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「病気であるメリット」と彼女は言った。「今幸せになれ」と彼女は叱咤した。

通院記録
「病気であるメリット」と彼女は言った。
「病気であるメリットなんてあります?」と散々苦しんでいるわたしは言った。
「病気を理由に諦めることができるんだよ」と彼女は微笑んだ。

そんな、たくさんのカウンセラーさんとの出会いで感じたこと。

カウンセリングにて

2021年4月29日から数週間にわたるカウンセリングや加療の旅が終了しました。

精神神経科に通院はしていても現在の病気に関することしか話さないわたしにとっては初の、人生を振り返っての「心の治療」でした。

正直、向き合いたくなかったのでしょう。

わたしの過去は凄惨で(と認めるのも治療だと言われたのであえてそう表現しますが)、今となっても、むしろ今だからこそわたしを苦しめるものでした。

過去をすべて書こうとするとシリーズものの本くらいにはなりそうなので、ここでは結果とその中で響いたことだけ書いておきます。

結果①

1番の結果として忘れないために記録しておきたいのは、

あなたの不幸の原因は母親の宗教にある

と総括できそうなことでしょう。

母親ではなく「母親の宗教」というところが優しいなと思いました

 

わたしはこれまで味覚がなくなったり左耳が聞こえなくなったりとストレス性の病気をたくさんしてきましたし、現状目が左上しか見えないなど、多発性硬化症や抗神経抗体症候群による症状も抱えています。

 

そんな病気たちすべての原因は母()から、

「あんたの先祖に詐欺師がいて、その報いを受けている」
「あんたの親が悪いことをしたせいで、その報いを受けている」
「あんたの前世が悪いことをしたせいで、その報いを受けている」
「あんたが過去に悪いことをしたせいで、その報いを受けている」
「って教会の人に言われた」

と急性期の全身不随時代、1番苦しんでいるときに伝えられていたので、

わざわざそれをわたしに伝える必要あるかな?

と怒りを通り越して呆れをながらも「自己責任」を感じていました。

「あんたの先祖」に「母()」も当然含まれることは割愛

 

それをカウンセラーさんたちに伝えるともれなく返ってくる返事が

「報いばっかりだね」

でした。

そうですね、報いばかり受けていたようです。

ただ、違うようです。

 

初めてNLPカウンセリングも受けてきました。

知識はあっても患者として受けるのは初めてでした

 

「鳥が肩に止まっているが、頭と肩を引きつける痙攣もあるので潰してしまいそうで、早く飛び去ってくれることを願っている」

と話したところ、

「まだ我慢をするのか」

そう言われました。

確かにわたしの痛みは一般的な許容範囲を超えていそうで、カウンセリング中に何度か失神しかけていました。

「一般的」の定義はここではあやふやなままにしておきますね…

 

痛み止めを使っている方がすぐに「痛い」とわかってもらえますよね。

わたしのように「麻薬を使っても大して緩和しなかったから、いっそ痛み止めは使わない」なんて根性バカはそうそういません。

 

「あなたは強い。もっと早くに折れてしまえば良かったのかもしれないけど折れなかった。だからもっと酷い試練が来てしまっている」
「あなたは強い。この病気にも負けるな。そして負けない力がある」

 

いろいろな人と話しましたが最終的には2通り、現在を説明する言葉と未来への姿勢に関する言葉に分けられそうです。

 

もっと早くに折れてしまえば良かったけれど折れなかったので、このまま折れずに自分を貫こうと思います。

 

結果②

旅を終えてから久しぶりにツイートしてちょっと荒れていましたが、別に好きこのんで実の親を「毒」なんて言いたいわけはありません。

そうしないと生きられないと判断した

それだけで、それに足る理由がありました。

 

カウンセラーさんが指摘したのは2点。

  1. 食生活
  2. 人身御供

 

食生活

現在は摂食障害克服中のわたしですが、それは問題ではなく。

むしろわたしに今でもストレスをかけ続けているのは、母()に

  • 腐ったしめじを食べさせられた
  • 飼料用とうもろこしのスープを食べさせられた

この2点がトラウマになっているのだそうで、確かにわたしが今でも「母の料理」と聞いて即座に思い出すのはこの2つです。

 

夏にレンジに入れっぱなしで一晩置かれた、謎の糸を引くしめじの感触。

飼料用とうもろこしスープを大皿で1人1皿出されて、それ以外は何もない食卓。

そして本人はそれを出したことを覚えておらず、「えーそんなん出したかな?」と言う。

ストレス。

たまに作ってもらうとこうなるので、わたしは余計にご飯を作ることになるわけです。

まともなご飯で生きるために。

 

人身御供

わたしは産まれてすぐ、育ての母に預けられています。

当時治らないといわれていた病気を患い仕事もなくし生きる気力をなくした「育ての母」にとっての、生きる希望となるために預けられました。

 

こうして預けられた人は、預けた側と預けられた側の罪や不幸を一身に背負うことになるそうです。

 

預けた母()は今でも

「本当は私が育てたかったのに」

と不平を漏らす。

 

預けられた育ての母側は当時

「いっつも預けて!」

と母()へ怒鳴る。

 

そして今、育ての母はもう、わたしのことを覚えていない。

 

小学2年生のとき、育ての母からは引き離されました。

理由は今でも不明、というか語る人によって食い違うので、わたしにはどれが正しいのかなどわかりません。

もうそこを明らかにしようとも思いません。

きっと全部正しくて全部間違っているのでしょう。

 

