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はるか流の自分論/なぜまだ生きているか

心理・社会分析考察
この記事は約12分で読めます。

はじめに

出会いと別れの季節。春。

不審者の増え、なぜか絶望が深まる季節。春。

春になったからか、最近何かとよく相談を受けるので、以前からTwitterで喋り散らしていたりした内容をまとめてあったものを、この際まとめて公開しようと思います。

恐らくは一部の方々から批判されるので、どうせなら遠慮なく書きます。

ここは、わたしがわたしでいるための場所だから。

内容は「わたしが自己啓発本/情報を嫌う理由」「自分って誰だろう」「死にたい気持ちから逃げる方法」の3つです。

 

 

わたしが自己啓発本を嫌う理由

まずわたしが自己啓発本などを嫌う理由についてですが、これは本屋に入ると情報量の多さに卒倒するわたしが勇気を出して小さな本屋に入った2018年11月29日のツイートよりまとめてます。

 

「自分が変われば相手が変わる」「嫌われる勇気」「幸せになるための67の法則」(67だったかな…)みたいな本がバカ売れしたから言う。

相手を変えるために自分を変えるなよ
嫌われる勇気をもつ前に生きる勇気をもて
自分の幸せを見ず知らずの他人が決めんじゃねえよ

こんな内容薄い本読むくらいなら、自分の頭使って考える方がよっぽど自分の為になりそうだ。

唯一面白いなと思ったのは「絶望しきって死ぬために、今やれることを全力でやれ」みたいな本のタイトル。あれは著者が絶望しきってないから書けるんだよな。

一度絶望しきったわたしにはああいう本は書けない。だってあのときわたしは死んだ。今のわたしは、前とは違うわたしだ。

そう思うと、やっぱり生き方って人それぞれ

生き方指南しているこの本たちの著者はどれほどの苦労をしてるんだろうね。
「この程度の苦労で?」って思っちゃった。

わたしの短い人生はね、それなりに濃かったと思うんだ。たとえそれが他の人から「その程度の苦労で?」って思われたとしても、よく言うような「普通の」人生ではなかったよ。

生き方指南してる人で、「死にたい」って言えないくらいの苦痛を味わった人ってどのくらいいるのかな。

つらくて死にたいときってさ、「死にたい」と思わないんだよ。「逃げたい」って思うんだよ。
本気で死を考えたことのない人たちに、生き方なんて教わりたくないな。

自分の人生、語られたくない。評価なんかさせない。

自分を高めろなんて言わせない。だってこれが「わたし」であり、わたしからしたらぺらっぺらな人生歩んでる「生き方伝導師」よりもずっと「死に方」も「生き方」も知ってるから。

ただの女子大生だって舐めるなよ。自分を不幸だとは思わないけれど、金持ちボンボンみんな一緒が常に正しいみたいなシアワセな頭には育ってないぞ。

 

 

自分って誰だろう

次は「自分って誰だろう」について考えた、「強者は他人に無関心」みたいな妙なツイートを見て、かつ不眠だった2018年12月9日深夜のツイートよりまとめます。

 

わたしがどうして「強くなれ」ってツイをミュートするかと言うと、他の人の意見に耳を貸さない訳ではなくて、わたし自身は「もう充分強くなった」と思っているし、「弱い人が弱いまま生きられる社会」を理想として掲げているからなんだよ。

だって、ありのままの自分でいられないなんておかしいと思うから。

個人の集団が社会。社会はあくまでも、個人の集まり。

自己啓発本にあるような、「社会に対応するために個人が変わるべき」というのは違うと思う。

社会というのは、多様性をもつ個人を受け入れる枠組みであるべきで、社会を生かすために個人が犠牲になるのなら、それは社会というシステムの形骸化だと思うし、社会が「生き物」化、「化け物」化していると思うんだ。

わたしは社会という「化け物」を生かすための駒として、個人が蔑ろにされるのが許せない。だから、「社会を生き抜くため」「社会で頂点に立つため」「社会から外れないため」に「強くなれ」という意見はミュートする。

だってさ、「社会を生き抜く」って何?

