真面目な話は「台風のときに現地報道する意味ってなくね?」以来。
これを書く16時間ほど前に「走行距離課税について現段階で政府として具体的な検討はしていない」と発表されましたが、せっかく途中まで書いたのでわたしの意見もチラ見程度にしていただけると嬉しいなと思います。
「永遠に検討していない」とは言っていませんし、たぶん支持率が落ちたから強行突破をやめただけだと思うので。
「走行距離課税とは何か?」「課税・財政システム上の問題」「地方と都市部との格差拡大」「運送業の弱化」などの視点は他のエコノミストなり自工会なりが語っているので、わたしは
「走行距離税によって日本は第1次産業から衰退し、経済破綻ののち国がなくなる」
との側面からお話しします。
走行距離税を導入されたとき地方に留まる意味はあるのか?
長年にわたって代々地方に住んでいる人でも、若い人は都市部へ働きに出ます。
その結果人口減少が止まらず、老老介護並みの人員で動いているというのが、地方へ移り住んだわたしの実感です。
ところで最近の傾向としては、物価高に円安に一切上がらない給料のため、投資や節税へフォーカスされてきています。
節税……という観点でいけば、ただでさえ重複課税が問題になっている車を必須とする地方に住む理由はありません。
実家があるから住宅費がいらないという意味では地方の人間が都市部への引っ越しを考えるまでにはいたらないかもしれませんが、これから自動車へどんどん課税されていくことを思えば、公共交通機関の整っている都市部へ移住したほうが節約になるのは明らかです。
ただでさえ貧困の時代。
(畑なども含めて)田舎の土地は国内外の富裕層にでも売って、都市部へ移住したほうが福祉サービスも充実しているし公共交通機関があるから車は使わなくて済むし、そうしたら余計な税金は払わなくてよくなります。
地方に留まっている理由はなくなります。
農家は1日に畑と家を何往復するか
「老後は田舎でのんびりしたい」とか考えている人には見えていない世界だと思いますが、農家の労力って半端ないです。
朝5時には既に畑に到着して農作業、一旦家に帰って朝ごはん、また畑で農作業して家に帰ってお昼ごはん、また畑に来て農作業して晩ごはんと、
農作業だけをしている人ですら1日に最低3往復はします。
家から近いところに畑をもつ人ばかりではないので(家は集落にあって畑は山の中というのがほとんど)、
それだけで走行距離はかなりあります。
農作物を運ぶ回数も含めると、3往復では足りません。
軽トラで毎日何往復もして、やっと生活できるレベルです。
そこに「走行距離税」が課されたとき、今ぎりぎりで踏みとどまっている農家さんたちはこれからも農業を続けようと思えるでしょうか?
わたしにとって昔から馴染みのある農業を例にしましたが、これは漁業や林業などでも同じです。
後継者不足で悩む第1次産業を廃業させる原因になるのでは
元々は「EV車の推進で減ったガソリン税での税収をまかなうため」に課される予定になっていた走行距離税は、EV車だけに課税するとSDGsの「カーボンニュートラル」が達成できなくなるのでガソリン車にも等しく課税しようとの話がありました。
ただでさえ後継者不足問題があり、若いうちには最低賃金の高い都市部へ出ていく若者たちが、都市部より多くの税金が課される車を必須とする地方に帰りたいと思うでしょうか?
