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すべての人へ/伊藤計劃「虐殺器官」感想

レビュー
この記事は約12分で読めます。

伊藤計劃さんとは

伊藤計劃さんは、「虐殺器官」で作家デビューをしたものの、で34歳という若さでこの世を去った方です。

小説家人生は約3年と言われています。

全身を特殊な癌に冒され、四肢の感覚がなくなったり、肺を切除したり…

最後は口頭で物語を紡いだと言われています。

そんな彼の残した作品は、少ないながらもかなりの爽快感と深さをもって、わたしのようなコアなファンに愛され続けています。

 

ちなみに彼の最後の作品「屍者の帝国」は30ページまでが伊藤計劃さんご自身、それ以降を円城塔さんが継いで完成したものです。
そちらも後々ですがレビューを書かせていただくつもりです。
何せ伊藤計劃3部作と言われる「虐殺器官」「ハーモニー」「屍者の帝国」の中でも最長で、理解に最難関の難易度を誇るので、10回以上読んだ今でも自分の中で解釈が固まっておりません(^_^;)
ちなみに上記3つは全てアニメ映画化されています。虐殺器官は断トツの再現率かなぁ?と思います。
 

それはさておき、彼の扱うテーマには一貫性があって、

  • 意識とは何か
  • 言葉とは何か
  • 魂とは何か

死に面しながら言葉を紡いだ彼だからこそ書けた作品ではないかと思います。

ちなみに虐殺器官は10日間という異常なスピードで書き上げられています。自分の死期が近いのを悟っていたからかもしれません。
 
ご自身はインタビューで「爽快感、強く生きるしぶとさを感じてもらえれば」と語っていらっしゃいますが、それ以上に考えさせられるものがあるのも事実かなと思います。

感想

以下で感想を述べさせていただきます。

あらすじ

虐殺器官は、仮想通貨や監視システムが完備されるのが当たり前となった近未来を舞台としたSF作品です。

主人公のクラヴィス・シェパード(米軍特殊暗殺部隊長、文学部卒)が、アメリカ以外の世界各地で紛争、虐殺を巻き起こして回っているという言語学者ジョン・ポールを追跡する内に、ジョン・ポールの愛人ルツィアや、彼女の行きつけであるバーのオーナーが所属する「計数されざる者たち」(=監視される社会を嫌う者たち)」に触れ、考え方を変えていく、という内容です。

かなりざっくりですが(^-^;

主人公たちは暗殺部隊ですから、子供や老人でも動揺なく殺せるように、また任務に支障が出ないように、心や痛覚などのマスキングを受け、カウンセリングケアを受け、様々なハイテク機器を駆使して、「人を躊躇いなく殺せるように」訓練を受けています。

 

この作品を読む鍵

解釈は人によって異なると思います。

なので以下ではわたしがこの作品を読み解く上で重要だと考えるポイントについて触れます。

ダーウィンの進化論

一般的にも有名ですが、作中では「集団を形成することが生存競争を勝ち抜く上で最も安定的」なことを示すものとして使われています。

紛争、虐殺はそうした集団形成による安定性を捨て去る行為ですが、これも生存競争を勝ち抜く上で例外的に認められる行為として扱われています。

後に感想として述べます。

自由の選択

不自由である、命令がある、というのは、思考停止を促すもので、責任を自分で負わなくて良い分楽なんですよね。

そこに自分で選択するという、責任を負わねばならない事態が発生する。そんなときに、「選択をしない」ことで責任から逃れる道もあるわけです。

選択をしないという選択をするのが自由なのではなく、選択をしない自由を捨てられることが自由である証なのだ

と作中では語られています。

この辺りは言葉遊びのようなところがありますよね(^^)
 

罪と赦し

主人公のクラヴィスは、母親の延命処置を断った経験をもち、それ故に「自分が母を殺したのではないか」という罪の意識を抱えています。

また、

「神は死んだ、その日から罪は人間のものとなった。そして赦すのもまた人間である」
「殺人が許されない罪なのは、赦しを下す対象を失うから。他に赦しを与えられる人間はいないから」

この辺りは伊藤さん自身の罪や死への想いが詰まっていると思うのですが、死んだら会話できないし、殺したら謝っても返事はないですよね。当たり前ですけど、これってすごく重要だと思います。