個人が生きやすくなるために寄り集まった、弥生時代の農村みたいなのが社会の始まりだろ?

「社会で頂点に立つため」って何?

頂点に立って何したいの?

いろんな人を見下したい?ほんとにナニソレオイシイノ?だわ。

「社会から外れないため」って何?

全部全部包みこむのが社会の役割だろ?何はみ出し者つくってんだよ。おかしいだろ。

 

わたしからすれば今の社会は駆除対象だ。

自由に生きたい、ありのままの自分でいたい、そう願う人にとってあまりにも生きづらい。

それって、多様性を受け入れてないよね?

枠組みで縛りつけて均そうとしただけだよね?

お偉いさんの権力が行き届くように、平民を平民として定義して、あたかも「普通」が良いことのように錯覚させただけだよね?

そもそも「普通」ってなんなんだよ。

から始めると長いので、興味ある方は「普通」について考えたわたしの小説を読んでみてください→https://estar.jp/_novel_view?w=25315804

それ、違うよね?
法の下の平等だよ?天上天下唯我独尊天は人の上に人を作らず。色んな言葉があるけれど、要するに「みんな違ってみんないい(金子みすず)」だよ。

わたしは普段病み垢さんと関わることが多いけれど、その人の気にしていることってとても些細に思える。

しょうもないって意味じゃなくて、その人はそれが自分の欠点だと思っているかもしれないけれど、わたしからすれば愛すべきところに見えるってこと。

そんなこと気にすることないのに、かわいいな、ってなる。だからわたしは変人扱いされるしよく叩かれるし晒されるのだろうなとも思うけれど。自覚あり、質悪いね。

でもわたしはわたしを認めてるんだ。病気で動けなくて、座ってても寝てても心臓が爆発しそうで、気絶するようにぶっ倒れて、よく疲労失明する。お風呂に入れば激痛だし、生野菜やスパイスは口が痛くて食べられない。食事制限はもう薬でたくさんあるのに、母からの制限もあるし、面倒だ。

朝起きてすぐ歩けることなんてない。代わりにすぐ隣の仏壇に祈る。自分の病気が治るようにって祈ったことはないけれど、あの子の病気が治りますように、みんなが平和に1日を送れますようにって、毎朝4時くらいに(わたしは無宗教だけど)うちは仏教だからお経を上げて挨拶する。

おはようございます。どうかみなさまが穏やかに過ごせますように。
そんな自分でいいやと思ってるし、きっとこれから先色んな人や色んな言葉と出逢って変わっていくだろう自分も、それでいいやって思ってる

本当の自分って何?
自分は常に自分だよ。わたしはいつでもわたしなんだ。それ以外にない。

気分屋で頑固。ロックとジャズとクラシックが好き。あとV系と洋楽も。純文学が好きだけどラノベもマンガも読む。かわいいものは好きだけどディズニーはそんなに興味ない。ゴスロリとかパンクが好きだけど似合わないからモダン系。政治の話はするけれどアニメだって見る。(最近は失明するので見ないけど)

二面三面あったっていいじゃん。全部ひっくるめてこれが「わたし」だ。

だからわたしは、誰かに「変われ」「強くなれ」って強制されるのが大嫌い。

ついでに言うと、ビジネス垢をブロックする理由もそこにある。

わたしは確かに有料サーバとドメインを使ってサイト運営をしてる。だから稼ぎ目的だろって思われるんだろうな。

でも、実は逆だ。

わたしは命とか医療とか繊細なテーマも扱うから、無料ブログで運営から消されるのが嫌なんだ。

わたしの意見、わたしの考え、わたしの生き方だ。
誰かの意思でなかったことにされたくない。

だからわざわざ自腹切って有料ブログで、一からサイト立ち上げて書いてるんだ。

稼ぐ方法はたくさん知ってる。

わたしがブログで書いてる勉強法だって、もったいぶってメルマガにしたら売れるよ?だってほぼ独学で京大行ったんだ。家庭教師して医学部に受からせてきたんだ。ちゃんと実績持ってる。それを無料公開して、DMで相談にのるのは、お金が目的じゃないからだよ。

