恐らく「入院準備記録」なんてけったいなものを書くのは今回が最後だろう
と思いながら入院前の「別日に」わざわざ行った検査と、疑問だらけの質問事項、問題だらけの対応について、
そして「コロナ禍」について考えていること、問診については読み飛ばしてもいいから後半はぜひ知ってほしい。
入院準備
新型コロナが流行っているとのことで、院内感染対策なのかわたしの入院する病院は
入院2日前にPCR検査
を義務付けられていました。
PCR検査
そう思っている人がほとんどの様子ですが、それは違います。
が正解です。
実際にわたしが緊急搬送されてPCR検査をしたときには、意識も朦朧としていたので正確にはわからないものの数分~10分後には結果が出ていました。
入院患者が多いのでまとめて検査をするから2日前というのは理解できるのですが「検査後にかかっているかもしれないからあまり意味はないよな」とつい考えてしまいます。
ついでに「PCR検査陽性=新型コロナウイルス感染」でもないので、余計に検査の意義は疑います。
ただもうそこを訴えても世論は「PCR検査陽性=新型コロナウイルス感染」と定着してしまい変わらなかったので、一旦置いておきます。
問診内容が「当てはまる」病気
新型コロナ感染や後遺症の症状は健康な人ならそう当てはまりませんが、病気をもっている人なら当てはまりやすいです。
では質問事項について。
①喉の痛みはありますか?
「ありません」
ここはスムーズでした。
②息のしづらさはありますか?
「普段からです」
そう答えると「今ありますか?」と聞き直されました。
わたしの日本語が悪かったですね。
「普段から、今もあります」
そう答え直しました。
「え……」
「え……」とか言われても、首の筋肉の痙攣が酷かった後遺症で未だに首の筋肉の協調性がなくて息もしづらいしよくむせます。
ついでに喘息もちです。
普段から息はしづらいですよ、当たり前じゃないですか。
なんてことは初対面の方には「当たり前」ではなくて当然なのですが、理解してもらうのにも時間がかかるし「筋肉の協調性が~」なんて話は説明したところでほとんど理解されないので、
「持病の後遺症です」
とだけ伝えておきました。
③頭痛はありますか?
「あります」
「え……」
多発性硬化症の症状と、免疫抑制剤やステロイドの副作用、そして元々の偏頭痛。
頭が割れそうな頭痛くらい普段からお付き合いしています。
④だるさはありますか?
「あります」
「えぇ……」
いや、多発性硬化症の症状に「易疲労性」というのがあって、それがリハビリの障害になることすらあるくらい、
- 疲れやすいし
- 疲れは取れない
1日動いたら、人によりますがわたしは少なくとも1週間は動けません。
だから単純に「だるさはありますか?」と言われても「常にある」としか言えないんですよ。
嘘をつかなければ。
⑤味覚はありますか?
「あります」
⑥嗅覚はありますか?
「……あります」
ぎりぎりですが、なくはないです。
恐らく免疫抑制剤を飲んでいる人間は風邪の症状すら出にくいことがあるので、そして上記症状はほとんどもっているので、味覚と嗅覚くらいでしか判断がつかないと思います。
問診結果への質問
わたしがあまりに当てはまりすぎたので「コロナではないですよね?」と言われたのですが、それを調べるのがPCR検査であり、この問診はPCR検査前です。
質問の意味がわかりません。
「持病です」
そしてそれを治療するために入院するんです。
看護師さんからすればこれだけ当てはまるのは意味不明でしょうが、わたしにとっては病人なら誰にでも当てはまるようなものを新型コロナへの問診項目としているほうが意味不明です。
こんなもの嘘をつかなければ「入院患者」は大抵当てはまります。
そして味覚や嗅覚があるかを質問するのなら、本人に聞かなければわからないことでしょう。
なぜ同行者へ聞こうとするんですかね。
頭痛がある、だるさがある、味覚や嗅覚がある、そんなこと外見でわからないでしょうに。
わたしの視野がないこと、外見でわかりますか?
わたしが難病者だと、外見でわかりますか?
無理です。わかりません。
首からチューブ飛び出して車椅子に乗って入院していたって妊婦と間違われて「おめでとう」と言われるんですよ?
