久しぶりの通院記録です、こんにちは、こんばんは、おはようございます。
散々「たとえ寿命が縮んでも薬はやめる」(Part1・Part2)と言っておきながら、ちょっと考え直した話です。
「こいつ優柔不断だな~」と思うでしょうが、これもリアルな闘病かなと思ったので書くことにしました。
薬を飲みながらの妊娠可能性の話や、若干ワクチンの話もあります。
これを読んでくださっている方には同病さんも多いので、何かしらが届けばなと思っています。
脳神経内科での薬調整と妊娠可能性とワクチンへの助言
前回の診察で血液検査をしましたが、その結果、免疫の数値には異常がなく…

後遺症かもしれないね
何の後遺症とははっきり言っておらず、わたしがなんとなく

ワクチン後脳症のこと?
と思っているだけになりましたが、そして

いや、でも前は「再発の症状が見られるから何らかの免疫系の病気だったはず」とか言ってたよなあ
とも思いつつ、もう病名調べは主治医に「今の医学ではわからない」と言われた段階でやめにしたので深く突っ込まなかった診察日は、

とにかく薬を飲んで!
と懇願されて終わった2週間前からの経過を話すところから始まりました。
血液検査結果と免疫抑制剤・痙攣止めの服薬調整
血液検査で免疫の数値に異常が見られず、ただ痙攣だけが悪化していたため、
にしました。
中性脂肪値、コレステロール値、LDL値がまた高かったので落ち込んでいたのですが、主治医に「でも良くなってきてるよ」と言われめっちゃ喜んだところ

何かしたの?

(なんかしたっけな自分…)

何もしてないのか(笑)

(何もしてな…)あっ!
ヨーグルト豆乳、毎日作って飲んでます!

(「うんうん」的に頷く)

あ、あと(血糖値が上がりにくいように)野菜から食べるとか、カフェオレに砂糖入れないとか、そういう、些細なことを…(声が小さくなっていく)

(「うんうん」的に頷く)
あの助手さんも看護師さんも含めた生温かい笑顔と頷きの空間、ぜひ味わってほしいです。
痙攣止めを増薬する選択
「できれば3錠か4錠飲んで」と言われたこの2週間、確かに4錠飲まなければ右側腹筋の痙攣のせいで呼吸困難が悪化していくばかりだったので、ちょっと自分でも考えました。
半端にでも動ける病人と動かずに死を待つだけのトド
どっちがマシか
すぐに死ぬならそれで良いけど、お腹や首の痙攣での呼吸困難って案外長生きというか、なかなか死ねません。
そういう「呼吸困難になる窒息」を混じえて、もう3年生きてます。
あと何年、

うわー息止まってるー。
時間数えよー。
を続けるのかわからないとしたら、なかなか死なないくせに生きてて何かと注文も多くてこれから「結婚しよ♡」とか言ってる自分の脳みそがカオスな気がして
何もできないけど生きながらえている人を貶したいわけではありません。
生きてるだけで価値はあります。そこ大事。
「やりたいことを自分でできないようにしてるんだもんなー」と思っていたところに、ちょうど子供を亡くした親御さんとお話しする機会もあり、また何ヶ月にもわたって減薬を家族から疑問視&止められていたことから、

効いてそうにない薬はカットすることにして、痙攣止めは残すしかないか…
との結論に至りました。
だって、なくしたら動けないし。死ぬまで。
痙攣止め(テグレトール)が与える妊娠への影響
ですがそうなると気になるのは薬が与える妊娠への影響について。
前々から

