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闘病で死にたくなったときのあいみょん「生きていたんだよな」歌詞解釈

音楽
この記事は約6分で読めます。

「生きていたんだよな」はわたしにとって

みなさんはあいみょんの生きていたんだよなを聴いたことがありますか?

二日前このへんで

飛び降り自殺した人のニュースが流れてきた

なんとも衝撃的なセリフから入る曲ですが、続きの歌詞もなかなか衝撃的です。自殺を推奨しているんじゃないかとネットで話題になったこともあります。

ただ、わたしはこの曲は、生きていることを自覚させる曲だと思うんです。

その理由を、以下で述べていきますね。

歌ってみた動画↓

「生きていたんだよな」というひと言が心に刺さる瞬間

まず、歌詞の続きがこちら。

血まみれセーラー 濡れ衣センコー
たちまちここらはネットの餌食

「危ないですから離れてください」
そのセリフが集合の合図なのにな
馬鹿騒ぎした奴らがアホみたいに撮りまくった

冷たいアスファルトに流れるあの血の何とも言えない
赤さが綺麗で綺麗で

 

この曲は、たぶんわたしの人生を最大レベルで変えた曲だと思います。

というのも、この曲自体との出会いは結構前なのですが、

本気で心を揺さぶられたのは、死ねなかった日の病院のベッドの上、誰も起きていない深夜~早朝帯。

(死ねなかった日についてはこちら→https://harukams-medicalbeauty.com/ikirukati/

薬や激痛で不眠症となっていたわたしは、いつも夜通し音楽を聴いていました。

急性期のときは米津玄師かあいみょんかのプレイリストをエンドレスでしたね。

でも、夜通し聴いていたと言ったって、夜通し痙攣しているわけなので、痛みとか苦しみとかで、実際は耳に入ってこないんですよ。

聞こえだすのは、いつも痙攣の和らぐ明け方。

泣いてしまったんだ
泣いてしまったんだ
何にも知らないブラウン管の外側で

 

涙を流しながら苦痛に耐える頭に、急に響いてくる声が。

 

生きて生きて生きて生きて生きて
生きて生きて生きていたんだよな

最後のサヨナラは他の誰でもなく
自分に叫んだんだろう

 

あー、そうか。

わたしはまだ生きていたのか。

 

死んでいないからここまで苦しんでいるのに、

生きていることを忘れて、

ただ治療と検査とリハビリに追い立てられるように生かされて、

 

最終的にはできる治療もなくなって、

使える薬もなくなって、

ただ「耐えて」と言われながら、

ただ耐えながらベッドと車イスを往復する日々で、

人の手を借りないと何一つ、自分でトイレに行くことすらできなかった。

 

看護師さんに全介助してもらった上、下着まで脱がしてもらったあの日のショックは今でも忘れられません。

 

わたしは、ここまで何にもできないのかと。

 

最低限のことすら、自分でできないのかと。

 

それでも、まだ生きていたんだな。

そのことに、ようやく気づけた。

 

彼女が最後に流した涙
生きた証の赤い血は
何も知らない大人たちに2秒で拭き取られてしまう
立ち入り禁止の黄色いテープ
「ドラマでしかみたことなーい」
そんな言葉が飛び交う中で
いま彼女はいったい何を思っているんだろう
遠くで 遠くで

 

きっとわたしが流した涙も、受けた苦痛も耐えた努力も、

カルテには「痙攣」の2文字で済まされているのだろう。

 

経験したことのない人には、

関わったことのない人には、

人の気持ちを推し量ろうとしない人には、

どれほどの苦しみも痛みも、他人事でしかないから。

 

泣きたくなったんだ
泣きたくなったんだ
長いはずの一日がもう暮れる

 

もう泣いているけど、泣きたくなったんだ。

長い、不眠のせいもあって本当に長い1日なのに、

また痙攣の時間がやってくる。

 

生きて生きて生きて生きて生きて
生きて生きて生きていたんだよな
新しい何かが始まる時
消えたくなっちゃうのかな

 

昼の痙攣はますます酷くなる。

夜の痙攣は突然始まって終わりが見えない。

確かに、新しい何かではないけれど、夜の痙攣が始まって、消えたくなってしまった。

 

共感できない部分もあった

「今ある命を精一杯生きなさい」なんて
綺麗事だな。
精一杯勇気を振り絞って彼女は空を飛んだ
鳥になって 雲をつかんで
風になって 遥遠くへ
希望を抱いて飛んだ

 

ここだけは、本当に共感できなかった。

 

この子は、勇気を振り絞って飛んだのか。

わたしは、勇気なんていらなかったから。

 

ただつらくて、逃げたくて、もう苦しみたくなくて、

死んだら楽になるとも考えていなくて、

むしろ楽になりたかったわけでもなくて。

希望なんて抱いていなかった。全く期待していなかった。

 

「今ある命を精一杯生きなさい」なんて、本当に綺麗事だ。

人それぞれ、命の在り方はいっぱいあって、命の使い方もいっぱいあって、自殺したからって他人から色々言われる謂れもなくて。

 

それでも。

 

生きて生きて生きて生きて生きて
生きて生きて生きていたんだよな
新しい何かが始まる時
消えたくなっちゃうのかな

生きて生きて生きて生きて生きて
生きて生きて生きていたんだよな
最後のサヨナラ他の誰でもなく
自分に叫んだんだろう

サヨナラ サヨナラ

 

他の誰にも理解されないのは、あまりにも悲しいと思ってしまったから。

この少女の死によって気づいたわたしの生は、まだ終わっていないようだから。

 

単に生かされているんじゃない、生きていたんだ。

 

「先生、わたし、まだ生きていたんですね」

「…うん」

「先生、わたし、好きなことしていいんですね」

「うん」

 

健康に生きている人には当たり前のことかもしれないけれど、

病院という場所には本当に制約が多いし、病人には、できないことが本当に多すぎる

それでもどうも、好きに生きていいらしいから、

だからわたしは残りの命を、精一杯綺麗事を掲げて生きることにしました。

 

いつか、すべての人が苦しまず、悲しまず、平和で幸せな社会を実現する。

 

悩みながら、苦しみながら生きるすべての人たちの力になれるように。

悩みの答えがここにあると思えるように。

 

小さな一歩から、世界を変えていこう。

 

「生きていたんだよな」は、わたしに生を自覚させた曲
好きに生きていいよと言ってくれた曲

 

苦しくて死にたくなる度に、いまだに生きる勇気をくれる曲。

 

最後に、関係ないですが、

あいみょん大好き!

以上、haruka的あいみょん「生きていたんだよな」解釈でした!

 

(歌詞引用元:歌ネット https://www.uta-net.com/song/217908/)

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