都市部郊外にでも家を新設するほうがまだマシな時代になって、地方から都市部へ人が流入するだけではないかと思います。
「田舎では物価が安い」は都会人の妄想
「それでも田舎は都会よりいろいろと安いじゃないか!」と思う人もいそうですが、残念ながら田舎も都会も大して物価は変わりません。
需要と供給と輸送費や仕入れ量などで決まる「値段」というものは、都会では大人数で大量消費、田舎では少人数で少量消費なので、輸送手段が限られていて輸送費のかかる地方のほうが高いのではないかと感じるくらいです。
都会では「肉か魚、どっちにしようかな?」と思っても、田舎では「今日は肉しか売ってない」「魚しかない」ということも多々あります。
田舎のほうが物価が安いと思われているのは
- 代々受け継いだ家がある人は家を買わなくていいから
- 都市部に比べれば土地の坪単価は安いから
- 野菜などを生産できる土地をもっている人はそこまで買わなくていいから
で、移住して土地のない人間からすれば食費だって都会同様にかかります。
また土地の坪単価が安かろうと自給自足できる程度の畑となるとそれなりに広いので、決して安くはありません。
「そのへんの山菜を…」と言ったところで、どれだけ放置されていようがそのへんの山も荒れ地も誰かの土地です。
勝手に入ってはいけない、許可が必要だというのは都市部と同じです。
「都市部へ働きに出た人間がわざわざ車の必要な地方へ戻ってまで第1次産業を継ぎたくはないのでは?」とは別に、わたしは「都市部から移住したいと思う人間も減るのではないか?」と考えています。
だって田舎で安上がりな生活をしようと思えば、まず家と土地と車を買えるだけの財力が要求されるのですから。
安上がりな生活をしたいと思っている人がそこまでの支出を許容できるとは思いません。
それもこの円安の時代に。
人がいなくなった地方で起こる価格競争と優劣問題
後継者がおらず、若い世代も帰ってこなくなったところで、走行距離税の開始とともに完全に廃業する人は少ないと思います。
ただし継続できるかどうかは別問題です。
地方へいくとチャンネル数が少ないので、わたしはよくニュースやドキュメンタリーを見ます。
「餌・原料がこれだけ値上がりしても、消費者が減っては困るからと企業は買取価格を上げてくれない。今でほぼ赤字だ」
という声はしょっちゅう取材されています。
日本はどうしても資本主義で企業や消費者が強いので、「生産者はいくら抗議しても言い分の1割ほども聞き入れてもらえない」というニュースは絶えることがありません。
そんな赤字すれすれのところでなんとかやっていけている生産者が、新たに課税されて赤字になったら……
自分たちがやらないと日本の産業が潰れるからと、毎年赤字を積み重ねながら働いてくれると思いますか?
やりがいだけで勝負するには、あまりにも現実は残酷です。
近頃は高級路線やこだわり路線で成功した人が全国ネットで特集されていますが、
その人が特集されるということは、他の生産者とは違うということで、
その人だけが稼げるということは、他の生産者は稼げないということです。
みんな同じようにしていたなら、その人は突出しません。
別路線で稼げる人はやめないでしょうが、今赤字すれすれで頑張っている人たちは廃業を考えてもおかしくありません。
自分の余生を削り続けて他人に尽くせるほど、今の日本に余裕はありません。
またそんな素晴らしい自己犠牲精神の人がいたとしても、その次の代がどうなるかはわかりません。
廃業や、はなから継がない選択をするのではないでしょうか。
第1次産業の廃業が相次いだあとの日本では経済危機が起こる
生産者が多く廃業すると、当然ながら日本の自給率は下がります。
国内の生産者は貴重になり、価格決定権は生産者に委ねられます。
それが悪いことなのではなく、その価格では大半の消費者は買えなくなるだろうというのが問題です。
高級路線やこだわり路線の人は生き残るでしょうが、企業と消費者が生き残れるような安い食べ物となると、もはや輸入に頼るしかありません。
そうなると結果的に円は海外に流出し、国内では不足します。
ただでさえ貧困層と富裕層との格差が問題になっていますが、今以上にお金を奪い合う時代が到来します。
それでも輸入を続けなければ、国民は餓死します。
輸入額は上がり続け、国の支出は増え、せっかく増税や新しい税を課しても、国債の返済どころか新たな支出を生みます。
いくら日銀が頑張って円を大量発行しても、円の価値が下がってさらに物価が上がりハイパーインフレに突入、それでも日本で賃上げは難しいでしょうから、日本全体としての貧困化がさらに進みます。
賃上げをするために企業がリストラを行い、生活保護受給者が増えて国内への支出も増える可能性すらあります。
そしていずれバブル崩壊のようなことが起こります。
ただ以前の好景気からのバブルとは違い、不景気からの転落という意味のバブルですから、日本人のほとんどが餓死する結末がそれなりに現実的になります。
最後に日本人はいなくなる
ただそこまでされて日本に留まろうという人も少ないでしょうから、ある程度不景気がさらに進んだ状態で日本人は海外への脱出を考えるのではないでしょうか?
すると今度は地方から都市部への人口移動ではなく、日本から海外への人口移動が主になります。
最後には日本に暮らす日本人はいなくなり、日本の土地は海外に買い占められ、日本という国は潰えます。
走行距離税導入からの第1次産業の衰退、都市部への人口流入に経済破綻と国の消滅。
これがわたしの想定していた「走行距離税が導入されて日本が壊滅する」理論です。
急いで書いたのでざっくり説明ではありますし、あくまで理論上ではありますが、
既に海外での労働者、海外へ移住する労働者は存在する状態です。
机上の空論、飛躍のしすぎだと笑い飛ばすには、少々軽率すぎる段階にきたのではと思います。