最近わたしの周りで自立を巡る話題が多いので少し私論を。今回は文字数制限嫌だけどブログではなくあえてスレッドという形にしようと思います。
まずわたしの高校は
「自主、自律、自由」
の3つが校則で
「自主的に動き自らを律した者だけが自由を手にする権利がある(その上で青春を謳歌しなさい)」
というものでした。
この辺りはわたしのように言葉フェチでないと気にしない部分かもしれませんが、自立と自律って全く別物なんですよね。
何がって、
自立は「自分で立つ行動力」
自律は「自らを律する精神力」
の話だと思うのです。
よく言うような「精神的な自立」は他人を頼らず自分で今後の人生を決めていきなさい、強くなりなさい、ということだと思いますが、
それって本当に必要な「強さ」なんですか?
もちろんある程度の決断力なりは必要かと存じますが、
「他人の言葉に振り回されないような強さ」
って必要ですか?
強くなりたいという方を否定はしません。努力するなら応援します。
ただそれが、
「強くないと生きられないから」
という理由なのであれば、わたしは少し疑問に思います。
人の数だけ考え方がある、人の数だけ生き方がある。
だから考え方の押し付けや生き方の指導なんてバカバカしい。
その人自身の感じ方、生き方で良いと思うんですよね。
無理して自分の心を押さえつけて、そうじゃなければ生きられないのが社会だと言うのなら、わたしは(過激な表現をしますが)社会なんてぶっ潰してやりたい気持ちになります。
わたしは何度も死にかけて生かされた身として言いますが、
じゃあ精神的な自立と自律はどう違うのかの言えば、早い話が「自分でできる」と「自分はできるけどやめておく」だと思うのです。
後者は謙虚さにも精神力にも繋がりますが、
前者は「自分でできる」→「自分ならできる」→「自分だけができる」と驕りや慢心に繋がりかねないと思うのです。
PT学生としては「自立できなくても良い」という言葉はあまり使わない方が良いのですが、やはり人間として考えたときに重要なのは、自立ではなく助け合いの心であり感謝の気持ちだと思うのです。
だからわたしは「できなくていい」、「そのままでいい」と言いますし、もちろん本人が改善を望むのであれば全力で応援します。
どうしても死にたいと言うのであれば止めませんが、理由が明白だったり、少しでも生きたいと思っているなら全力で止めます。今のところ無責任に止めています。
本当ならそのあと、その人が生きやすい社会を作るまで面倒をみてあげたいのですが、残念ながらまだわたしにはその力がないし、満足に動く体もないので。
なので極論、自立は必要ない、自律した方がいい、とわたしの中では結論づけられるわけです。
これはあくまで私論なので、もちろん異なる考え方の方もたくさんいらっしゃると思いますし、反論もしていただいて結構です。
また、それだけ多くの人がこの機会に生き方について考えてくだされば、それだけで幸いだとも思うのです。
やっぱり文字数制限はいやですね笑
長々とお付き合いありがとうございました。