まずわたし自身この作品は何度読み返したかわからないほどなのですが、その度に感じるワードがあります。それが、

  • 「地獄は頭の中、脳みその中にある」
  • 「人は見たいものしか見ないから」
  • 「虐殺の文法」

です。

印象的な言葉について

「地獄は頭の中、脳みその中にある」

これはクラヴィスの部下で信心深い、アレックスの言葉です。

彼はすぐ後に自殺します。

様々な戦場に出向き、また残酷な場面をも目にして、それでも地獄はそういった環境などの「外部」ではなく、人間の、「脳の内部に」存在すると主張するアレックスの言葉について、クラヴィスは何度も考えます。そしてわたしも。

そして気づいてしまいます。

「無神論者と言いながら、魂の存在を信じることで、死後の世界(天国とか地獄とか)に送ったと考えることで、自分は殺人の罪から逃れようとしていると。

宗教を、魂や死後の世界といった部分だけ信じて、うまく利用することで罪の意識から逃れようとしている。
アレックスは宗教と真剣に向き合っていたから、罪から逃れることなく、耐えきれず、自殺を選んだ。

アレックスの自殺理由について文章中に明記されている部分はないのですが、仄めかされている部分を繋げて、わたしはこう受け取りました。

そして、「逃げ道として死を選ぶ」というのは、病人としてよくある思考回路なのではないのかなと思うのです。

伊藤さんが病に侵されながらこれを執筆したように、わたしが痛み苦しんで「死にたい」ではなく「逃げたい」という思いから自殺しようとしたように、

(わたしが死に逃げようとした日はこちら→https://harukams-medicalbeauty.com/ikirukati/

発達障害、精神疾患、難病、あるいは普通の風邪でも、

見えない何かと闘っている人にとって、死は最後の希望となることがある

と思うんですよね。

「人は見たいものしか見ないから」

これはジョン・ポールの言葉です。

「アルファコンシューマー」と呼ばれる、自分の使うものや口にするものの成分、産地を気にする方々そんな人はいても、バイオ機器に使われている人工鯨肉の産地や、そこで働かされている貧しい子供たちの現状を調べる人はいない。

作中ではそう語られますが、現実でも、アルファコンシューマーと呼ばれる人たちが気にして調べるのは、食物の産地や原料くらいで、

例えばアメリカで使われる銃がどこで誰にどのように造られるか、

日本では…不法投棄したものがどこの国に流れ着くのか、とか、貧困の国の子供たちがどんな過酷な現状を強いられているか、とか、そういうことには普段一切目を向けないですよね。

たぶんこのページをご覧になってくださっている方は多少広い視野の持ち主かと存じますが…(^^;
そして、自分の知りたいものしか見ない、こういうのを心理学では「確証バイアス」と呼ぶのですかね。
専門家ではないので確かではありませんが…

自分の見たいこと知りたいことにしか目を向けない。

それ以外のことは一切考えない。無視する。

これはアルファコンシューマーだけに言えることではないのですが、わたしが母を苦手に感じるのは、いつも母がこうしたアルファコンシューマー化する瞬間です。
わたしは様々な意見、情報、それを取り入れて選ぶことのできる人が好きなので、一方にしか耳を貸さない、という方は苦手です。

それはさておき、これって現代日本でも起こっていることですよね。

見たいことしか見ないから、知りたいことしか知ろうとしないから、自分が良ければ全て良しだから、こうやって苦しむ人が叫ばなきゃいけない。
叫んでも聞いてもらえない。耳に入らない。
なぜなら興味がないから

わたしだって病気になるまではTwitterの闘病垢なんて、存在すら知りませんでした。

以前、「闘病垢が闘病している証拠を晒さなければいけないのか」というツイートをさせていただきましたが、

健常な方から「証拠を出せとまでは言わないけれど、自分は関係ないから関係のないところでやっていて」という言葉をいただきました。

健康なうちは、関係ないですよね。
病気って、ある日突然来るんですよ。
わたしも知らなかったけれど、突然手足が動かなくなって、動いたと思ったら、毎晩痛みにうなされるんですよ。
そして動き続けるわけでもないんです。条件で止まります。また動かなくなります。

これはわたしの話ですけれど、他にも苦しんでいる方はいらっしゃるでしょう?

