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【混乱する現地に飛ぶ必要性】伝わらない日本語と日本の報道のあり方

分類したくない
「濁流は濁ってるんだよぉおお!!!!!!」

 

不謹慎だなあとは感じつつも気になってしまう日本語の話と、被災地にわざわざ飛ぶなよと思う理由の話。

 

朝のニュースにて

好きでもないニュース、それも全国ネットのものを毎朝見るこの頃。

嫌なら見なければいいとは言われるだろうと予想しているので、共同生活には一定の妥協ラインがあることを前述

 

大雨が多い今年、このページの下書きを6月に始めた今年(今は8月)

大雨土砂災害のニュースがとても多いです。

現地でリアルタイムに取材しているもの、被災者に今の気持ちをインタビューして回るものも非常に多いです。

それに対して毎朝思うことは「なぜ?」

 

問われる公衆電波の日本語力

まずは20年そこそこしか生きていないわたしですら感じる、メディアのつかう日本語の質のすさまじい低下について。

 

「濁った濁流が流れています!」…?

わたしが小学生のとき見ていたニュースでは

「濁った濁流が流れる」

なんて日本語はつかわれていませんでした。

 

日本語フェチのわたしでなくてもこの言葉に対する違和感は、まあ少しはあってもいいはず。

ところで「違和感を感じる」への違和感のなさはすごいですよね

 

「頭痛が痛い」は許せます。

なぜならこれは、ニュースでは言わないから。

友人など身近な人との間で、ふざけて言うものだから。

マジで言っていたとしたらご愁傷様です

 

全国ネットの朝のニュースでは、そしてアナウンサーやキャスターという職業には「正確な日本語をつかう」責務が生じていました。昔は。

 

でも最近は、

「濁った濁流が流れています!」

なんて平気でのたまってしまいます。

 

その度にわたしは、

「濁流は濁っているし流れているんだよおおおお」

と叫んで頭を抱えます。

 

言う前に頭で漢字変換しないのでしょうか?

  • 「濁った水が押し寄せています」
  • 「川が濁り氾濫しております」

とかならわかります。

 

でも「濁った濁流が流れる」と言われてしまうと、本気で気になって気持ち悪くなってニュースの内容が入ってこなくなってしまいます。

内容を伝えられないニュースなら、いっそいらない。

 

目の見えない人のために言葉を少し添えるとして、下手に興奮した実況は付けず映像を流せば良い。

 

「流木が流れる」…?

「流木が流れています!」

も土砂崩れなどの報道でよくつかわれますが、

「流木は流れているんだよおおおお」
「流れていない流木はただの漂着物なんだよおおおお」

と、同じように毎回発狂します。頭を抱えます。

 

下手に「流木アート」なんて言葉が馴染んでしまったために「流れていなくても流木」のようなイメージがついたのかもしれません。

 

しかしそもそも、その辺の公園に落ちている木と「流木アート」で使われる木はどこで見分けていますか。

 

もちろん現物を見れば見分けはつきます。

  • 水分含有量、体感としては重さや湿り気
  • 漂流する間に削られてなめらかになった表面

このように簡単に見分けはつきますが、大抵の人は「海辺に落ちていたら流木」と考えているのではないでしょうか?

 

残念ながらそれは流木ではなく「漂着物」です。

流れている最中でもないから「漂流物」ですらありません。

ましてや「流木」でもありません。

「ただ落ちている木」です。

 

「流木」は「流れている」。

 

ですがひとたび報道となると「流木が流れている」と言って平気な辺り……。

言葉が喉につかえて出てこないくらいの衝撃があります。

 

だってニュースは冗談ではないから。

「頭痛が痛い」とふざけているのとは、公衆の電波であり国民へ広く影響力をもつ点で大きく異なるから。

 

最近のメディアは正しい日本語で状況を冷静に伝えることよりも、状況を声音で煽って視聴者の不安や恐怖をかきたてることに目的がすり替わっている気がしてなりません。

 

違います。

ニュースの本質は「事実をいち早く伝える」ことにあったはずです。

 

現地報道に命をかける報道

災害が起きると取材班が現地へ駆けつけて現地から報道します。

雨にも負けず風にも負けず。

その根性だけは賞賛に値するでしょう。

 

ただその根性以外は、いらない。

 