誰が「血を入れ替えるために入院中」だとわかるんですか。
以前にも「難病手帳」や「障害者手帳」の話をすると「難病なの?」「障害者なの?」とやたら顔を見てくる人々に出会いまくり、
「ステロイド性満月様顔貌とただの肥満との区別すらつかないやつがどうやって病人かどうかを顔で見分けるんだ」
と浅はか過ぎる頭にムカついた話をしました。
諦めて潔く本人に尋ねれば良いものを、変に気遣っているのか本人には尋ねない。
病気を治療するための病院に、本人への問診を避けるなんて気遣いはいりません。
新型コロナ感染について
たくさんの方が新型コロナで亡くなり、亡くならなくても苦しみ、「後遺症がつらい」とおっしゃっているのは知っています。
ただそもそも、
元々その症状で苦しんでいる人もいるんです。
多発性硬化症に限らず、慢性疲労症候群やそれこそ抗神経抗体症候群の人も。
難病患者が味わう絶望の話をしよう
新型コロナへの治療薬が次々に承認される一方で、わたしが今回試す薬の承認は半年先延ばしにされました。
承認されない、販売されない、使えない、試せない。
新型コロナウイルスにかかろうがかかるまいが、その症状はあるんです。
新型コロナだけが大変なわけじゃない。
今回ワクチンの供給不足で「薬がない!」という不満は味わったでしょう。
「コロナは治療薬がないのに!」という恐怖も味わったでしょう。
初期には「なんで海外では使える薬が日本では使えないんだ!」と怒りを感じた方もいたことでしょう。
すべて、難病患者が未だに味わっている苦しみです。
まだコロナについては難病患者の大半が味わう
- 薬のない絶望
- 治療法のない絶望
- 進行していく絶望
- かかった瞬間に余命がみえる絶望
- 患者数が少ないために薬すら作ってくれない絶望
- 原因すらわからない・特定できていない絶望
- 「それでも諦めないで」と謎の励ましをされる絶望
- 周囲が民間療法や宗教信仰へすがって詐欺に遭う絶望
- やっとの新薬ですら大衆のかかる病気への薬が優先される絶望
まだまだ挙げられますが、こういった絶望はまだ味わっていないのではないでしょうか。
以前facebookで「すべての痛みが治る!」との本を無料公開していたので読んだところごく一部の痛みに対してしか効かない内容で、評価を求められたため
とコメントしたところ、
「無料ってなんかこわーい」とか別にコメントしている方に
と要約できる長文でやたら絡まれたのですが、うん、あのね、
圧倒的マジョリティに踏み潰されてどんどん承認が遅れたケシンプタは、糖尿病のインスリンと同じ皮下注射のくせに自己注射は禁止されています。
「使う人が増えれば自己注射も認められるだろうけど」
と言われましたが、そもそも多くの人が使う薬ではありません。
毎回通院しなければいけない。
少数にばかり負担を強いられる。
コロナへの恨みはありますがコロナ罹患者への恨みはありません。
ただわたしにとっては大騒ぎしすぎであり、少数の苦しみの声をかき消しすぎだと思っています。
「コロナ禍」が嫌い
そもそもどうして「コロナ禍」なんて呼ぶんです?
感染症の流行はたしかに災害かもしれませんが、「禍」という漢字は「しめすへん」。
神様に関係するものです。
「禍」の元凶は緊急事態宣言の中途半端さ
ただ明らかにここまで流行して医療が逼迫しているのって、
患者が増えれば緊急事態宣言、ちょっと減れば解除
これを繰り返したからじゃないですか。
ずっと緊急事態宣言を出していれば、もしくはドイツみたいにさっさとロックダウンしてしまっていれば、ここまで医療者が疲弊する状況はだらだら続かなかった。
中途半端に解除するからずっと病院が大変なんです。
一旦医療を破綻させてでもとにかくストップしていれば、少なくとも医療関係者はここまで何年も休みなくずっと働いて疲弊する現状は生まれなかった。
病院がストップすればかなり危機的なわたしですら「医療者を休ませるならロックダウンだろ」とは思います。
「経済か人命か」
そう疑問提起されたときから「人が生きてさえいれば経済は回る」とツイートし続けてもなんら変わりなかったので今更もうツイートはしませんが、
経済ごときが人命と比較されるのがおこがましいんですよ。
「命はひとつしかない」とか普段は説教するくせに、1番大切だろうときになぜか蔑ろにされる命。
これ、別に「禍」じゃなくて「人災」です。
もちろんはじめは天災ですよ?
感染症の流行、ペストとかと同じ「その時代にはなかったものが現れてテンパった」状態ですから。
ただその後を考えると、火事が起こったところにみんなで放火して大騒ぎしてるみたいなものです。
火事をしずめたいのかキャンプファイヤーしたいのか、わたしにはさっぱりわかりません。
「コロナ禍」でごまかさずにカウントしてほしい命
怖がる人は怖がればいいんです。
ご自身の自由で怖がればいいんです。
だから怖がらない人に無理やり「怖がれ」とも言いません。
わたしはもうほとんどの症状があるし、かかっても悪化して最悪死ぬだけなので怖くないです。
「自分はかからないへへーい」と勘違いして怖がらない人は、馬鹿やアホと罵られながらでもそう勘違いしていればいいんです。
自己責任のうちで、勝手にすればいいんです。
コロナのニュースは毎朝毎夜時間を問わず回り続ける。
罹患者からの「こんな症状があるから気をつけて」の声も強烈に届く。
でも、
- その陰で踏み潰される命があること
- 「こんな病気もあるから気をつけて」と叫ぶ声はかき消されていること
忘れないでほしいです。
「ごく一部だから」ってまるで存在しないかのように扱われる命が存在することを、わたしはとても悲しく思います。