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【加害者は権利と被害者に守られる】いじめ大国日本の「いじめ」の闇

考察

なぜいじめはなくならないのか?

なぜ悲惨な事件が起きても「少年法」は存在するのか?

なぜ子どもは大人同様に裁かれないのか?

一度「少年法廃止」をTwitter・サイト・YouTubeなどで訴えてすべて炎上してわかったのは、

改革を妨げるのは、常に経験者である

ということ。

このページは加害者を責める意図で作成されたものではありません

考察開始点

「もういじめに関しては語らない」と言ったにも関わらず再度語るのは、旭川の14歳女児凍死事件での教頭の台詞

「加害者にも未来はある」

が原因です。

加害者「にも」未来はある

「加害者にも未来はある」

確かに正しいですよね。

 

でもきっと、被害者「にも」未来はあったはずです。

こんなことにさえなっていなければ。

もう「たぶん正しい」としかいえないですが、死ななければ誰にでも未来はあります。

 

「被害者に未来はない」

ただ実際を考えると、大変とても胸が痛い話ながら、死んでしまった被害者に未来はありません。

「未来があったはず」は「if」の話。

 

「死ぬこと以外はかすり傷」なんて台詞が流行したのもこのためですね。

あとはお笑い芸人(?)さんまさんの娘・IMALUさんの名前の由来にもなっている「生きてるだけで丸儲け」。でも、

 

「死人に口なし」

 

「未来がない」とは「幸せになれない」意味だけではありません。

どれだけ苦しかったかも、つらかったかも、悩んだかも悔しかったかも、死んでしまえば伝えられないのです。

 

生きていて必死に伝えてそれでも「伝わらない」と嘆いているわたしですが、死んで伝わらないのもきっと悔しい限りでしょう。

わたしには想像しかできませんが

 

少年法で守られる

満15歳までの犯罪は少年法により基本的に裁かれません。

もし裁く場合は児童相談所から都道府県知事やらその辺りの偉い人に要請があり、その人から家庭裁判所へ送致される必要があります。

ついでに審判の結果は「明かしてはならない」(はずです)。

 

「審判は少年の内省を促すものでなければならない」

これが少年法の原則です。

少年には「更生の余地がある」とみなされているからですね。

 

え?

まじで?

 

わたしはたくさんのいじめ相談も受けていたのですが、最も激しかったものでは「これは犯罪、15歳も超えているし自殺教唆にあたる」という例も見てきました。

上の本に登場する被害者は1年後に生存確認ができました。
執筆意図は、サイト内に書いたページもありますが、ご想像におまかせいたします

 

ここまで悪質なものは見たことがなく、現代のいじめはもはや犯罪であると伝わればいいなと思うのですが、しかし、

 

いじめには通報順序があります。

 

担任→校長→市区町村の教育委員会→都道府県の教育委員会→対応しきれない場合は警察へ

 

酷いからといって直接警察に届け出ても対応してくれません。

どこかで「いじめはない」と言われれば、それで終わりです。

 

「少年法廃止」反対の声

以前かなり炎上しながらも「少年法廃止」を訴えたときには、実は少年は国の宝であり更生する余地があるため廃止すべきでないとの声は、反対の声が大量に上がる中で一切ありませんでした

 

ではどんな意見があったのか?

それは、

「自分はもっと酷いいじめを受けても耐えたのに」
「自分が受けたいじめを例に少年法廃止を訴えるのはおかしい」

すべてここに集約されます。

 

正直乾いた笑いしか出ませんでした。

まずいじめを受けたのはわたしではないので後者は論外ですが、

「自分はもっと酷いいじめを受けたのに耐えた」

 

うん、えっと、

自分と他人は違います。

つらさを比べる、酷さを比べるのも論外です。

 

そしてわたしは、もし比べるのなら上記の本で紹介しているいじめの方がインターネットや薬物を駆使している分、余程酷いと思っています

 

要するに

「自分は酷いいじめを受けたけれど耐えるしかなかったのに、何か行動できる人が妬ましい」

んですよね。

 

だからこそ、行動を起こそうとすると邪魔をする。

そこに少年・加害者の未来への心配はありません。

 

それならいっそ、大人同様に裁いて「許されない現実」を教えるのも教育のうちではないか?

