病人や障害者が人生を振り返ったときに残るのは何かについてとても考えさせられる機会がありました。
最期に残る想いは何か
それはきっと、病気や障害に対する恨みではないと思います。
お話会にて
2019/07/27
生まれつき腕が欠損している方や、病気により目が見えなくなった方とお話しする機会がありました。
人生曲線
お話会の中で、人生曲線を描くという時間がありました。
参加者のほとんどが20代だったので、人生といってもまだ比較的短いものでしょう。
しかし、健常者も含めて山あり谷ありで、誰ひとりとして同じ曲線になりません。
さらに、似ている曲線があっても、理由は必ず違います。
ほとんどの人に共通していたのは幼少期にいじめに遭ったということでしたが、その感じ方も
から
まで、幅広い感情がありました。
病人や障害者の人生曲線
その中で目立った
のは、病気や障害をもつ人の人生曲線でした。
生まれつきの人は、自分の病気や障害を自覚したときに谷となります。
生まれつきでなく後天的な人は、診断時に谷となります。
誰しもに共通すること
病気や障害は深い谷となっていました。
けれど、1番深い谷となっていたのは、健常者と同じく「人間関係で悩んだとき」でした。
病気や障害は確かに人生を左右するほど重くてつらくてどうしようもなくて
自殺することすら頭を過ぎります。
ただそれと同等かそれ以上に苦しくてつらい思いをするのは、学校や職場での人間関係なのではないかと感じました。
病人障害者が人生を振り返ったときに残るのは?
病人や障害者が死を目前にして人生を振り返ったとき、最後に思うことは何でしょうか。
なかなか複雑で言葉にしづらいのですが、強いて言うなら
です。
が1番大きかったように思います。
病気のせいで…なんて感情は入る隙がなく、病気のせいで死にかけているのに、病気のせいでと思わなかったんですよね。
そして思いました。
病人や障害者が人生を振り返ったときに思うことは、
病気や障害への恨みつらみなど決してなく、人に対する想いなのではないか
そこはわかりませんが
病気や障害への不満ではなく人への想いを遺して死ぬのなら、それはきっと
と思ったんです。
わたしの想い
今、病気や障害で苦しみの中にいる方へ、そしてわたしへ伝えます。
それでも
恨みつらみより感謝を
ごめんなさいよりありがとうを
胸に抱いて、わたしはいきたい。