「独占取材!」へのこだわり

災害がナウで起きている地域はそれだけで大変なのに、わざわざその大変な地域へ飛行機や新幹線や車を駆使して大量の機材とともに押しかける。

そこまでして伝えることは、

「この川は氾濫しそうでやばい」
「この地域は大変だ」

その程度なら誰だって予想できますし、わざわざ東京にいる記者が飛んで取材しなくても地元やそこに近いエリアのメディアが報道できることです。

 

地元メディアが報道できないくらいに被害が大きいとしても、やはり被害の比較的小さな近隣エリアのメディアが伝えられるはずです。

遠く離れたメディアが即座に駆けつける必要はありません。

 

わざわざ大荷物抱えて飛ぶなら、被災地支援に役立つ何かを持っていけば良い。

そして速やかに帰ればなおのこと良い。

 

九州や東北で大きな災害が起きたときには、もう忘れられているかもしれませんが

「自分の面倒すら見られないなら取材には来るな」

とよく言われていました。

 

それはボランティアの基本。

いくら遠くから行ったとしても、地元の宿泊地を利用したり地元のスーパーを利用したり、被災地で何かを調達しなければいけない人は邪魔でしかない

せっかく被災地の人へ運んだ支援物資が、自分の面倒すら見れないくせに来た人の分だけ減ることになる。

 

そこまで考えてボランティアは行動するし、気が回らない人も多くなる大規模災害の場合はボランティア制限をかけることもあります。

  • 隣町の住民まで
  • 同じ市内の住民まで

最近は生活圏が同じであり、同じく救援を欲している人にしかボランティア募集をかけません。

 

なぜなら元々同じように救援を欲しているため、余計に救援物資を取られずに済むから。

 

余計なものは入れない、「超熟」主義です。食パンの超熟。

その地域がボランティアを募集しているかは自治体のHPを見ればわかります

 

被災地が被災地のなかで復興作業を完結させなければならない背景には、

「余計な人が来て余計に物資を取られたら困る」

という切実な事情があります。

 

なのに取材班は飛ぶ。

大した報道もせず、地元YouTuberと同じような画像を流すだけの割には一生懸命飛ぶ。

その努力は、いらない。

 

地元メディアや地元YouTuberに映像を借りれば良いだけなのに、「独占取材!」とかにこだわって飛ぶ。

その努力はどんな力量であっても、どんな熱量であっても、いらない。

 

たとえメディアが「取材班の生活はすべて車内で行い、食事などもすべて自分たちでまかなっている」と主張しようが、

「その車はどこを通ったの? 被災地への大切なライフラインである無事な交通網を塞いでまで通ってきたんだよね?」
「食事、わざわざ飛んでこなければ非常用食糧を使わずに済んだよね?」
「トイレは? それも全部、災害用キットとかで片づけてるの?」
「その災害用キット、今使うべきはあなたたちじゃないよね?」
「大体車はどこに置いてるの? 安全な地域? そこに住民が1人でも避難できていたかもしれない場所を奪って?」

毎回そう思います。

 

全国ネットで災害報道する意味

全国ネットで被災地のことを報道するのがまったくの無意味とは言いません。

どれだけの被害があり、どれだけの支援が必要か。

それを多くの人に知ってもらう必要は、確実にあると考えます。

 

ただそれを災害真っただ中に行う必要性はあまり無いと感じています。

災害時、最も混乱し交通網すらままならないときに他人が行える支援は、残念ながらわずかです。

 

ただ支援の必要性を訴えることに加えて、全国ネットで災害報道することにはもうひとつの役割があります。

それが「被災者の名前を公表することで遠く離れた親戚や家族にも被害を伝える」ことです。

 

ただここには若干の疑問が残っています。

 

全国に晒される個人情報

いじめでも殺人でも、日本は「被害者は本名写真付きで公開するのに加害者は名前すら伏せる国」です。

 

加害者は生きているから更生の余地はあるけれど被害者は死んでいるから……ということでしょうが、これについての是非は今さておき、とにかく「死者の名前や死因などの個人情報」は容赦なく晒される国です。

 

それが唯一の利点としてはたらくのが「家族が被災したとわかること」です。

 

(たぶん)誰だって家族や親戚の安否はいち早く知りたい

 

だから飛ぶのだろうとは思いますが、実はこれ、被災していない地域から出向く必要はまったくありません。

 

報道により落とされる命

「この川はもうすぐ氾濫します! お近くにお住まいの方は逃げてください!」

 

この言葉に違和感を覚えたことのある人はいらっしゃいますか?