 

これがわたしの教育論としての今の意見です。

 

加害者の擁護

「加害者にも未来がある」以外に、わたしが考えている「加害者が法的・人的に擁護される理由」があります。

それが「国益のため」です。

児童の権利条約

国連が1988年、日本が1994年に批准した「児童の権利に関する条約」

ここには「年齢及び成熟度に応じて児童の意見を尊重する」と示されています。

ここでの「児童」とは義務教育を終える満15歳

 

さて考えてみましょう。

いじめ加害者の成熟度はいかほどか?

 

恐らくそこまで成熟していませんよね。

善悪の区別、どこまでいけば人は死ぬのかなど、多くのことがわかっていないのではないでしょうか。

 

「なぜ人を殺してはいけないの?」

「なぜ?」「どうして?」

該当精神年齢は平均2~3歳。

 

ただし善悪の区別がついていて「いじめ」という「少年犯罪」を行っているのなら話は別です。

「実証実験」

該当精神年齢は15歳以上。

 

どちらも、たとえ転校くらいはしたとして、今までと同じか似た環境で「更生する余地あり」と捉えられるかどうか。

わたしは疑問です。

 

ただ条約を批准したからには、国として児童の権利は守らなければなりません。

権利を守ることは大切ですが、ときにとても複雑ですね

 

納税の義務

わたしが加害者を守る理由として1番強く考えているのは、

被害者はもう死んでいる
けれど加害者は生きている
生きている加害者(少年)を今守ることは、未来の納税者の獲得につながる

こんな利権まみれ雑念まみれで汚らしいものです。

 

国を動かすには財源が必要です。

死者は財源になりませんが、生者は財源になります。

 

こんな理由で加害者の未来・権利が守られているわけではないことを切に願いますが、ないと言い切れないのが悲しいです

 

早いもの勝ちの未来

「いじめられて死ぬまで追い詰められるなら、先にいじめてしまえ」

「殺される前に、殺してしまえ」

 

加害者が擁護されることに反発を覚える人の思考の背景にあるのは「死んだら負け」「やった者勝ち」となる現状と未来への反発ではないでしょうか?

 

「人を殺してはいけない。殺されるのは怖いから」

伊坂幸太郎さん作「グラスホッパー」の主人公・鈴木先生は続編の「マリアビートル」でそう語りました。

それなりに人間不信のわたしが言えた義理ではないでしょうが、それでもわたしは周りが全員自分を狙う殺人鬼に見える未来は嫌だなあと思います。

どこまで少年の権利を擁護するか、考えても良いと思います。

 

ご意見もぜひ

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またさまざまなご意見もお待ちしております!

 

コメント紹介

赤ん坊が沸騰したヤカンを触り火傷し、それ以降二度とヤカンを触ろうとしないのは火傷という”痛み”を理解したからです。  加害者には罰則という痛みが必要です。それがなければ”やってはいけないこと”を理解することが難しくなり、同じことを繰り返す可能性があります。(最悪な場合、前回よりも酷い形で)
はるかさんの意見に何一つ異論はないです 正直、加害者が地獄を見ようがあの世へ旅立とうが、失われた命も失われた時間もかえってはこない 罪を償っていくにしても、一生許されないことだってあるし、加害者の未来も平坦なものではない それが己が犯した罪と向き合い償うということ それをすっ飛ばして、自分がした事から目を背け、権利だけ主張するなんて思い上がった証拠やし、虫が良すぎるはなしです それが解らないまま、人生の先を歩き、人を導くべきはずの教育者が軽々しく発言してしまえるのは残念でしかありません
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