死後の世界について問いかけた話
これは、わたしが亜急性期・回復期病院に転院してからの、8月29日の記録です。
この日は親戚の御命日がかなり重なっていて、母から「あんたもご供養しとって」と言われました。
経典の内容は、幼い頃から読まされていたので暗記していましたが、記憶にも若干の障害があるのか全然思い出せなくなって、ご先祖様に問いかけることにしました。
その問いかけの一部を記録していたので書き起こします。
『まだ、苦しいですか?
生きててつらいことはいっぱいあるけど、
死んだら楽になれるとも考えていないけど、
それでも、そちらはどうですか。
生老病死の苦というけれど、私はまだ生・病しかしらないから、
老は知っていくかもしれないとして、
死の苦しみはどんなものですか。
生きて生き抜くよりも苦しいですか?
それにまだ耐えてるんですか?
いつまで?
耐えられるんですか?
私は、これ以上の苦しみを味わいたくないです。
そちらが少しでも安らかで、ゆっくりとお休みになれることを祈ります』
死の苦しみは、どんなものですか。
いつまで苦しめばいいのですか。
わたしの問いは、ここに集約されるのだと思います。
「死にたい」を引き止めるわたしの心情
そしてこれを書いている今日の早朝(1月4日午前5時)の記録がこちらです。
こちらはあえて書き起こしはしませんが、これが、このページを作成した意図です。
冷静になってから見ると酷いものですが、これは心の底では常に死を願う、わたしなりの贖罪です。
たぶん死の苦しみが生の苦しみよりも軽いとわかれば、わたしは死を勧めると思います。
「みんなで、一緒に死のう?」って言うと思います。
なんて危険思想なんだ、と思いますが、だってやっぱり、生きるのってつらいから。
今苦しみの真っ只中にある方に、
全部、言ってあげられなくてごめんなさい。
わたしには、せめて一緒に生の苦しみを味わうことしかできません。
それは、痛みとか絶望とかの前には圧倒的に無力なことも、わたしは知っているのに。
謝って贖いになるとも思わないけれど、それでもわたしは、貴方に苦しんでほしくなくて。
もうこれ以上は頑張らなくていいよって、
もう死んでもいいんだよ、生きるのは苦しいよね、死んだほうが楽だよって、
胸を張って言えないことが心苦しくて、
わたしは何度も死にかけたけれど、呼吸停止に痙攣に、その全てが痛かったし苦しかったから、死の苦しみの方がましだとは言えないんです。
だからわたしは、貴方が少しでも楽になるようにと祈っているし、そうすることしかできません。
救ってあげられなくてごめんね。
助けられなくてごめんね。
それでもわたしは、生きて貴方が笑っている姿が見たいんだ。
自分の死を願いながら、ひとには生を望むなんておかしいけれど、
わがままでごめんなさいね。
これが「死にたい」を引き止めるわたしの正直な気持ちすべてです。