わたしは難病患者です、という前置きすら必要のないくらいこのサイトは難病ありきで構成されていますし、簡易プロフにも書いています。
そんな難病患者として断言します。
医療崩壊「寸前」は嘘です。
もうとっくにしています。
わたしの症状
「医療崩壊はしている」と断言するにあたって、まずわたしが普段耐えている症状を軽くでいいので読み流してください。
痙攣
- 首の筋肉:窒息
- 腕の筋肉:制御不能・暴走
- 脚の筋肉:制御不能・暴走
- 全身:肉離れ・内出血
硬直(主動作筋と拮抗筋の同時収縮)
- 全身:突然ろう人形のように固まる(カタレプシー)
- 全身:肉離れ・内出血
- 部分的:突然固まる(痙攣硬直)
脱力
- 寝起き2時間は動けない
- 右半身と左脚:力が入らない
- 腹筋:まれに動かない
- 口:まれに動かず、声も出ない
- 体温が上がると力が入らなくなる
嚥下
- 液体では絶対にむせる
- 固体はたまにむせる
疲労
- 筋肉が疲労:力が入らなくなる
- 目が疲労:一時的に失明する
- 慢性疲労:倦怠感が抜けず、動くのもつらいし反動もつらい
総括
上のこと全部をまとめると、わたしは
- 右半身と左脚は痙攣・硬直・脱力を繰り返し思うように動かず
- 左腕が自由な時間も疲労しない程度に限られており
- そのうえ左腕がいつでも思い通りに動く保証はなく
- 薬は左肘と腹筋でなんとか起きて飲んでいるが
- たまに飲ませてもらう必要が出てくるし
- そのとき助けを求めるのはかなり困難で
年に数か月は入院治療を受けています。
加えて感覚麻痺や自力での体温調節不可能な点を思うと、自分でもどの機能がどれだけ残っているのかわかりません。
そのことを念頭に置いて読み進めてくださればと思います。
通常医療
わたしに合う薬は今ありません。
より正確にいうなら、難病:多発性硬化症とは別の病名での精密検査をドイツの研究所にて行ってもらう予定だったところで新型コロナ騒動が起こり、検査が延期になりました。
現在はステロイドと免疫抑制剤を試し試しで使い日常を送っています。
急激に悪化した場合は入院して、点滴を3日連続して4日休み、を繰り返すステロイドパルス。
激悪化した場合も入院で、血漿交換という透析+輸血のような血を入れ替える治療をします。
数か月に1回はこの血漿交換をするほうが楽に過ごせるのですが、そのためには
- 首に穴を開けたままひと月過ごす痛み
- 首の穴からの感染症のリスク
- 輸血製剤があるかどうか
などがけっこう重要になっています。
最近の病院
最近の通院記録を見ればわかるのですが、ここ半年入院がありません。
とても喜ばしいことです。
ただその理由は、
そんな諦めと、日帰りステロイドパルスが増えたことにあります。
入院の選択権
と聞かれることがありました。
入院したいのではありません。
効果のある治療をしてほしいのです。
そう思っていました。
でもそれは贅沢な望みだったと痛感しています。
今はもう、「入院する?」それすらも聞かれません。
ただひたすらに通って点滴で1日を潰し、その日の夜は若干調子が良くなっても、次の日にはまた悪化して通って点滴の繰り返しです。
難病患者の後回し
難病を診られる医師がいるのはだいたい大病院です。
大病院はだいたい新型コロナ患者受け容れをしています。
わたしのかかっている病院も例外ではありません。
そして去年6月から、入院できていません。
症状が悪化する度に、月に数回と通っています。
「パルスをするなら入院がいい」と医師には伝えてありますが、ただ入院できる余裕がないのです。
普段から病院に通う必要のある難病患者は、後回しにされているのです。
これが医療崩壊でなくて何なのでしょう。
国民の平等性は?
等しく医療を受ける権利は?
わたしは去年の1月からず~っっと、精密検査ができるのを待っています。
いつまで新型コロナに譲っていればいいですか?
死にますよ?
