2022年3月16日の朝。
音楽を聴きながらひとりベランダにて朝日を待つなかで考えていたことがある。
近況も含めてつれづれなるままに書くので日本語として怪しいかもしれないし、通院記録を別で書いているので順番も前後してしまうけれど、お付き合いいただけるとありがたい。
誰も教えてくれない「病んだときの対処法」
「病んだときにどうすればいいんだろうか?」
誰に聞いたって、良くて
「好きな音楽を~、好きな香りを~」
病んだときって、いつも好きなものすら好きだと思えないくらいに病むのに、「好きなもの対処法」で終わってしまう。
今日の課題
「好きな音楽すら聴けないほど落ちたときの対処法を探す」誰に聞いても
「好きなものを〜」
って言われるけど、好きなものを好きに感じられないほどつらいときの対処法は未だに誰も教えてくれない「自分の機嫌は自分で取れ」って意味かもだし
「そこまで落ちるな」って意味かもしれない— 紫乃はるか@時代を先駆けしすぎた作家 (@shinon_haruka) March 12, 2022
そんな酷い「病み」が続くと「入院する?」と言われて、
- いや、入院したってその時だけだよね
- 対処療法だよね
- その時もなんとかしないといけないけれど、予防もいるよね
とか色々考えてしまう。
今のところは「朝日を待ちながらいつもなら好きなはずの音楽をかけて、ボーッとできないから物思いに耽る」になった。
徒然日記的に何か書いてみようと思ったのは、今日の物思いがきっかけ。
本当は試験勉強しろよって思ってるし、わたしの大脳新皮質もそう言ってるんだけれど、扁桃体やらその辺の原始脳あたりは「おうおう良いんじゃね?無理してると体壊すぞ?」って言ってる(気がする)から、たまには楽な方にしたがってみたい。
「別分けってすごい…」ラーメンの保存方法に感動した話
みなさんのお家では、晩ごはんの時間に間に合わなかった人の分のラーメンはどう保存しておくのでしょうか。
わたしは

間に合わない方が悪いやん?
的な発想なのかは知りませんが、完成した状態でレンジへ放り込んでおかれるのが基本?でした。
少なくとも物心ついたときにはそんな感じで、遅れた人は伸びた麺を食べるのが「遅れた罰」的な「常識」でした。

わたしはその場にいる人の分しか作らないのを常識にしていたので、それはそれで不親切だったのかもしれません。
ただやっぱり、常識は家庭によって違いますね。
昨日ラーメンと予告されていたにも関わらず薬の配分を間違えて深夜まで寝てしまい、伸びた麺か何も用意されていないことを覚悟していたのですが、
ゆでた麺と、トッピングのゆで卵とが別々の容器に!
スープはお湯を沸かせば作れる状態で!
用意されて、冷蔵庫に入っていたんですよね。
各ご家庭に1台はあるだろう、便利なあのお方
T-falさんにお願いすれば、伸びていないおいしいラーメンが食べられる状態でした。
この保存方法に感動して今朝お礼を伝えると、

当たり前やん
と言われたので、
常識って人によるよなあ
としみじみ感じていました。
腐ったラーメンを食べさせられた話
小学校2年生の夏、まだわたしが家事を担っていなかった頃、中華そばにしめじを乗せたものを晩ごはんとして出されたことがありました。
半分以上がしめじで、麺はわずか。
しめじの「じく」で麺のつるつる感を出そうと狙っているとしか思えないほどの「しめじ率」
きのこ嫌いのわたしにはいじめとしか感じないほどのしめじ率。
幼いわたしが「食べない」と反抗したところ、返ってきたのは「食べるまで同じものを出し続ける」宣言。
好き嫌いの激しい子供を抱える親なら行き着きそうな強硬手段だと思うのですが、いかんせん保存場所が悪かった。
真夏に、レンジで。
ひもじいと眠れないことを、あのとき知りました。
お腹を空かせて迎えた翌朝。
パンやご飯を食べる家族のなかでわたしには「しめじラーメン」が出される。
でも、どう見ても腐っている。
箸でしめじをつかもうとすると、しめじが崩れて謎の粘液がへばりついてくる。
でも

