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「死生観を問い直す」卒論に苛立ったわたしの心を自己分析してみた

harukaのゴミ箱

はじめに

Twitterで激ギレしてしまった、死に向かう人間の死生観が健常者にわかるのかという件についての自己分析。

ちなみにMSにストレスはNGなので、わたしは我慢できなければ毒も吐きます。

綺麗な言葉を紡げるように、前垢はbot化しました。綺麗なものは綺麗なままで置いておきたい。それもきっとわがままかな。

ツイート内容

以下で一度、Twitterでわたしが立てたスレッドをそのままコピペします。

やっぱだめ。どうしてもひとつだけ納得いかない。
どうしても健常者は健常者で、「死に面した人」の気持ちなんか全然理解してない。
あんなので卒論って言えるならわたしだって書ける。
死に面した人の手記から生きる希望のcoding?
一般化できないとか逃げないでよ。
あんなのただの読書感想文だ。
死に面した人、日常的に死について考える人、そういう人がきっかけを得て生きる希望を見出だすっていうのはわかるよ。
わたしこれでも何回死にかけたと思ってるの?MRIですら呼吸停止だよ?それを何回したと思う?アナフィラキシーで死にかけて、心臓で失神して、それでも毎日生きてるんだ。
死に面した人の心は一本線にはならないんだよ。
手記だから、出版物として残すから、沈んだときはカットするんだ。
わたしの前垢は(たぶん)ネガツイなんかしてないし、病み期の記録はルーズリーフに。
残すものなら明るいものを。他者に光を与えるものを。
死にゆく人としての当然の心理だよ。
心臓病、難病、治療手立てなしの再発防止薬は使えない体質、ただ再発しないように祈りながら、萎縮していく脳の恐怖に震えるんだ。
その気持ちはやっぱり、まともに死を考えた人間、死にかけた人間じゃないとわからないんだよ。
死に面して、どこに希望を見出だすか。
あなたに語ってほしくなかった。
と言っても仕方がないので、あの人の言っていた本を読んでみようと思う。
と思ったけれど、そんなに暇でもないしやめておく笑
だんだん体が動かなくなっていく恐怖も勝手に動く恐怖も知らないでしょ?
わたしは体が意のままに動くうちに、やり残したことがたくさんある。
例えば、自助具の開発とかね。
相変わらず高飛車といえばそうなのかな?(^^;

卒論内容

卒論の内容は非常にシンプルでした。テーマは「日本人の死生観を問い直す―ALS患者と幕末の志士に見る死生観―」というものです。以下はその概要です。

幕末、急激に変わらざるを得ない状況に立ち上がったのは坂本龍馬らをはじめとする若い志士であった。彼らは希望を持っていた。

では現代ではというと、未来に希望を持っている若者というのは、世界平均が約8割であるのに対して、日本では約6割と少ない。

わたしは意外と多いなと思ったけれど…

現代はゆっくりとではあるが大きな変化を要求されている。そこで立ち上がるべき若者は、どこに希望を見出だせば良いのか。

ALS(筋萎縮性側索硬化症)のヒロさん(藤田正裕氏)の手記から、彼のモチベーションをcodingしてグラフ化する。

結論としては、若者が希望を持つためには内部及び外部からのきっかけが不可欠である。

ちなみに彼の手記とグラフは以下のようなもの。グラフはわたしの手書きで外観を模倣したものです。本物はもっと綿密です。

自己分析

では自己分析に移ります。

まずわたしが一番始めに違和感を覚えたのは、このグラフの形状

縦軸は生きるモチベーションの高さを表したもの。診断を受けてから、多少上下するものの、徐々に、下がることなく上がっていく

そして最終結論の、「若者が希望を持って生きるためには内的、外的要因が必要である」ということ。

これ、生きていく上で内的、外的要因に人生が左右されるなんて、調べるまでもなくない?という疑問。

 

生まれてきた以上親はいる。

ニートでない以上実際に誰かと関わる。

ニートならネット越しに誰かと関わる。(少なくともわたしは)

生きている以上環境に左右される。

他にももっと、関わらなければならないものはいっぱいあって、生きている以上何かとの関係性って不可避だと思う。

ということで、質問しました。

わたし自身この半年で何度も死にかけて、そして今はニートの身ですが、Twitterなどで、毎日のように「死にたい」と悩む方、死や生について真剣に考える方と関わっています。あなた自身は、そういう難病ではないにせよ死を真剣に考えている方にとって、何が希望となるとお考えですか」

それに対する返事が、

「それは個人によると思います」

だったので、

それはわたしもそう思うけど、

「卒論っていうからにはそこまで考えないと思考の放棄だろ」

と思ったのと、ただ1冊の本を読んでcodingという名のグラフ書いて卒論って言われると、

「所詮死についてまともに考えたことなんてないんだろうな」

と感じて落胆している自分に気がつく。

「これは論文というよりあなたの個人的な意見のように思うけれど、これを質的研究と言える根拠はどこなのか」

という先生の質問に対してちょっとすっきりしている自分がいたことから、そもそもこの卒論自体の意義を疑っていたことに気づく

先生の質問に対する根拠として挙げたグラフ、そのあまりの単調性を、

「死にかけた人間としては、死と向き合う人間の心理はそんなに単純じゃない」

と指摘。すると、それに対する解答は、

「これはこの人の手記の話であって、一般化できるものではない」

とのこと。

そこでやはり、「一般化できないなら何でこのテーマ選択したの?何の為に研究したの?」と研究意義を疑う自分に気がつく。

そして最終結論としては、

卒論というから、論文、研究というからには、

基礎研究なら基礎を解明するべく努力するべきだし
応用研究なら人のために役立つ研究であるべきだ

と考えている自分に気がつき、就活をしていた頃にお世話になった先輩だからこそ、もっと真剣に考えてほしかった、

親しみを感じていた先輩だからこそ、死にかけた人間として、もっと理解する努力をしてほしかった、

要するに、

死と向き合う人間のひとりとして、その心理を、比較的近しい人にも理解してほしかった

という自分自身のわがまま、過度な期待、そしてその勝手な期待を裏切られたという失望感が苛立ちの原因だということに気づき、自己分析を終える。

だって、

「久しぶり!」って言いながら痙攣しそうに震える手で握手やハイタッチする気持ちなんて知らないでしょ?
「歩けるようになりました!」って報告しながら、実は脚の感覚がなくて重心を探っていることなんてわからないでしょ?
いつ加速するかわからない心臓に、いつ起こるかわからない痙攣に怯える気持ちも、いつ疲労で見えなくなるかもわからない目に怯える気持ちも、
平気な顔をして卒論を聞きながら、全身の痛みに耐える気持ちも、
全部全部、知らないでしょ?

だから寂しかった。わかってほしかった。

わたしや、わたしたち死に向き合う人間が、どれほどの覚悟で毎日過ごしているかを、簡単な言葉で終わらせてほしくなかった。

だから、わたしは苛立ちました。

そうした苦悩は、たった1人の本から得られるものではないと思うから。
理解してほしい、理解されないと悩むわたしの仲間たちの存在を、蔑ろにされているような気がしたから。

このままで終えてしまうと本当にただの読書感想文に対する感想文になってしまうので、わたし自身の死生観について考察します。

https://harukams-medicalbeauty.com/si/

今回のテーマのご本を否定するものではありません。
この方が向き合われたことは本物の死で、それは凄まじい決意と献身を伴うことです。
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まぁるいせかい管理人
haruka(はるか)

多発性硬化症+名前も研究中の希少難病などを併発した23歳女子。京大医学部中退。仕事は小説家とライターとカウンセラーと極秘。
今の夢はお嫁さんと福祉用具開発プロジェクトの成功☆
詳細プロフは管理者情報を見てね♡

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