理解されず、理解する努力もされず、悲しみ嘆く人の声が。
それをかき消すほどの、「努力が足りないからだ」という罵声が。

そして、行き先をなくした感情が、ときに他者を苦しめ、ときに自分を苦しめる。

幸か不幸か、わたしにはそのどちらの声も送られてくるので、毎日とても考えさせられます。

政治的問題で言えば、水道の民営化とか沖縄の基地問題になるのでしょう。

社会全体的に言えば、わたしは個人の心、モラルの問題に帰着すると考えています。

人は、見たいものしか見ないから。

見たくないものは見たくない。

それでも、大事なことは見逃さずにいたいものです。

「虐殺の文法」

これは誰の台詞という訳でもなく、作中によく出てくる言葉です。

「虐殺を引き起こす文法」
「虐殺が起こる前に人々が口にする言葉には法則性がある」

この法則性を見抜き、利用して世界各地で虐殺を起こして回るのがジョン・ポール、というわけなのですが、その虐殺を引き起こす文法とは、

「人間に生得的に備わっている」

「飢餓を乗り越えるための」

文法と説明されています。

つまり虐殺器官とは、わたしたちの脳にある、言語を作り出す器官であり、

虐殺の文法とは、

「他人を殺してはいけない、他人に尽くす」といった良心をも消し去ってしまうような、飢えによる生存本能が絞り出すもの

ということですね。

これはジョンがアメリカ以外の発展途上国で虐殺を引き起こしているから、「飢え」といった食の問題になるのでしょうけれど、

わたしはこの「飢え」って、心の渇きも含まれるのではないか、と推察します。

「生きづらい」
「理不尽だ」
「何かがおかしい」

みんながそう考えている中で、社会が変わらないのはなぜですか。

弱者と強者、あるいは理不尽についての話は、これまでにも度々触れてきました。

気になる方は雑記カテゴリの社会論、及びharukaのゴミ箱よりお願い致します。

そしてTwitterでは、闘病垢叩きについてかなり反抗してきました。

それにより晒し、叩きなどの反撃を食らったのは言うまでもありませんが(–;)

でも、こうした弱者叩きの風潮というものは、「心の渇き=飢え」を満たすための行為ではないかと思うのです。

みんなが心の飢えを抱えていて、それを他者に当たり散らすことで満たされた気になって、それでもまた飢えてきて、また当たり散らして…

これって、虐殺の構造にとてもよく似ていると思うのです。アウシュビッツなりなんなりで、自分と違うものを、弱いものを、本当は何もしていないものを、悪として叩きのめす。

でも根本として、「飢えは摂取しないとおさまらない」んですよね。

だから、当たり散らして発散したら、余計に飢えて(虚しくなって)当たり前で、そこに何を取り入れるかが飢えをしのぐのに重要だと思います。

作中では虐殺の文法に踊らされて、人々は互いに殺し合うようになります。

現代では、わたしが今最もよく触れている媒体がネットなのでネットについて書きますが、その匿名性に踊らされて、互いに傷つけ合うようになってきています。

わたしはこれまでに何度も言ってきました。

言葉は人を殺す
心を殺すのは殺人だ
被害者は常に被害者ではなく、加害者になることもある
想像力の欠如が、相手を傷つける

それは最近、すごく「相手を傷つけたい衝動」をもつ人が多いと感じるからです。

意見を否定してもいいけれど、その人を否定するのは違う。

これも度々言ってきた持論ですが、

「自分を守るため」に相手を傷つけるのが正当視されるなんて、まさに生存本能による、虐殺の文法が流れ出した風潮だと思うのです。

人間は、選べるのですよ。
何が必要で、何を取り入れるかを選べるんです。

ただ飢えた、渇いた心のままでいる必要なんてなくて、

潤し、癒す道も選べるはずなんです。

最後に

SF小説として、この本はとても面白いですし、爽快感や、主人公のしぶとさが感じられます。

それでもわたしは、この本を深読みせずにはいられません。

どうか、救いと安息を。

無宗教と言いつつ祈るのは変だともたまに言われますが、それでもわたしは、

すべての人が穏やかに暮らせるよう、祈る以外にありません。

長文、拙文でしたが、読んでくださってありがとうございました。

作品自体が気になった方は、グロテスクな表現がOKでしたらどうぞお読みください。
(グロテスクな描写が多いので)あまり人に大声でおすすめできる作品ではないので(-_-;)

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