なぜいじめはなくならないのか?
なぜ悲惨な事件が起きても「少年法」は存在するのか?
なぜ子どもは大人同様に裁かれないのか?
一度「少年法廃止」をTwitter・サイト・YouTubeなどで訴えてすべて炎上してわかったのは、
ということ。
何かやるときに障害になるのは似た経験をもつ人の声だったりする
たとえば生理休暇とか副反応ハラスメントとか挙げ出すときりがない
同じ病気でも
私の方が重症なのに
とか平気で言えちゃうしそう考えてその人が救われるなら良いけどさ
ぶつけられた人は不愉快だし
自他の境界つけようなって思うよ— 紫乃はるか (@shinon_haruka) April 13, 2021
考察開始点
「もういじめに関しては語らない」と言ったにも関わらず再度語るのは、旭川の14歳女児凍死事件での教頭の台詞
「加害者にも未来はある」
が原因です。
加害者「にも」未来はある
「加害者にも未来はある」
確かに正しいですよね。
でもきっと、被害者「にも」未来はあったはずです。
こんなことにさえなっていなければ。
もう「たぶん正しい」としかいえないですが、死ななければ誰にでも未来はあります。
「被害者に未来はない」
ただ実際を考えると、大変とても胸が痛い話ながら、死んでしまった被害者に未来はありません。
「未来があったはず」は「if」の話。
「死ぬこと以外はかすり傷」なんて台詞が流行したのもこのためですね。
あとはお笑い芸人(?)さんまさんの娘・IMALUさんの名前の由来にもなっている「生きてるだけで丸儲け」。でも、
「死人に口なし」
「未来がない」とは「幸せになれない」意味だけではありません。
どれだけ苦しかったかも、つらかったかも、悩んだかも悔しかったかも、死んでしまえば伝えられないのです。
生きていて必死に伝えてそれでも「伝わらない」と嘆いているわたしですが、死んで伝わらないのもきっと悔しい限りでしょう。
少年法で守られる
満15歳までの犯罪は少年法により基本的に裁かれません。
もし裁く場合は児童相談所から都道府県知事やらその辺りの偉い人に要請があり、その人から家庭裁判所へ送致される必要があります。
ついでに審判の結果は「明かしてはならない」(はずです)。
「審判は少年の内省を促すものでなければならない」
これが少年法の原則です。
少年には「更生の余地がある」とみなされているからですね。
え?
まじで?
わたしはたくさんのいじめ相談も受けていたのですが、最も激しかったものでは「これは犯罪、15歳も超えているし自殺教唆にあたる」という例も見てきました。
ここまで悪質なものは見たことがなく、現代のいじめはもはや犯罪であると伝わればいいなと思うのですが、しかし、
いじめには通報順序があります。
酷いからといって直接警察に届け出ても対応してくれません。
どこかで「いじめはない」と言われれば、それで終わりです。
「少年法廃止」反対の声
以前かなり炎上しながらも「少年法廃止」を訴えたときには、実は「少年は国の宝であり更生する余地があるため廃止すべきでない」との声は、反対の声が大量に上がる中で一切ありませんでした。
ではどんな意見があったのか?
それは、
すべてここに集約されます。
正直乾いた笑いしか出ませんでした。
まずいじめを受けたのはわたしではないので後者は論外ですが、
「自分はもっと酷いいじめを受けたのに耐えた」
うん、えっと、
自分と他人は違います。
つらさを比べる、酷さを比べるのも論外です。
要するに
んですよね。
だからこそ、行動を起こそうとすると邪魔をする。
そこに少年・加害者の未来への心配はありません。
これがわたしの教育論としての今の意見です。
加害者の擁護
「加害者にも未来がある」以外に、わたしが考えている「加害者が法的・人的に擁護される理由」があります。
それが「国益のため」です。
児童の権利条約
国連が1988年、日本が1994年に批准した「児童の権利に関する条約」
ここには「年齢及び成熟度に応じて児童の意見を尊重する」と示されています。
さて考えてみましょう。
いじめ加害者の成熟度はいかほどか?
恐らくそこまで成熟していませんよね。
善悪の区別、どこまでいけば人は死ぬのかなど、多くのことがわかっていないのではないでしょうか。
「なぜ人を殺してはいけないの?」
「なぜ?」「どうして?」
該当精神年齢は平均2~3歳。
ただし善悪の区別がついていて「いじめ」という「少年犯罪」を行っているのなら話は別です。
「実証実験」
該当精神年齢は15歳以上。
どちらも、たとえ転校くらいはしたとして、今までと同じか似た環境で「更生する余地あり」と捉えられるかどうか。
わたしは疑問です。
ただ条約を批准したからには、国として児童の権利は守らなければなりません。
納税の義務
わたしが加害者を守る理由として1番強く考えているのは、
こんな利権まみれ雑念まみれで汚らしいものです。
国を動かすには財源が必要です。
死者は財源になりませんが、生者は財源になります。
早いもの勝ちの未来
「いじめられて死ぬまで追い詰められるなら、先にいじめてしまえ」
「殺される前に、殺してしまえ」
加害者が擁護されることに反発を覚える人の思考の背景にあるのは「死んだら負け」「やった者勝ち」となる現状と未来への反発ではないでしょうか?
「人を殺してはいけない。殺されるのは怖いから」
伊坂幸太郎さん作「グラスホッパー」の主人公・鈴木先生は続編の「マリアビートル」でそう語りました。
それなりに人間不信のわたしが言えた義理ではないでしょうが、それでもわたしは周りが全員自分を狙う殺人鬼に見える未来は嫌だなあと思います。
どこまで少年の権利を擁護するか、考えても良いと思います。
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