とのお仕事をやめました。
- 右腕が動かないから
- 右腕の痙攣ばかりが激しいから
それでも、
テーピングの要領で着圧テープを巻くと指先だけは動くから
と、さすがに血を止め続けてしまってはまずいのでたまに外しながらパソコンのキーボードを打っていたら
手が真紫になり白い斑点が浮かび
斑点の箇所が痛み出し
何日間テープを外しても浮腫が取れなくなりました。

痙攣以外では完全に動かなくないのはけっこうマズいです。
無茶はするものではないですね。
発症してからこっち、何回も思っています。
ただ右腕が(痙攣以外では)肩しか動かない惨状なのに対して、右脚が(痙攣のおかげで)動き始めました。
まだ制御できる時間の短い右脚ですが、そのうちいつでも思い通りに動かせればいいなと思っています。
今回の減薬
今回も減薬方針は変えなかったので、ステロイドがほんの少し減りました。
最近すごく頻繁に病院へ通っているので、減薬にというより病院に疲れています。
【戸籍を替えても追いかけてくる毒親】精神神経科
- 新しいセラピーを受けることにした
- 結婚時期でもめた
- 治療方針で悩んでいる
- 前の母()が育ての母の家にやってきた…
話したいことはたくさんあったのですが、今回はひたすらわたしの「怒り」と「恐怖」の話をしていました。
「育ての母まで奪わないで」前母()と受け入れへの怒り
わたしが障害者向けのセミナーへ出かけている間に、前の母()が育ての母の家へやってきたそうです。
用件は、
「離婚の真相を教えます」
だったとのこと。
- それはたぶん、もう縁の切れている向こうよりもわたしへ話すべきなんじゃないだろうか(気にならないけど、どちらかといえば)
- そもそも人様の家の離婚理由なんて知りたいか?
とか思ったのですが、最初に思ったのは

おい元母()、なんで来るんだよ…怒り8割
おい同居人、なんで受け入れるんだよ…怒り2割
でした。
そもそも父が同居人から報告を受けた際に「会うのはやめておけ」「受け入れたらはるかが安心してそっちへ行けなくなる」と忠告したそうなのですが、同居人はそれを聞かずに元母()を受け入れたそうで。
父はわたしに黙っているつもりだったそうなのですが、2日経ってから
「もう会えないかも。病気良くなるのを祈ってるよ」
的な、余命宣告でもされてもう死ぬのかなみたいな被害者的な内容のメールが同居人よりわたしへ送られてきて詳細を聞くことになり…

わたしから育ての母まで奪わないで…!
が第1位。
ただ文面を見た父が同居人へ「思わせぶりなメールをするな」などの電話をしたところ
「ひとりでは抱えきれなかった」
と同居人は回答。
「じゃあ会うな」との話ですが、それはさておき。

戸籍まで変えて元母()の抱えきれないものを背負う役からやっと抜け出したのに、ここでもまた背負わされる役なのか……
と失望。絶望。
どこへ逃げればもう責任を背負わされなくて済むのかなと。
同居人に「もう来ないと思うよ」とは言われたものの、育ての母の同居人がこんな感じなのでいつ元母()を招き入れるかわからず…
(以前にも父に隠して元母()を受け入れたことがあり…)
育ての母本人に会うのがしばらく難しくなりました。
それがとても悲しくて、会いに来た元母()と受け入れた同居人に怒りを覚えました。
「なんでここまで来るの…」追いかけてこられる恐怖
わたしは毒親にはネグレクト型と依存型の2種類があると考えています。
ネグレクト型は子どもが出ていったところで追いかけませんが、依存型は何かと理由をつけてぐちゃぐちゃしつこく追いかけてくる執着心の塊だと。
だとすればうちは間違いなく依存型です。
「失敗作」だとか「手に負えない」だとか散々言って手放したくせに、「会わないと書類を渡さない」だとか「会って話がしたい(でも用件は言わない)」だとか、
「私のいないときに荷物取りに来たらいい」と言っていたのに「あんたの物動かしたから私のいるときに来て」との手紙が届き、ストレスフル極まりないです。
そこへ今の家にも押しかけてきて、父経由でメールを送ってきて、育ての母の家にも来て……
怖すぎて外に出られません。
病院も最悪会う可能性があるので、通院すらめちゃくちゃ怖いです。
引っ越して裁判所にも「虐待事由」で出して名前も変えて戸籍も変えて、ここまでしてまだ関わろうとしてくるのが、本気で怖いです。

それは母の愛だよ
と言われることもあるのですが、わたしの半生を知っていたらそんなことは絶対に言えません。
全身不随を「お前が悪い」と言われたとか半身不随でも退院すればこき使われたとか、話していい言葉を弁護士に強制されたとか、半年間部屋に閉じ込められたとか小学2年からずっと家事やらされたとか、
「嫌だったことは何?」と聞かれたら「たくさんありすぎてどれかわかりません」としか答えられないわたしの人生でこれが母の愛だとしたら、

母の愛は随分一方的でいらないものですね
って思うじゃないですか。
追いかけられるのに愛情を感じるのは好きな相手にだけです。
必死に逃げてやっと逃げたと思ったところでまだ追いかけてくるのは、ただのホラーです。
どうにも気の治まらない近況
そんなこんなでメンタルがボロボロになり、たまの現実逃避でTwitterに出てはやっぱり疲れてな生活を繰り返しています。
たくさんメールをいただいていて、一応添付ファイルのないものは目を通し返信しているのですが、
添付のあるメッセージをお送りいただいた方へはまだ返信できておらず、申し訳ございません。
今そこまでの文章が読めないので、しばらくは気ままに思ったことを書く生活をさせてください。
(意味:休憩をください)
返信は順を追ってになりますが、新年のビジネスメールを打ち終わった頃には全員にお返事できるかなと安易な予想をしています。
体調と頭の中がもう少し整うまでお時間いただけますよう、よろしくお願いいたします。
それではみなさま、良いお年を。