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「普通」はひとを傷つける

リハビリ記録(宅療記録)

はじめに

お久しぶりです。みなさまいかがお過ごしでしょうか。

本日は「普通」について少しだけお話を。

 

普通とは

普通なんてものは存在しない

それがわたしの言い続けてきたことですが、なかなか浸透せず受け入れてももらえないことも多く、こちらに

普通って難しい

という今日(昨日)の体験を綴ります。

 

体験

今日は人と会う約束があったので外出しました。

自分の足で立って、支えてもらいながらですが、歩きました。

それが何?

と思われる方もいらっしゃるかもしれませんが、

  • わたしは昨年5月29日から8月頃まで歩けず、
  • 車椅子も自分で動かせず、

そして(腹筋を使ってですが)歩けるまでに回復してからも

  • 今年3月末の再発で腕は上がらなくなり、
  • 今年4月半ばの後遺症の悪化か再発かという疑いで再び歩けなくなり、

今日まで歩けたことはありません。

家の中なら?と思われる方もいらっしゃるかもしれませんが、よろけてぶつかって大惨事です。
だから自殺未遂で高いところまで登ったときは、必死に上がったんですよね。阻止されましたが。
わたしの場合希死念慮なのか願望なのかももはやわからないですが、そういえば「希死念慮が湧いてくる」ってどういうことなんでしょうね。それはさておき

 

人間、わたしたちアウストラロピテクスは、

  • 言葉を話す
  • 道具・火を使う
  • 二足歩行をする

が特徴なんです。

 

そうやって

進化の歴史をビデオ中継の講義で受けていた、去年のまだ全身不随だった日

そして

偶然歩けた反動からくる発熱痙攣で悶えるも、早く寝ろと怒られた今日

思います。

わたしは、人間から外された

未だに車椅子は使えません。

両腕の筋肉は痙攣で鍛えられて相当ありますが、力を加えると痙攣を起こします。自走式車椅子は使えません。

電動車椅子はといえば、市販のレバーハンドルだと両手に麻痺と痙攣があるので、いつ暴走するかわからない危険性があります。

人様を傷つける暴走車にはなりたくありません。

でもそうやって、人間の特徴から外されながらも、わたしたちは生きているんです。

人間ですよ。たとえ人間としても定義から外れても。

わたしたち病人や障害者はあまりに早くからその機能を失った。

それでも、人間なんですよ。

「普通」じゃなくても、きちんと生きている人間なんです。
人が徐々に老いてその機能を失っていくように。

健常者を普通だとするなら、わたしたちには(とひとくくりにするとまた炎上するかもしれませんが)

あまりにも困難も苦しみも多い

それでも、できないことはあっても、

ひとりひとり「生きている」人間だから
「普通」なんか関係ない
だって「生きるのは自分だから」

 

わたしの年齢では、

歩けて遊び回って友達と恋バナしてキャーキャー言いながら遊園地や人混みでインスタ映えとか騒いでいるのが「普通」かもしれませんが、

  • 遊園地を嫌う人がいるように
  • 人混みを嫌う人がいるように
  • インスタ映えを嫌う人がいるように

わたしは

  • 歩けなくて
  • 友達とも滅多に会えなくて連絡を取るのも体調によっては難しくて
  • 遊園地や人混みなんて当然行けなくて
  • インスタ映えする前にカメラを構えるのが難しい

でもそれがわたしなんです。

それがわたしの「普通」なんです。

哀しいけれど。

 

だからもし、「普通こうだ」「普通そんなんじゃない」なんて言葉に苦しむ人がいたら、声をかけてあげてください。

「あなたの普通は、あなたが決めればいい」
「他人の言葉に惑わされなくていい」
「あなたはあなたの人生を生きればいい」

 

それではみなさま、どうかおだやかな日々を。

そして、たくさんの幸あらんことを。

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