入院1日目の記録
復学間際、精一杯のことをしたつもりだったけれど急遽入院になってしまった2019年3月20日の夜、夕方のステロイドパルスで眠れないので綴ります。
休学(1回目)中にやったこと
わたしが休学期間の2018年10月1 日からやったことはそれだけでもたくさんあるのですが、ここはせっかくなので、学校に行けなくなった5月29日から綴ろうと思います。
まず、右半身不随になりました。
それから、首から下の完全麻痺になりました。
この期間に、ステロイドパルスを2回しました。
効かなくてもう1度、トドメに血漿交換をしたら、7回するはずが、4回目でアナフィラキシーショックを起こして中断しました。
そこから痙攣の日々がやってきました。
わたしは、痙攣に耐えました。耐えています。毎日引き裂かれそうですが、まだ生きています。
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そして、少し動けるようになりました。
リハビリも筋トレも超頑張って、プレドニンMAX用量飲んでいるのは思えないくらいの綺麗な体型を維持しました。
1日20時間以上、筋トレ、ストレッチをしました。
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転院、退院して、まず家事をしました。
火の近くでは脱力して動けなくなるので、脚の長い椅子をキッチンに置いて、家族のお弁当作りをしました。
常備菜を作って、入院中に必死に勉強した栄養学の知識を使って、家族の栄養バランスを整えました。
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家族の理学療法評価をして、体調を一時的に改善しました。
お買い物に行って、洗濯して料理をして、ステロイドが減ってからは掃除もしました。
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人間関係では、父と母との仲を修復?しました。
ただ、薬のバランス?(か10代の頃の再発かは不明)で鬱になりました。
過剰処方から通常処方に戻しただけで、はっきりと鬱になりました。
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そこからはずっと、希死念慮との闘いで、
なぜか希死念慮に理解のない精神科医ともTwitterで闘いました。
リスカ欲とも、闘っています。
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中学のときにやめたリストカット、鬱とともに復活しちゃった。
暗黒の中学時代です。
話を戻すと、
同じ病気で苦しむ人へ、医学知識のあるわたしができることはないかと考えた結果、
たくさんの人にMSを、多発性硬化症というこの病気を知ってもらおうと、
多発性硬化症テーマは→https://harukams-medicalbeauty.com/msnovel/
→「紫乃遼」で検索 または
→https://www.youtube.com/channel/UCxZDXC-nuS6Bs0Yt4cD-AiA
たくさんの人に希望を与えられないかと、
自己満足ですが、それでも、麻痺していてもできることがあると思いたくて、知ってほしくて。
たくさんの人の声で社会を変えていけないかと、
そして自分の、復学への最後のリハビリで、
復学するつもりで、
他に、
MSの「易疲労性」は視力にも影響しているようで、あまりに文字を読みすぎると一時的に失明してしまいます。
あとは良くなって退院して、復学して通学して、卒業するだけなのに…!
復学へ向けて
わたしの欠点は、やりたいことが多いことだと思います。
わたしの凄いところは、やろうと思えばできることだと思います。
でもそれは、
改めて、こうしてゆっくりとひとりで考える時間をもらえたので、
わたしの傍にいてくださる人に。
リアルでも、ネットでも。
こんな病気なんて滅んでしまえばいいけれど、
それでもわたしは、きっとこれもわたしの人生だと、受け入れます。
障害受容という言葉は好きではありませんし今後できるとも思いませんが、
これも自分である
と認めたという意味では、受容したことになるのかな。
トップの写真は「ネモフィラ」
これからも再発の度に泣き叫びながら進むのでしょうが、