本の構成
日野原重明さん著、「生きていくあなたへ~105歳 どうしても遺したかった言葉~」
この本は、日野原重明さんの最後の著書であり、多くの人が人生の中で抱えるであろう悩みに対して日野原先生が答えるというインタビュー形式となっています。
日野原先生とは
プロフィール概略
- 1911年10月4日、山口県山口市生まれ。
- クリスチャン。
- 1937年京都帝国大学医学部卒業。
- 1941年聖路加国際病院に内科医として赴任。
- 1992年同病院院長に就任。同名誉院長、聖路加国際大学名誉理事長を歴任。
- 2017年7月18日逝去。
功績
- 1973年(財)ライフプランニングセンター設立
- 2000年「新老人の会」結成
- 2005年文化勲章受章
- 2007年日本ユニセフ協会大使就任
- 2010年コルチャック功労賞受章
- 他、「生活習慣病」という言葉を作る、など
感想
以下、読んでみての感想です。
本の構成がインタビュー形式なので、
問いに対する先生の答えのまとめ
それに対するわたしの感想
という形で述べていこうと思います。
←わたしは怖くないので、残念ながら共感できませんでした。
毎朝起きて、今日はどこの筋肉が動くか、どこの感覚があるかを確かめて、できる範囲で動きながら、できないことにもチャレンジして暮らしています。
それでも、わたしにとっては生きている方がよっぽど勇気がいります。
←わたしもブログやツイッター、Facebookで命の大切さ、言葉の大切さについて訴えていますが(特に上記のリンク)、
では「命とは何か」と問われれば、自分の命はいつ手放してもいいものでしかなく、ひとの命に対する答えは未だ持ちません。
(大切なものだとは思っているので、自殺しようとしている人がいれば絶対に止めますが)
そんな中、「命というのは君達が使える時間の中にある」という先生の回答は、命を直接的に定義するものではないにしろ、腑に落ちるものがありました。
人間は生まれてから死ぬまで「生きている時間」があるのであって、それを人生と呼んでいる。その「ひとつの人生」という道を辿るのが「ひとつの命」「ひとりの人」であるのなら、時間=命と読み替えても良いのではないかと感じたわけです。
ならば、時間の使い方を考えることは、命の使い方を考えること。
そう考えると、先生のおっしゃった「生きている時間のうち、人のために多くの時間を使った人が天国に行ける」ということは
「自分の命を人のために使った人が幸せになれる」ということかもしれませんね。
←理想の自分ってなんだろう。
そう考えたときに思い浮かぶのは、病前の自分です。
手先も器用で、走りは遅かったけど笑、スポーツは好きでバスケやバレーは得意でした。
少林寺拳法や剣道をしていたので根性はあったし、作詞作曲してピアノの弾き語りでクラスメイトから褒められたこともあります。
勉強も得意だったし、読書も好きだった。
全部(少なくとも以前ほどは)できなくなったけれど、でも確かに以前の自分と今の自分を比べても無意味なんですよね。
わたしにできるのは「今できることを認めること」しかなくて、あとはどこまでできるようになるか、天命を待つしかないです。
でもそれは悲しいことではなくて、「したいことができるようになるいつか」を楽しみに待つことだってできるんですよね。
わたしは「自分らしく生きたい」と思って退院しましたが、
「自分らしく」という言葉がいかに曖昧か…。
当時はできない自分を認めてくれる人のところに帰りたい、という思いでしたが、
今振り返れば、できない自分を一番認めていなかったのは自分自身だったんですよね。
だから疲労で倒れるまで寝ずに筋トレしてたんだと思います。
(もちろん不眠症や痙攣硬直のせいもありますが)
だから、できない自分を認めた今は気持ちがかなり楽です。
とはいえ抑うつと躁うつの波があるので、穏やかな気持ちが続くことを祈るしかないんですけど笑。
←確かに病気にかかって気づいたことはたくさんあります。
今までの自分の浅さにも気づけたし、
弱っている人の苦悩を知りました。
そして様々な人の優しさを知りました。
本当は入院当時から書ききれないくらいいっぱいありますけど。
だから先生の言葉の意味はよくわかります。
ただもし重い病気にかかった最愛の人に感謝の気持ちを伝えるのなら、本当に相手の立場になって、かけてほしい言葉を考えてあげてほしいと思います。
←この解答って医療だけに当てはまることではないですよね。
たとえば、余命数日の家族にどう愛を表すか、とか、
そこまで極端でなくても、自分の大切な人にどう愛を伝えるか、とか。
心から思い、笑顔で優しい言葉をかけ、手を握り、話を聞くこと。
人と人との交流の真髄のような気がしています。
←わたしにとって一番悲しかったのは、完治と寛解の違いを知った日でしょうか。https://harukams-medicalbeauty.com/kankai/
残念ながらその悲しみはまだ乗り越えられていません。
