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病人・障害者が人生を振り返ったときに残るのは?

リハビリ記録(宅療記録)
この記事は約4分で読めます。

病人や障害者が人生を振り返ったときに残るのは何かについてとても考えさせられる機会がありました。

最期に残る想いは何か

それはきっと、病気や障害に対する恨みではないと思います。

 

お話会にて

2019/07/27

生まれつき腕が欠損している方や、病気により目が見えなくなった方とお話しする機会がありました。

わたし自身、右半身が動かない時期な上に、入院中に外泊許可を取っての、車椅子での参加となりました。
障害者セミナーなどではなく、ほとんどが健常者なので、上のような人は稀です(^_^;)

 

人生曲線

お話会の中で、人生曲線を描くという時間がありました。

人生曲線とは、これまでの人生を振り返り、自分にとってポジティブな感情は山、ネガティブな感情は谷として記録するものです

参加者のほとんどが20代だったので、人生といってもまだ比較的短いものでしょう。

しかし、健常者も含めて山あり谷ありで、誰ひとりとして同じ曲線になりません

自分にとってポジティブかネガティブかで判断しているので、当然です。
誰かと比べているわけではありません。

 

さらに、似ている曲線があっても、理由は必ず違います。

ほとんどの人に共通していたのは幼少期にいじめに遭ったということでしたが、その感じ方

すごく嫌だった

から

当時はいじめだと気づいておらず、なんとも思っていなかった

まで、幅広い感情がありました。

 

病人や障害者の人生曲線

その中で目立った

というよりもわたしが気になった

のは、病気や障害をもつ人の人生曲線でした。

生まれつきの人は、自分の病気や障害を自覚したときに谷となります。

生まれつきでなく後天的な人は、診断時に谷となります。

しかし、そこから上昇していき、また山と谷が生まれるのです。
わたしの場合も、多発性硬化症の重さを自覚したときには谷となりましたが、そこからまた、できることを見つけて上昇します。

 

誰しもに共通すること

病気や障害は深い谷となっていました。

けれど、1番深い谷となっていたのは、健常者と同じく「人間関係で悩んだとき」でした。

わたしも最下点は人殺しと罵られ脅迫が相次いだときです

病気や障害は確かに人生を左右するほど重くつらくどうしようもなく

自殺することすら頭を過ぎります。

ただそれと同等かそれ以上に苦しくてつらい思いをするのは、学校や職場での人間関係なのではないかと感じました。

 

病人障害者が人生を振り返ったときに残るのは?

病人や障害者が死を目前にして人生を振り返ったとき、最後に思うことは何でしょうか。

わたしは病気でもその治療でも何度も死にかけましたが、そこに病気への恨みが入ったことはありません

なかなか複雑で言葉にしづらいのですが、強いて言うなら

ごめんなさい

です。

家族や友人などの親しい人へ、先に逝くことを許してくださいという気持ちや、
まだやり遂げていないことがたくさんあるのに、途中で投げ出すことになって、チームのメンバーに押しつけることになって申し訳ないという気持ち

が1番大きかったように思います。

病気のせいで…なんて感情は入る隙がなく、病気のせいで死にかけているのに、病気のせいでと思わなかったんですよね。

不思議です。

 

そして思いました。

病人や障害者が人生を振り返ったときに思うことは、

病気や障害への恨みつらみなど決してなく、人に対する想いなのではないか

健常者も同じなのかな

そこはわかりませんが

病気や障害への不満ではなく人への想いを遺して死ぬのなら、それはきっと

最期の瞬間には、健常者も病人も障害者も関係ない

と思ったんです。

 

わたしの想い

今、病気や障害で苦しみの中にいる方へ、そしてわたしへ伝えます。

生きているときには、苦しくて痛くてつらくてたまらないかもしれない

それでも

ありがとうの想いを遺して死ぬことはできる

 

恨みつらみより感謝を

ごめんなさいよりありがとうを

 

胸に抱いて、わたしはいきたい。

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