なんでそこまで薬をやめたいの?
薬は悪じゃないよ?
と尋ねられ諭されていたのですが、いかにマイ・ベスト・ドクターであろうと男性は男性なので言いにくかった「子供がほしい」という理由をようやく伝えられると、
さすがはマイ・ベスト・ドクター。
ナチュラルに調べてくれました。
やっぱ隠し事はするもんじゃないな。というか言ったことなかったっけ?
あれは精神科の先生の方か?
話しすぎてわからなくなっている説も濃厚ですが、とりあえず伝えることは大事ということで。
抗てんかん薬(わたしの場合は痙攣止めのテグレトール)は飲んでいる段階で奇形児が産まれる可能性がある。
でもその可能性はそんなに高くない。
抗てんかん薬を飲みながら妊娠する人はたくさんいる。
ただテグレトールに関しては、大量服用は妊娠しづらくなる可能性が高い。
テグレトールはMAX1200mgまで処方できる薬で、君は今800mg飲んでいる。
多いとはいえない。
大丈夫だろうけど、これ以上飲むのはあんまり良くないね。
これを聞いて「良かった~」と思えるかどうかは人それぞれではないでしょうか。
少なくともわたしは、はじめの「奇形児が~」の段階であんまり安心できないタイプです。
だからといって超絶心配になるタイプでもなく「あ、やっぱり…」くらいの感覚なので、とりあえず今度婦人科に行こうと思いました。

病院嫌いで絶対行かない!とは言ったものの、たぶんわたし妊娠しにくいタイプだと思うので、子供関連は行かないといけないだろうなと思っています。
「抗てんかん薬使ってる人診るのは久しぶりだからね~」とおしゃべりしつつ見せてくれた「妊娠と授乳」という分厚い医学書。
「心配ならこれを買って読め」という意味なのか、単に見せてくれただけなのか。
ちょっと判断がつかずに迷っています(笑)
ワクチン後脳症疑いへのワクチン接種について
かなり繰り返しになりますが、わたしは学部柄B型肝炎ワクチンを5回接種後に全身不随になっているため、ワクチン後脳症も疑われました。
そんな人間が新型コロナワクチンを打てるかというと……
主治医は「止めはしない」と言いましたが、さすがに「やめておきます」「うん、まあ君はその方がいいかもね」と会話していました。
しかしひと月ほど前、主治医から

君は今若いから打たなくて良いとは言ったけど、20、30年後にもし今回(コロナ騒動)みたいなことがあったら、そのときは打ったほうが良いと思うよ。
との助言を受けました。
ワクチンを受ける受けないはそのときのわたしの判断次第ですが、ひとまず「ワクチン後脳症の人はその後一生ワクチンを受けられないわけではない」と伝えるために書き残します。

ただ今のわたしは「ワクチンが発症のきっかけかも」と言われながらワクチンを打つのは怖いなと感じています。
精神神経科での薬調整と妊娠可能性への助言
精神神経科では毎回お薬の相談をしますが、今回は脳神経内科で(精神神経科でもよく扱う)テグレトールと妊娠の話が出たことで、ちょっと不安定なことになりました。
800/1200は多いか少ないか
という、個人の「多いと感じる量」を問う絶妙に哲学的?な話題になってしまいました。
ちなみに先生もわたしと同じく「多くないとは言えないかなあ」だったので、脳神経内科主治医の「多いとはいえない」の言葉選びに脱帽しています。
薬と症状が与える妊娠の可能性について
また妊娠の可能性についての薬の量は医師によって相当見解が異なるとのこと。
主治医が大丈夫と判断しても、本に大丈夫と書いてあっても、他の先生が同じ判断をするとは限らない。
ただ精神神経科の先生いわく

薬による害のほうが目立っちゃうけど、元々の症状による害もあるからね。
それはデータに出ないからわからないけど。
とのこと。
まあ、たとえばわたしが妊娠したとして、薬をやめて頻繁に酸素濃度が下がりつつ腹筋の痙攣でお腹を頻繁につねりつつしていたら、赤ちゃんを潰してしまって流産するだろうなとは安易に想像がつきます。
そういう「元々の症状による被害」を抑えるために、最低限のお薬は必要だよねと…
わかってるけどさあ…
言って良い?
いや言うんだけど。
元々の症状もないのが1番だよね~。
恒例のないものねだりです、すみません。
当分の目標は「昼夜逆転の逆転」
精神神経科では毎回次の診察までの目標を定めるのですが
今回は「試験に向けて増えたテグレトールの副作用:眠気をコントロールし昼夜逆転を逆転させて規則正しい生活を送ること」でした。
書いている2022年4月5日、約1.5週間後ですが、きれいに逆転したままどうにも調整がまだうまくいきません。
ついでに生理も重なっているので手脚のしびれや痙攣が酷く、起きているのがちょっと、いや相当に苦痛です。
正直すぎてごめんなさい。
今起きている以外はずっと横になっているので、たぶんまた太りました。
とりあえず月末の試験、頑張りたいです。
診察については以上です。
「命をかける」は意外と本人だけの問題ではない
「命をかけて」減薬して「命をかけて」生き抜いて「命にかえても」子供を産む。
「減薬」の部分以外は誰でもやりそうなことだと軽く考えていました。
ただ「子供に先立たれた」話や「最後まで苦しみながら」亡くなった親戚を看取った話や「子供を産んで亡くなった」話を聞く機会があり、
また普段入院したときなどに出会った同病さんに対して「できるだけ苦しまずに済む道を」と考えていたことを思い出し、
たとえこの命と引き換えてでも、できるだけ健康な子供を産めるように、自分がどれだけ苦しかろうが、薬は飲まずにいられるようにしよう
減薬を始めたとき、精神神経科の先生に語っていた理由は上の通りでした。
ですが……

