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【自分を許せない人へ】見返りを求められると愛情も感謝も感じなくなる

小説
画像:UnsplashChristopher Belochが撮影した写真です 

以下は小説投稿サイト「カクヨム」でも「かつて物だった僕へ」とのタイトルで「エッセイ・ノンフィクション」として投稿しています。

今回は「これだけしてやったのに!とか言われると素直に愛情を感じにくくなる」話かもしれません。

第1話 プロローグという名の終わりから

拝啓、かつて物だった僕へ

26歳の僕から、ずっと物扱いされてきた君――過去の僕――へ、激励という名の慰めを贈ろう。

未来から見た君の生き方は、とても滑稽で無様で、常に必死で全力で、絶望的なほど希望を求めていた。

その努力に敬意を表して、僕は君へ何の救いにもならない賛辞も贈ろう。

「ことの良し悪しは、すべてが終わってからでないとわからない」

そう言い聞かせて耐え続けた君へ、もう努力しなくていいと諦めを説得する言葉を贈ろう。

全部が全部、僕のためだ。

君のためじゃない。

君はこう言われて何をする必要もないし、今さらどう足掻いても過去の君の行動は変わらない。

僕の記憶の中で君の行動が改変されるだけだ。

それでもいいなら、君はこれを読むといい。

同じような状況で苦しむ人も、読んでみて損はないかもしれない。

もしかしたら、一縷の望みよりも慰めや希望になるかもしれない。

すべては僕の自己満足だけど、これはそんな僕の始まりで、終わりの話だ。

第2話 恩返しといふ名の愛情手形について

拝啓、かつて物だった僕へ

君は愛情を受け取ることに衒いがあります。

無償の愛を信じていなかったからです。

 

無償の愛が存在すると気づけるのは、あなたが病気で倒れた後のことです。

不治の病で全身不随になっても「病気は別れる理由にならない」と傍に居続けて婚約して、果てには結婚してくれた彼を隣で見てからのことになります。

 

君は感謝の言葉を返すことにひどく抵抗があります。

「ありがとう」と言えば「あのときこうしてやったんだから」と見返りを求められるからです。

 

同じ理由で、お願いをすることも苦手です。

大学で数々のリーダーを経験するうちに「下の子へ割り振る」ことはできるようになりますが、同年代に頼むことや年上の人に甘えることは変わらず苦手です。

いつ見返りを求められるかといつも気にして怯えています。

 

心を許した相手には厚顔無恥なほど傲慢になりますが、その態度は連絡を断てば関係も切れる相手に留まります。

 

関係の深い相手、血の繋がりのある相手に、君はとても怯えます。

いつ何時でも「あのときの貸しを返せ」と言われてしまうのが怖いからです。

 

だから君は愛情を拒み続けます。

受け取ってしまったら見返りを要求されるからと、受けているはずの愛情を感知する感覚器官すら放棄します。

見返りを求められなくていい、「こうしてくれなかった」と重箱の隅を拡大鏡で見ながら誰かを恨み続ける不幸で幸せな人生を歩みます。

26歳までの話です。

 

そこから君は考えることになります。

「真の愛情は何なのか」

「自分に与えられていたはずのものは何なのか」

一等星を望遠鏡で見つめることになります。

 

君は母を拒絶したのは誤りだったと気づきます。

いつだって見返りを求める条件付きの愛情を発行していたのは父の方だったと気づきます。

中学のときに気づいて離れたくせに、都合よく忘れて26歳で再び突きつけられることになります。

 

「お前を物扱いしてた」

「もう二度としない」

 

その父の誓いを破られて、改めて君は「自分は戦利品だった」「そういえば昔もそう思った」「1年前にもそんな話をした」と数珠繫ぎに思い出すことになります。

 

それから君は人を選び始めます。

氷河期から「彼」だけを信じた時代へ移り、他にも信じていい人がいることに気づいて温暖化の時代へ到着します。

 

君は愛情に感謝できるようになります。

衒いがなくなるほど慣れてはいませんが、放棄したはずの感覚器官を掘り返して愛情を受容してみようという気になります。

 

残念ながらやはり感謝止まりです。

君が見返りのない愛情を贈るには、まだまだ不自由な足ではどうにも乗り越えられない試練が多く存在します。

 

きっと「彼」や誰かの力を借りて、君は、僕は、ようやく人間の足下にたどり着くのでしょう。

そのときの君と僕は、無償の愛を信じていて愛情を受けることにも衒いがなくなっているのでしょう。

 

それは未来の僕に願うことであって、過去の君へ贈る言葉としては不適切です。

 

君に贈る言葉として適切なのは、君はいつか愛情を受けることに衒いがなくなるだろうという曖昧な予言と、愛情に感謝できるようになるという確実な保証です。

 

君は人間不信の人間嫌いで、それが緩和されるかと愛情どうこうのお話はちくわとごぼう天くらいの別問題ですが、愛情の受取はできるようになります。

それは生姜天がおいしいのと同じくらい確実です。

 

無償の愛の存在を知った頃には、君は母親になっています。

立派な、少なくとも子供に見返りを求めない母親になるために、君はちくわとごぼう天の違いを探すことになります。

見れば一目瞭然なのに、言葉で表そうとすると少し厄介な違いです。

 

君は見返りを求める愛情を「愛情手形」と呼ぶようになります。

 

愛情は受け取り、愛情手形は受け流すどころか手を付けない。

そんな高度な判別は、掘り返したばかりの感覚器官にはできません。

君は手形かどうかの判別をするために感情をひとつひとつ拾って、その度に切り傷が増えて火傷を負うことになります。

 

それでも無償の愛を知った君は、その程度の怪我ではもう立ち止まりません。

逆立ちができなくても鉄棒から逆立ちで下りようとして全身泥まみれになったときのように、逆立ち前転を失敗してむち打ちしたときのように、できないからやらないでは終わりません。

 

今の僕が逆立ちできないのを考えると、できないことをできるようにするためには相当年月の努力を注がないといけないのでしょう。

それでも君は諦めてはいけません。

僕が今諦めていないからです。

 

君の役割は努力のきっかけを作ることです。

努力の継続は、君より未来に生きる僕の役目です。

 

だから君は安心してまだ人間不信の人間嫌いでいていいし、愛情手形と愛情の区別もつかなくてかまいません。

ただそういう、似て非なるものがあると知ってくれれば、僕が救われて、僕から君へ「よく頑張った」と言えるのです。

 

君は愛情自体をも疎みながら、よく耐え忍びました。

僕が今こうして上から目線の言葉を贈れるのは、あのとき耐え続けてくれた君がいたからです。

 

君の努力と忍耐力に敬意を表して。

 

 

愛情と愛情手形の違いを模索している僕より

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まぁるいせかい管理人
はるか

考察家。作家。開発者。多発性硬化症+希少難病+先天性心臓奇形などをもつ障害者。病歴や薬歴は多すぎるので管理者情報参照。今までにないものを創るお仕事。京大医学部を病気により中退。ケアストレスカウンセラー、保育士などの資格をもつ。

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