産みの母()の背中の記憶。

育ての母から締め出された記憶。

 

あー、1番に愛されたかったなー

 

最も奥底にあって、でも常に念頭にあった、わたしの偽りない気持ちでした。

 

結果③

これは旅の結果であり、結果②ともかなり関連するのですが、

わたしには通称:えいちゃんという推定5歳児くらいの人格がいました。

精神神経科の先生が「Aちゃん」と呼んだのを母()がひらがなの「えい」だと誤解し、そのまま「えいちゃん」で定着したのですが、今回の旅を終えて

彼女がいなくなりました
と他の子から言伝がありました

 

いなくなったと思っても再び現れることはざらにあるのでまた出てくるかもしれないのですが、少なくともここに書くくらいにははっきり「いなくなった」ことが自覚できています。

減ったのがわかるのって不思議ですよね

 

えいちゃんは母()にべったりで、よく一緒に遊んでいたようです。

痙攣がきつくなるとわたしへパスされるのですが、

  • 気づくと母()の腕の中にいる衝撃
  • 気づくと画用紙に幼稚園児のような絵が描かれて目の前にある衝撃
  • それを見た母()がニコニコしている衝撃
  • 「戻ったんか」と残念そうに言われる毎回

嫌いな人に抱っこされての目覚めはなかなかに最悪です。

 

5歳児の人格すら受け容れるのは母の愛だと言った人もそれなりにいました。

ただわたしは「あのときできなかった子育てをできているようで嬉しい」と直接聞いたので、母()の人生の埋め合わせに体良く使われているようにしか感じませんでした。

 

あのとき愛されたかったのは、知ってる
あのとき愛されたかったのは、もう認めてる
ただあのときと今とは、もう違う

 

人生で取り返しのつかないことがあるとしたら、それは人との縁です。

勉強や仕事なんていくらでも挽回が利く。

けれど人との縁は一期一会だから。たとえ親子でも。

 

はじめは推定3歳児だったえいちゃんは、この数ヶ月で5歳くらいにまで成長したようにこの数週間でそれを理解できるまでに成長を遂げたのかなと。

推定年齢は絵の特徴などから割り出しています

 

印象的だった言葉

「負けるな」「頑張れ」などは正直聞き飽きているので、ありがたいのですが響かなくなってしまいました…。

ただ凄いなと思った言葉が今回2つありました。

 

「病気であるメリット」と「努力」

病気であるデメリット」はぽんぽん浮かんできますが、メリットはなかなか浮かんできません。

強いていうならば、

  • 病気になって健康のありがたさがわかった
  • 病気になって当たり前のことが当たり前じゃないとわかった
  • 病気になって「当たり前」が幸せだとわかった

など、以前の生活と現状とを比較して(かなり強引に)メリットを挙げる人が多いように思います。

わたし自身の考えは特殊なのでまたの機会に…(^_^;)

 

そう思っていたわたしに、カウンセラーさんは「病気であるメリットは捨てて良い」とさらりと言いました。

当然わたしは「病気であるメリットが思い浮かびません」と返します。

ところがカウンセラーさんはやはりさらりと、当然のように言いました。

「病気なら、それを言い訳に逃げることができる」
「でも病気の人は、病気なのにさらに頑張ろうとする」
「きっとそれが、病気になる理由なのかもしれないね」

 

「鬱病はがんばり屋さんに多い」「我慢強い人に多い」などとは言いますが、鬱病に限らず病人は大抵自意識に問題を抱えていて、それが

幸せになるには、ある程度の努力が必要だ

と考えていることだそうです。

 

「わざわざ病気で頑張る必要はないんだよ」
「今幸せになれるなら、幸せになっちゃえば良いんだからさ」

 

え、すごくないですか?

好きこのんで病気になったわけじゃないし治せるならとっくに治してるよな、なんて思いながらもなんとなく「そういえばそうだよな」と思った人はわたしの仲間です笑

 

幸せになるために頑張る必要はない。

努力せず幸せになっても良い。

これはきっと、完璧主義とか努力主義の自分を赦すための魔法の言葉なのかなって。

「魔法の言葉」という表現はチープで好きではありませんが…(^_^;)

 

今の心境

正直なところ今のわたしは相当不安定です。

母()とは病院と監視をめぐり大喧嘩、に発展しそうなところで話す気が失せてしまい、口を利かなくなりました。

そっちの方がストレスフリーだと気づいてしまったんですよね。

 

育ての母がわたしを忘れて。

わたしの愛する育ての母は父をかつて虐待した人で。

あの優しい顔からは想像もつかない残酷な話を聞いて、まだ頭の整理もついていないのに。

 

あるカウンセラーさんから、わたしは「逃げ遅れた妹タイプ」だと言われました。

わたしは姉なので逆ですが

下が出ていったのにわたしだけは難病を患い障害者となり、自由に動く足を失って親元に残らざるを得なくなった。

そんなわたしに親からの束縛が一点集中して注がれるのだと。

 

家出→軟禁や診察室同行禁止→通院記録チェックなど、確かにまあまあな制限を受けていて。

「あなたは人間としての権利を奪われてきた」

確かにそうだ。

じゃあどうする?って、

今の時期にこれ以上ストレスを抱えると毎年恒例の再発が待っているのを知っている以上、ストレス源から逃げるのが最善。

なのでわたしは、たぶん人生で初めて、他人への配慮よりも自分の体をいたわることを優先しようと思います。

それがどんな結果になるのかは、すべてが終わる頃にはわかるのかな。

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