食べへんかったら今日の夜も出すからな
この人は本気で、今日の夜も出す。
そういうことは有言実行だから。
今日の夜には、今日の真夏の昼の室温を経て、きっともっと腐っている。
絶対お腹を壊す。
というかこれ以上謎の粘り気を見せる「何か」を口に運ぶ勇気はない。
箸でつまめないしめじを「すくって」なんとか口に入れれば…
うん、絶対に腐っている。
嫌いとはいえ食べたことがないわけではない、むしろ節約には超味方のしめじはよく食べていた方だと思うけれど、これまでの経験が覆るような「しめじじゃないというかもうこれ食べ物じゃないよね?」って味がして、喉が締まった。
わたしは吐き戻しが1度もなかったくらいに、体調不良以外では吐かない。
吐けない。
一旦喉を通ったものは確実に胃へ向かう。
ただし吐き気はある。
「こいつは危険だ!」と、喉が言った。
はじめはそれでも頑張って流し込んだけれど、半分を超えた時点で限界を迎えた。
わたしは口の中にしめじを詰め込んで、同じく腐って粘っていた麺だけ皿に残した状態で「もう食べれません」と、その皿を母()に見せた。

よく食べたね!
好きな麺より嫌いなしめじを食べたことで、褒められた。
母()は麺をゴミ箱へ捨てた。
母()が別の用事をしている間に、わたしは口の中に溜め込んだ腐ったしめじを、ティッシュへと吐いて丸めて捨てた。
- 食べ物を粗末にした罪悪感
- 無駄に使うなと言われていたティッシュを1枚使ってしまった罪悪感
母()を騙したことよりも、この2つが未だにつきまとって仕方がない。
数年後、もう料理はわたしが担うようになった頃、「あのときのラーメン腐ってたよ」と伝えた。
「気づかなかった」と言われた。
あの、どう見ても見るからに腐っていた物体を。
「食べ物は残すな」との教訓が一際厳しかったあの時代に残った麺をあっさり捨てた母()の行動への謎はさておき、
真夏のレンジ保存は腐るに決まってるだろ
と、子供ながらに思った。
障害者の人権と「常識」の分厚さに苦しんだ話
この時代に「障害者も人間です」って文書を作成して役所に提出する羽目になるとは思わなかった。
— 紫乃はるか@時代を先駆けしすぎた作家 (@shinon_haruka) March 14, 2022
はじめはただ、ヘルパーさん個人ともめただけだった。
色々トラウマをえぐられたり、危険な車椅子介助をされたりしただけだった。
わたしにとっては大事だけれど、世間的に大事にする気はなかった。
ただトラウマをえぐられて、色々考えた。
「お金出してもらったのに、不満そうやね」
「感謝してないの?」
ヘルパーさんに言われた言葉のひとつ。
お金……出してもらったというか、奨学金とか貯金で……家に住んでるからって部屋代請求されたりとか……
色々思うことはあったけれど、これはわたしが虐待を受けて裁判所まで行って戸籍変更してきたことを伝えていなかったのが悪いのだろうか。
絶対違う。
「親は子供を愛し、育てるのが当たり前」
この常識がおかしい。
最近はウクライナ情勢ばかりだけど、それまでは毎日虐待事案がニュースになっていたなかで、まだ「子供を愛していない親はいない」という「常識」を持ち続けられる方が、わたしにとっては異常だ。
親も一通りじゃないんだから、子供を愛してない親だっているだろう。
愛したいのに愛せない親も、愛情表現がどうしてもおかしくなってしまう親も、その結果子供に逃げられる親も、いるだろう。
そんな多様性も内包して世界は回るんだから。
ヘルパーさんとの話を苦情受付に指定されていた役所に連絡したら、そのときの対応に関してとても大事になってしまった。
結果的に「障害者も人間ですので怒るときは怒ります」だとか「今後同じ被害を出さないための対策案」だとか、色々提出することになった。
障害者も人間だし、子供を愛さない親もいる
こういうのも常識のひとつになれば、わたしはとても嬉しいというか、この忙しいうえに体調不良極まりない時期に頑張った甲斐があるなあと思う。
今朝の徒然は、大体こんな感じでした。
読んでくれてありがとう。
今もらっているメールやDMに関しては、ごめんなさい、お返事が遅くなります。