じゃあ何が目的かって、「わたしがわたしであると証明し続けるため」だよ。

わたしの主張をするためだ。
わたしの生きた証を残すためだ。
すべてがわたしのわがままでエゴなんだよ。

でもそれを拾ってくれる人がいたら、役立ててくれる人がいたらラッキーでしょ?そういう考え方するわたしって変かな?

でも変でいいよ。わたしはわたしだ。誰が何と言おうと。

だから聞く耳を持たないわけじゃない。自分の意見を貫き通したい子供でもない。ただ自分の意見を持っているというだけ。

だから強制お断り、ビジネスいらないです、アドバイザーもいらない。

自分の中では全然矛盾してない。筋は全部通ってる。その筋は曲がってるかもしれないけれど。

だから偉そうに説教する人はみんな嫌いだ。

わたしはわたしでいいでしょ?貴方は貴方じゃん、かまわないでってなる。

他者に無関心なんじゃない。自分への寛容を他人にも示してるだけ。だから最後に言うね。

貴方は貴方のままでいいんだよ。

それがわたしの考える「自分」なんだ。

変わりゆくけれど軸はぶれないもの。ただし軸がまっすぐとは限らない。多様性万歳。

 

死にたい気持ちからの逃げ方

最後に「死にたい気持ちからの逃げ方」について、これは今日2019年3月30日早朝に考えていることを綴ります。

 

かなり自分語りになるけれど、わたしは中学生の頃にリストカット、自殺未遂経験がある。→https://harukams-medicalbeauty.com/father3/

小中学校といじめにあい、大学で神経難病(多発性硬化症:MS)を拾った。

ちょうどMSの症状のひとつである痺れを止めるために処方されたのがサインバルタ、向精神薬。わたしはこれを常に通常最大処方の1.5倍飲んでる。

通常量に減らしたら、希死念慮やリストカットがひどくなって、うつとして精神科へ回された。→https://harukams-medicalbeauty.com/r-5/

 

「死にたい」「この不自由な身体を捨てたい」「痛くない身体がいい」「ものを触ってわかる身体がいい」はいつも思ってる。

わたしが今生きている理由は、

「死にたい」がMAXのときに身体が動かないこと
口約束だけど婚約者がいること
その人との将来を必死に考えて耐えていること

あとは無駄に医療知識があるから、

人間が自分で死ぬのは難しいことを知ってしまっていること

とかがある。他人の殺し方はわかっても、自分の殺し方はそう簡単に見つからない

飛び降り、首吊り、ネックカットみたいな身近な死に方はあるけれど、これで死ぬにはコツとてつもない勇気がいる。(不要な勇気だけど)

死にたいのに死ねない、死にたいって言うのに自殺は未遂で終わる。
そしたら死ぬ死ぬ詐欺って言われるんだ。

大いにけっこう。唯一許せる詐欺だ。

だって、生きていさえいれば、なんでもできる。

いじめたやつに復讐することも、いじめたやつを見返してやることも、

ひとを幸せにすることも、自分が幸せになることも。

 

だからわたしは、「死にたい」と言う人に問いかける。

死にたいと思ったときに思い浮かぶ人はいらっしゃいますか?

心残りでも、恨みでも。

わたしは、たまに婚約者が思い浮かぶ。大抵誰も思いつかない。

死にたいと思ったときに、やり残したと思うこと、やりたかったと思うことはありますか?

