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わたしと父との関係vol.4(入院事件簿vol.5)

闘病記録(入院記録)
この記事は約5分で読めます。

こうして、たまに考える。

「あんたらと別れた日から時間が止まったまま」

と言う父。

「親権を選べ」と言われたのを拒否したあの日から、わたしの時間は進んでいるのか。

はじめに

「親権」という単語を目にする度に思うこと。

それは、親権の有無に関わらず、本当に子供の「親」になれているのかということ。

このページはわたしと父がどのような関係を経て、現在どうしているのか、その過程を振り返って綴るものです。

前回はこちら→https://harukams-medicalbeauty.com/father3/

わたしと父との関係

前回から時間がかなり空きましたが、とりあえずわたしがリストカットをやめたというところまでお話ししたと思います。

こっそり会うのも、連絡を取り合うのもやめ、

16歳になったら父方の親権を選べという父の言い分も無視し、

そして何年かに1度、父からの誘いで会うという関係になりました。

父は会う度に、わたしの携帯の番号やメールアドレス、LINEのIDなどを聞きたがりました。

ただわたしは、

父が精神状態が安定していたら
母の想いを理解してくれたら

伝えると決めていたので、

そして会う度に母の悪口を聞き、通行人を避けずにぶつかって掴みかかりそうになったところでわたしの顔を見て抑え込んでいるのを見て、

まだ教えられないな

と判断していました。

そうしてわたしがMS発症前に会った最後の日、

「もうパパからは連絡せーへん」

「あんたから連絡くれな会えへん」

「もうすぐ死ぬから」

などの言葉を残され、

きっと何かの病気をもってはいるのだろうな

ただ死にそうにはないな、しぶとそう

という感想とともに帰宅しました。

ひとつ言いたいのは、親から「もうすぐ死ぬ」、「死ぬ前に会えなければわたしの責任」などの言葉を残されると、子供としてはかなりの心的負担です。

そしてわたしはMSを発症、入院して1ヵ月ほど経ったところで、父がわたしとは違う難病を患っていることを母経由で知りました。

ただその時点ではどうという感想もなく、わたしが行動したのは、自死を願いながら果たせなかった日の朝でした。

(その日についてはこちら→https://harukams-medicalbeauty.com/ikirukati/ )

わたしは難病にかかりました。

けれど自分の人生を生きようと思います。

パパも、他人のせいにするのはやめて、自分の人生を生きてください。

電話が繋がらなかったのでメールにしましたが、送ったのはこんな内容だったと思います。

わたしは、お互い頑張ろうというつもりで送りました。

それが、父には「説教」に感じたみたいです。

昼間に電話がかかってきました。

そのときは病室全員仲が良かったので、ベッド上で電話をして良いか確認してから受話しました。

右半身完全麻痺だったので、動くのも一苦労なのをわかってくれて、みんな快く「いいよ~」と言ってくれました。ありがたかったです。

そうして出たときの第一声が

「何のつもり?」
「親に説教とか、何様なん」

とか

「こんなメール仕事中に送られて、こっちの気持ち考えろよ」

とか

他にも色々…

わたしは、励ましのつもりだった

それが全く伝わっていないどころか、誤解を与えて、怒られて

数年に1度しか会わないことを責められて

何を言っても「聞こえない」「わからない」で、

聞こえないは本当に聞こえなかったのだと思いますけれど(-_-;)

あんまりにも怒鳴って責め立てられるので、わたしも泣いてしまって、

すると泣いて体温が上昇して、呼吸困難に全身痙攣を起こして、

ちょうど心電図のモニターを付けていたときだったので、看護師さんが飛んできて、

携帯を離すように言われたんですけど、

持ったまま硬直しちゃって離せなくて、
そのまま父の責める声だけを聞き続けて、
わたしは泣きじゃくって呼吸困難で、

永遠に感じるくらいの苦しい時間を経て、なんとか泣かないように自分を抑えて、クーラーを最強にしてもらって、氷を用意してもらって、冷却して呼吸を取り戻したところに、

「そんなんやったら、もう一生会わんとこうか?

と言われ、

かなりイライラしていたので、このまま縁切ったろうかと思いましたが、

縁を切ってしまうと、母の

「死ぬ前くらいには茶飲み友だちくらいになりたい」

という夢を壊してしまうな、と、寸前で思い留まって

なんとか縁を切らない方向へ話を転換して、見舞いに来るという父に病院と病室を教えて、電話を切りました。

痙攣と呼吸困難の中、必死で親子の縁を保った。

これがわたしの、父との関係の中での最大の苦痛と苦労でした。

母や同室の方に、よくやったねと褒めてもらったので、まあいっか、と思います。

父との会話には未だに苦労しますが、

それをきっかけに父と母が話すようになり、わたしの車椅子用のクッションを二人で買いに行ったりと、お互い思ったことを遠慮なく言い合える関係になったようなので、

わたしの役目はもう終わった

と思っています。

父と母とを繋ぐのに要した10年以上のわたしの苦労は、わたしの病気という思わぬ形で実りました。

こんな形は望んでいなかったけれど、父と母とが対等に話せる今の様子を見ていると、良かったのかもしれないと、少しだけ思わないでもないです。

父と母とが仲良くするのは勝手にどうぞという感じですが、やはりわたしはこんな病気にはなりたくなかったのでf(^_^;

ということで、長かったわたしと父との関係ですが、現在まで追い付いたので、ここで終了致します。

お付き合いくださりありがとうございました。

できれば、

わたしのような妙なやり方でもなく、

わたしたち家族のような変な関係でもなく、

ありきたりでも温かな家族の形を大切にされる方が増えますよう。

親の力って強いです。

子供って、従おうとするんです。

その力を、振りかざしちゃだめだよね。

いつか子供をもったときのわたしへの自戒も込めて。

わたしみたいな、ストレスで潰れる子を生まないために。

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