もう大丈夫、と思っているのですが、ふとした瞬間(たとえば両腕が痺れて動かなかった昨日の夕方まで)などに、
「ああ、この痺れは一生取れないんだな」
と思うと涙が溢れてきたりします。
今こうして書いている時間も、動くだけで痺れが取れているわけではないので
ただ、自分が徐々にこの体を受け入れつつあるのは感じます。
できることをできるうちにするしかないじゃん、と動けるときに調子に乗って動いては母にやりすぎだと怒られます笑。
ただ奇遇にも、わたしが最初に入院した病院の面会時間終了のお知らせの音楽は「花は咲く」でしたね…。
←これはすごく共感した項目でもあります。
というのも、このブログを始めたときに一番反対したのは家族でした。
「あんたの病状なんて周りだけ知ってたらいいやん」
「今やることじゃないやろ」
と。
また医療従事者となるはずだった身なので、医療関係のページを書くことで将来に影響が出ると困るとも言われましたし、
メルカリの記事が叩かれたとき
に一晩泣き明かしたときには、
「泣いてまですることじゃないやん」
「もう発信なんてやめとき」
と言われました。
それでもわたしは発信したかった。
なぜって、
あまりに苦しかったから。
こんな思いはもう誰にもしてほしくないと思ったから。
誰のためにって、みんなのために。
苦しんでいる人の苦しみが和らぐように、苦しんでいない人が苦しまずに済むように。
わたしは自分の主張のできない、いわゆる「社会的弱者」と呼ばれる人の味方でありたいと思ったし、
これからもそうでありたいと思っています。
地位も権力もお金も、満足に動く体さえないけれど、まだこの脳が働くうちに
再発して言語や記憶領域がやられてしまう前に
(再発するとは思っていないししてほしくないですが、もう18ヶ所もやられているので正直わからない)
できる限り多くの人にこのMSという疾患を知ってほしいし、この社会をMSでなくても病気を抱えて生きる人にとって住みよい世の中に変えたいんです。
体が動かなくなる度に
感覚がなくなる度に
痙攣に呻く度に
目が見えなくなる度に
何度も問いかけます。
わたしは本当に発信したいのだろうか。なぜ、誰のために。
その答えが変わらないうちは、わたしは地道に発信を続けたいと思います。
←わたしも医療従事者になる(はずだった)身として、「機械化が進む中で人間にしかできないことは何か」という議論を友人や先輩方と交わしたことがありますが、
わたしの中では答えはいつも決まりきっていて、「心」でしかないと思うのです。
わたしは臆病なので、日野原先生のように技術革新をわくわくした気持ちで見る、ということはできずに「どこまでが機械化されて、どこからの仕事(手技)は残されるのか」なんて不安に感じることもありますが、
心のケアは絶対に機械にはできないと思うのです。
きっと技術がどんなに発展して、機械が人間の感情を分析できるようになっても、
人間の心って入り組んでいて複雑でどうしようもなく矛盾を孕むものだと思うから。
だから、人間に寄り添えるのは人間だけ。
「ますます愛を大切にする時代になってくる」という先生のお言葉は、
まさにそうだと思うし、そうであってほしいと思います。
以下は同書~書斎のファイルから~のページからの抜粋です。
わたしはドクターではないけれど、アーティストでありたい。
それをわたしはこう読み替えます。
それが、平和で幸せな社会の実現の第一歩だと信じているから。
「愛することは信じること。信じることは待つことです」
最後に
病気になってからというもの、(日野原先生にならって言うなら「病を頂いてからというもの」)
視神経への影響や疲れやすさから、一度は文字が読めなくなり、最近は少しマシになりましたが、文章を読むのはまだまだ大変でした。
そんな中、手や脚の不調の日が続き、本を読むという機会が増えたこと、
こうして一冊の本を読み終えて感想文を書くに至るまでできたこと、
わたしはクリスチャンではありませんが、目に見えない何か大いなるものに感謝致します。
今わたしの心は、病を頂いてから初めて一冊を読み終えた喜びと満足感でいっぱいです。
たった一冊、されど一冊です。
欲を言えば、たくさんの人に読んでほしい。このページも、日野原先生のご本も。
すべての人がこの本にあるような考え方をしていたら、きっとひどく思い悩んだり、つらい思いをしないで済むのではないかなと思うから。
というのは、「君がまだ社会に出ていないからだ」「現実を知らないからそんな綺麗事が言えるんだ」とまた批判されるのでしょうか…。
でもごめんなさい。
わたしはそんなことを言われても諦めないです。
どんな現実にも諦めないです。
病名を告げられてからも、痛みと痺れは消えないと告げられてからも、諦めたことはありません。
全身不随になったって、全身痙攣の中だって、絶対治ると信じてここまでやってきたんです。
だから、今回も信じて待ちます。
すべての人が悲しまず、悩まず、平和で幸せな社会の実現へ
ここまで読んでくださってありがとうございました。