わたしは毎度違和感を覚えます。

 

だって氾濫しそうな川のそばにわざわざ寄って行かなくても良いじゃないですか

 

もうすぐ氾濫しそうなんです。

避難してお手本を見せるくらいがちょうどいいんじゃありませんか?

 

こうして「氾濫しそうな川の動画撮影」をしてニュースにするから、氾濫警戒地域だろうが避難せずにのんきに動画を撮りに行って亡くなる方や、避難せずに流されていく家々を撮影している方が現れるんです。

 

そんなに貴重ですか?

家が流されるところ。

誰かが不幸な目に遭っているところ。

 

そんな「自分には関係ない」スタンスで避難せずに動画撮影していたら、いつか死にますよ。

冗談ではなく、本気で。

 

だって災害時なんてみんな自分のことで精一杯で、のんきに動画撮影している人を助ける余裕なんてありませんし。

亡くなってから「最期に撮っていたと思われる動画です」ってニュースに使われて、ネットで「自業自得」って叩かれて終わるだけです。

 

死にたければわざわざ危険地域に出向いて撮影すれば良いと思いますが、いっときの「安全地帯にいる人間の」好奇心を満たすために、ただでさえ危険地域にいる人がさらなる危険をおかす必要はないです。

 

人間は失ってから後悔する生き物ですが、命を失ってから「命って大事だな」とは後悔できません。

 

こういった現地報道はこれまで「危険ですので真似しないでください」との注釈を付けつつ報道することでやはり真似する人を生み、何人も殺しています。

 

最近では「安全な場所から報道しています」との注釈が増えましたが、安全な場所なら危険性はわからないのでやはり安全地帯からわざわざ飛ぶ必要はありません。

 

尋ねる意味のないインタビュー

現地へ行ったアナウンサーは必ず被災者へ

「どんな感じでしたか?」
「今どういうお気持ちですか?」

と尋ねます。

 

それ、今必要ですか?

 

日本は若輩者のわたしが言うまでもなく災害大国です。

これまでに起きた土砂災害、水害、その他災害のデータは山程あります。

それを分析して「どういったときに災害が起きやすいか」研究している人もたくさんいます。

 

わざわざ被災した住民に「大きな音がしたあとにバーっと~」みたいな回答を、被災している最中の大変な時期に答えていただかなくても大丈夫、

というかインタビュー自体が住民の負担になるとは考えないのでしょうか。

 

ましてや「今どんな気持ち」などと聞くのは愚の骨頂です。

  • 悲しい、大変、やるせない。
  • 怒りたいけれど相手は自然だから怒れない。
  • これからどうして暮せばいいのか不安。

ここに集約されますよね。

わざわざ大変な時期に大切な時間を奪ってまで質問する意味、ありますか?

ないでしょう。

 

強化すべきは地元との連絡網

基本的に被災された人の名前、特に亡くなった人の名前は被災した地域のHPに載ります。

 

被災した地域にそんな余裕がないのであれば、近隣地域のメディアが出向いて調査します。

基本的には被災した地域の市区町村の役目ですが

 

別に「独占取材!」なんてしなくても良いんです。

知りたいことがきちんと知れればそれで良いんです。

 

要するに、遠くからわざわざ出向かなくても取材できた地域の映像や情報を借りてそれを全国ネットで流せば良いんです。

 

そうすれば

  • 無駄に物資や場所を奪うこともない
  • ライフラインを塞ぐこともない
  • 復興に忙しい住民の邪魔にならない
  • 被災地・被災者の情報は流せる
  • 必要な支援もわかる

 

やったら特別感を出して視聴率を上げようと無駄に頑張るから、逆に迷惑かつ人命を損ねることだってあるんです。

わたしは本来失われるはずのなかった命が失われることを悲しく思うし、きちんと状況を伝えられないメディアの責任、煽るだけ煽って「どうなるんでしょう!?」で終わるメディアの無責任さに悲しみと怒りを覚えます。

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まぁるいせかい管理人
haruka(はるか)

多発性硬化症+名前も研究中の希少難病などを併発した20↑歳女子。病歴や薬歴は多すぎるので管理者情報参照。今までにないものを創るお仕事。

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