普段あまり文庫本について、しかも恋愛小説についてのレビューは書かないわたしですが、この本にはかなり思うところがあったので感想を書いていきます。
あらすじとネタバレ
レビューを書く上で、簡単なあらすじとネタバレをしてしまいます。
「この冬、いなくなる君へ」のあらすじ
文具会社で働く24歳の井久田菜摘は仕事もプライベートも充実せず、無気力になっていた。ある夜、ひとり会社で残業をしていると火事に巻き込まれ、意識を失ってしまう。はっと気づくと篤生と名乗る謎の男が立っており、「この冬、君は死ぬ」と告げられて――。ラストのどんでん返しに、衝撃と驚愕が待ち受ける! 切ない涙が温かな涙に変わる、著者・いぬじゅん渾身の最新作!
引用:ポプラ文庫HP
「この冬、いなくなる君へ」のネタバレ
このタイトルの「君」は途中までは主人公の菜摘であり、最後には少年・篤生を指します。
また「この冬、いなくなる君へ」は菜摘と篤生双方からのメッセージです。
実はこの少年・篤生は菜摘の息子で、未来から菜摘の運命を変えるためにやって来たというわたしの嫌いなタイムスリップが含まれている作品です。
おすすめポイント
どうしても読んでほしいと思ったのは、菜摘の「自己肯定感が低くいつ死んでもいい、むしろ死にたい」という気持ちが、様々な人と触れ合うことによって「幸せな今を失いたくない、幸せだ」と変化していく過程がとても自然だったからです。
きっと空虚な毎日に「こんなはずじゃなかった」と思っている人は多いと思います。
「自分にどうしても自信がもてない」という人も多いと思います。
この作品は、自分に自信がなく淡々と毎日をこなし自殺した菜摘と、篤生と出逢って運命を変えて生きた菜摘とが「日記」という形で対照的に描かれています。
空虚な日々
菜摘は誰かと特別親しくもなければ仕事ができるわけでもない、平凡なOLです。
文房具が好きでコレクションしていて、憧れの文房具企画部に入れたというのに、仕事ができないからと毎日上司に怒鳴られ続けます。
ここがまず共感ポイントでした。
わたしは有名スポーツブランドでアルバイトをしていました。
そこは厳しかったので、きちんと研修を本社で受けた上で社員証をもらい、そこから店舗へ配属されました。
骨や筋肉、特に足についてはかなり知識があり、シューズ部門で働けるとあって当初はとても楽しかったです。
しかしひと月前に入った派遣社員から嫌がらせを受け、2人で店を任されたときには叱責ばかり飛んできました。
初めて聞くこと、質問したことの答えはすべて「忘れていた」と言い直させられました。
病前で映像記憶をもっていた時代だし、念のため聞いたことはすべてメモを取っていたので、忘れていたことと初めて聞くことの区別はつきます。
ですが何か言おうと口を開く度に、甲高い声で怒鳴られました。
言いたいことがあるのに言えない菜摘の状況は、今思えば「馬鹿らしい」のひと言に尽きますが、黙って怒られるしかない当時のわたしと同じでした。
会社と家とを往復する菜摘のように、バイト先と学校と家を回る日々のわたし。
バイトもかけもちしていたので放課後遊びに行くような余裕もなく、休み時間はひたすら睡眠に費やしていました。
バイト代は出るし新たな知識も身につく。
それでも何かが欠けていて、ひたすら心は空っぽでした。
自己肯定感
今のめちