ALS女性を安楽死させたとして医師2名が逮捕された、とのニュースが日本全国を駆け巡り人々が「安楽死」について考えるようになった今、
わたしが感じたのはまさに、これから殺される恐怖でした。
安楽死への意見まとめ
わたしの思いについて語る前に、まずは安楽死への意見を賛成・反対ともにご紹介しましょう。
安楽死賛成派の意見
- 安楽死は希望
- 生きる権利は既に保証されていてもはや「生きる義務」になっている
- 自殺は悪なのか
- 「死ね」と言われながら生きなければならないのか
- 死にたい人は線路への飛び込みや飛び降りなど無残な死に方をしなければならないのか
わたしのTwitterのフォロー特性上もありますが、わたしと同じような神経難病患者さんにこういった意見は多く見られました。
わたしの抱える神経難病はひとつではないため安易には語れませんが、徐々に動けなくなる身、気分に変調を来す身、既に左手以外はかなり動かなくなってきている身として、こうしたお気持ちはよくわかります。
わたしも
- なぜ生きなければならないのか
- 死にたい人は残酷な死に方を選ばなければならないのか
- 死んでからも「社会のお荷物」「迷惑」と言われなければならないのか
たくさん考えます。
安楽死反対派の意見
これらは溢れているのでまとめる必要もないのではと感じましたが、一応まとめます。
- 「〇〇が安楽死したからお前も安楽死した方がいい」という同調圧力を生まないか
- 安楽死に見せかけた殺人が横行しないか
- 生きやすくするのが政治ではないのか
などが主な意見です。
こちらも同じく、よくわかります。
わたしは安楽死が認められていなくても「障害者は死ね」と常々圧力を受ける身なので、こうしたことを健常者のみなさまが考えてくれることもありがたいなと思います。
わたしの立場について
わたしは決して安楽死を否定する立場ではありません。
苦しくて「もう殺してくれ」となったとき、わたしも痙攣の酷さに死を望んでいる身として、最後の手段として安楽死が残されていることはとても「患者にとっての」安心感に繋がる可能性があります。
それは否定しません。
ただ怖かったのは、ALSの議員さんが安楽死反対の意見を述べたところ、
と語られたことです。
おいちょっと待てよと。
お門違いも甚だしいです。
今必死に生きているその事実を嘲笑された気持ちになります。
わたしは今、わたしとの将来を考えてくれる人のために、生きていたい。
それはやはり、病人・障害者だから、許されませんか?
ALS女性の事件を受けて
わたしがこんな「殺される」恐怖をひときわ強く感じているのは、病人であり障害者である自分は真っ先に「排除対象」となるだろうと考えているからです。
わたしの意見は、
です。
人生は誰かにリストラされるような代物ではありません。
ようやくわかった
わたしの違和感の正体は、
本来病人や障害者を積極的に支える制度を作ってもいい健常者の政治家が
ひたすらに安楽死尊厳死を語って死をプッシュすることだ
苦しむ人の救済としての安楽死は否定しないが
病気や障害にかこつけての排除殺人は認められない https://t.co/FL859Doihn— はるか@政治アカ (@haruka_politica) July 29, 2020
ALSの人はじめ難病患者はみんな絶望していて死にたいと考えていると他人に決めつけられる屈辱を味わっている。
なぜ難病患者自身が生きる権利を主張しなければならないのか。 https://t.co/QE5vByclPf— はるか@政治アカ (@haruka_politica) July 29, 2020
以下の「安楽死を望む理由」をご覧ください。
死を願う理由は?
ALS同様に治らない疾患をもつ身としては、動かなくなる体をもつ身としては、
ある日突然病気になって「一生治らない」「悪化していく」と言われれば、誰だって一度は考えるのではないでしょうか。
ただ誤解しないでいただきたいのは、
という思考回路であって、積極的に死にたいわけではありません。
治るなら、少しでも希望が持てるのなら、生きていたいです。
わたしは悪化していくしかない病気でも「この人のためなら死んでいい」と思える人がいるから生きていますが、そうでなければ自死を選択するだろうし未だによく自死の衝動に駆られます。
それくらい、先に残酷な死しかない病気はつらいです。
今回の女性も、もし病気にかからなければ安楽死など望まなかったのではないかと想像します。
難病だけではありません。
死にたいと思うその気持ちの根本には、難病以外にもさまざまな理由があるはずです。
わたしも一応はカウンセラーの端くれなので、さまざまな方のご相談にのりますし、ときには自殺相談も受けます。
みんながみんな、それぞれ違う理由でもつらい思いを抱えながらなんとか生きようとしています。
生きるための何かを見つけようとしています。
その、病気の苦しみ、将来への絶望、死にたくなる理由。そんなことを想像せずに
そんな簡単で安直で愚かな発想を、わたしは全否定します。
これは政治ではありません。
ただ殺人を合法化しようとしているだけです。
政治であるなら
政治であるならば、そういった国民の死にたくなるほどの苦難、苦痛を想像し、国民の苦しんでいる声を聴いて、それを救おうと動くべきであるはずです。
わたしは、
だと考えます。
決して「国家の維持のため」に、医療費などの予算を使う「社会的弱者」と呼ばれる人々を切り捨てることが政治ではないはずです。
そんなことをするくらいなら、日本なんて潰れた方がマシです。
という最後の1文は極論ですが、少なくとも
という点については、ご理解を得られるのではないかと思います。
死そのものについて
わたしは安楽死を求めてスイスに行く方を見送りました。
何度も自殺行為を繰り返す方も知っています。
わたし自身も自殺企図で精神神経科へ強制入院がかかったことがあります。
それでも苦しい思いからは逃れられません。
このページでは「安楽死を安易に語るな」という意図に基づき安楽死制度の否定を述べていますが、もっと国民やそれこそALSの議員さんの声を聴き、ゆっくりと議論していくのであれば問題ないと考えています。
なぜなら、繰り返しますが安楽死が最後の希望となることもあるからです。
そして願わくば、わたしがこんなことを言わなくても済む社会を作ってほしいです。
次の世代のためにも。
現在思うことは以上です。ご覧くださってありがとうございます。
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