苦しむ方を選ぶ意味が僕にはわからない
わたしも「わたしドMなのかな…」と思ったくらいです。

どんどん動けなくなっていくの、見ていられない
最近までPCを開けず、未だにほぼ寝転んでいるわたしを見ていれば当然の感想です。
腹筋の痙攣を避けやすい姿勢となると、どうしても仰向けが1番になってしまいます。
2日ほど前、久しぶりに簡単なパスタを作れましたが、腕と脚に弾性バンドの支えが必要でした。

たとえ死んでもって言ってたけど、旦那と子供遺してどうなるか考えてるか?
愛すべき子供を遺して、愛せないまま死ぬ。
それは子供にとって残酷すぎるし、旦那にとっては、愛すべきお荷物を託された感覚かもしれない。
産むときに死んでしまうのと、最初から自分は死ぬつもりで産むのとは、全然違う。

痙攣自体も胎児に影響するからね
じゃあ、薬がなければ健康な赤ちゃんが生まれやすいとは断言できないのか。

お願いだから幸せに、楽になれる方を選んで?
楽になれる方は、4錠どころかもっと薬を増やす方だろうけど…
幸せになれる方って、どっち?

はるちゃんいないと、僕さみしい
この人達を遺していくのは、なんか心配だ。
自分はこの世を去る覚悟をしていても、周りは「遺される覚悟」をしていない。
どれだけ薬が末期がん患者用だろうが、わたしは末期がんではない。
心臓とか眼球とか耳だとか細かな部分を除いて、割と内臓は元気な方だ。
徐々に悪くなるとは家族みんな覚悟しているけれど、それほど急スピードだとは思われていない。
むしろ今が寛解期で「今は悪くならない」と信じられている。
末期がんだったらだとか寛解期じゃなかったらだとかそういう問題でもないけれど、とりあえず今のわたしは「いつ死んでもおかしくない」とは思われていない。
わたしは常々「自分がいつ死んでもおかしくない」と思っているけれど、周りの評価は別だ。
自分はいつも言葉通り命をかけて全力で行動しているけれど、周りは「命をかけられている」とは思っていない
だから「命をかけて」とか「たとえ死んでも」とかの言葉に、過剰なほど反応する。
自分ではもう覚悟しているから今更なことでも、周りの人は「覚悟」できていないから慌てる。
なるほど。
わたしが「自分はいつ死んでもおかしくない」って覚悟しているだけじゃだめなのか。
周りの人も「わたしはいつ死んでも…」って思ってくれていないと、わたしは安心して命をかけられない。
命がけで何かを遺そうにも、なんだか不安になる。
子供に関しては「自分で育てたい」っていう強烈な未練があるので、周りの人の覚悟どうこうだけの話では済みません。
ただ周りの人にもそれなりの心づもりをしていてもらわないと、命をかける本人も命をかけて行動できない。
それは一種の事実なのかなと感じました。

奇形とか障害をもって産まれてきても愛せるか…
診察終わりにぼそっと呟いていた精神神経科の先生の言葉が妙に耳に残りつつ、いろいろな人との会話からいろいろ考えさせられた診察日でした。