君の膵臓をたべたい
沈黙の臓器、膵臓。
5年生存率5%、別名:5のがん、膵臓がん。
作中では病名にまでは触れられていませんでしたが、そんな膵臓を題材に書かれ世間を感動の渦に巻き込んだのが「君の膵臓をたべたい」でした。
「死」が身近だとわからない感動
この物語はざっくり、主人公が余命わずかな同級生に色々付き合わされた最後に恋心を自覚し、伝えようとしたところで「寿命ではなく」通り魔に刺されて死ぬエンディングを迎えます。
余命があるからには、余命までは生きられると思っていた
主人公がそう悔悟するシーンがあったように記憶しています。
そしてこの死に方を含めたエンディングに、多くの人が涙しました。
ぶっちゃけわたしには意味のわからない世界でした。
わたしはある朝、目を開くと全身が止まって動かず、途方に暮れることがよくあります。
パソコンを打っていたら急に首が痙攣して窒息することもよくあります。
治療中に昏睡状態に陥って、目が覚めたら数日後なんてざらにあります。
余命はありません。
理論上は「死ぬまで生きられます」
でもいつ死ぬかはわかりません。
パソコンを打っている今かもしれない。
ほらまた脚が痙攣し始めた。
今日はドリアを食べてみたいのだけれど、それまで生きてるかな?
そんな気持ちで生きている人間、少なくともわたしにとって、
そんなレベルの「お話」なんです。おとぎ話です。
そして
こんなことも思います。身辺整理もできますし。
理論上では生きられるはずのわたしは、来たる死への準備をする暇もなく生きなければならない。
「そんなに死にたければ死ねよ」というご意見はもうたくさんいただいたことがあるので先に言いますが、
わたしの死に方はわたしが決めるのでご心配なく
閑話休題、話を戻します。
あれだけたくさんの人が「君の膵臓をたべたい」で「余命までは生きられるわけじゃないんだね…」と気づき涙したはずなのに、
しかたなくないですよ。
基礎疾患だけならまだ亡くなっていなかった命かもしれません。
なんでも後遺症は怖いです。
たとえば、髄膜炎の後遺症もなかなかですよ?
字が読めなくなるし、時間差で耳も聞こえなくなりましたし、大変でした。
コロナでなくてもだいたいの病気がそれなりにつらいし、それなりに死にかけます。
髄膜炎、溶連菌感染症、多発性硬化症、抗神経抗体症候群、WPW症候群…たくさんの病気をわたしも経験しましたし今でも苦しんでいますが、ぶっちゃけ風邪でも人は死にます。
事実は小説よりも奇なり。
現実はときに小説を超えます。
医療崩壊は心の崩壊から
ここまで話すと「お前はケンカ売ってんのか!?」と感じる方も一定数いらっしゃるかと思います。
「お前には人の心がない!」と思う方もいらっしゃるでしょう。
事実過去に言われた悪口のひとつです。
あとは「不幸自慢かよ!」ですね、一定数いらっしゃります。
どれも的外れです。
と申しております。
ウイルスという目に見える脅威は、原因不明の難病よりも身近に感じられる恐怖でしょう。
「おばけは目に見えないから信じないけど科学は目に見えるから信じる」と同じ理屈です。
そして毎日毎日ニュースで丸いウイルスの写真を出されれば、原因不明の難病はもちろん、検査できちんと「見える」脳卒中やがんよりも恐怖を感じることでしょう。
ニュースで出されている写真はよく見ると右下に新型コロナ「COVID-19」ではなく別のウイルスの名前が書かれていますが、そんなもの見えませんよね。
見てください。
他でもない、このページをご覧くださったあなたが。
新型コロナ患者以外にも医療を必要としている人がいることを。
余命は誰だって誰にだってわからない現実を。
最後に」
最後は応援メッセージとさせてください。
過度な恐怖、恐怖することからの心の疲弊、それが体の疲弊へとつながり、免疫力を下げます。
わたしのように免疫抑制剤を飲まなければならない場合もありますが、せめて心の免疫は強く持ってください。
ご覧くださりありがとうございました。