どんなに些細で、バカバカしく感じることでも。

わたしは、たまに結婚してないなと思う。大抵何も思いつかない。

 

だからわたしは、わたしのために生きるにはあまりに痛くて苦しくて自分自身に何もないので、適度に自衛しつつ、誰かの役に立ってから死ぬことを人生の目標にした。

死にたくなったときに読め!と大きくルーズリーフに書いて、そこにひとから受けた好意と、1番つらいときに支えてくれた人とのエピソードを書いて、いつも手元に置いてる。

じゃないと、思い出せないし、思いつかないから。
生きる意味も、生きる価値も。

 

自分が苦しいときに他人のことを、周りのことを考えるのは至難のわざだ。

それをしたわたしの心は、壊れたよ。修復はできない。原形がもうない。パーツもない。

だから、わたしみたいなのが生まれてしまわないように、こう声をかける。

たくさん泣いて、叫んで、悔しがって、そして

「死にたい」と思ってしまう貴方の心の傷をいたわって

そして「死にたい」と思えるほど繊細な心をもつ貴方自身を誇りに思ってみてください。

いじめで、病気で、過度のストレスで、いろんな理由で、「もういっそ誰でもいいから殺したい」と考えて実行に移してしまう人は、残念だけど少なくない。

命を奪わなくても、心を殺す人だって、少なくない。こっちはむしろ多い。

そんな中で、「死にたいと思ってしまう」「未遂に終わってしまう」「どうしたら死にたいから逃げられるのだろう」そう考えられる貴方は、本当にお優しい方で、少し責任感の強い方かなと思います。

そして、そういう悩んで苦しんでいる方と、本当に同じ苦しみを味わうことができないのは心苦しいのですが、多少なりとも一緒に悩んで、前向きでなくてもいいから、ただ生きていけるように、そして幸せを感じる瞬間があるようにと願うのが、わたしの生き方で、今生きている意味で、そして「まだたくさんの方の悩みや苦しみを一緒に背負うことができるかもしれない」「わたしの死にたい気持ちが誰かを生かすことになるかもしれない」そう考えて、まだ生きています。

実際は、死にたいときに死にきれない、やはり未遂で終わってしまうというのもありますが笑。

おつらいときは、いつでも連絡くださいね。しづらければ、つらかったことを話しやすい、信頼できる誰かに話したり、メモか何かに書いてみたり、してみてください。

わたしは罪なき人が亡くなって、罪人側がのうのうと生きているのが許せないので、貴方が生きて幸せになることを祈っています。

きっと「死にたさ」からの逃げ方も人それぞれで、わたしのこの答えはあてにならないかもしれない。

それでも、わたしは貴方が少しでもご自身を責める時間が減って、穏やかに過ごせる時間が増えればいいなと、祈っています。

わたしのようにならないために、「つらいときは全力でつらいと感じる」「他人よりマシとか考えない」「世界中で1番自分が不幸だ」くらいに「落ち込むときは全力で落ち込む」ことをおすすめさせていただきますね。

無理して笑う必要はありません。無理してだれかを気遣う必要もありませんわがまま放題大丈夫です。

きっとそうやって自分のつらい気持ち、苦しい気持ちを出していくことが、貴方のお心を軽くすることに、死にたい気持ちから逃れることに繋がるかなと思います。

これは、「病は気から」という本を読んで感じたことですが→https://harukams-medicalbeauty.com/yamai/

 

まとめ

わたしは、何も否定しない

あ、デマ療法とかは否定するけど(詐欺まがいだし)

意見を批判することはあっても、その人の人格否定は、余程のことをされないとしない。

まぁわたしも人なので、限度はあるわけです。ただその、「許せない」っていう気持ちを、わたしは否定しません。

同様に、誰かがわたしを恨もうが、その気持ちも否定しません。

何人かに恨まれている心当たりはあります。

でも、わたしはわたしだから。

誰かの生き方に従う気はない。

最期は、然るべきときに然るべき方法で、人生の幕引きも自分で決める

だから、鬱にも希死念慮にもいじめにも差別にも誹謗中傷にも負けない

すべては、わたしがわたしでいるために。
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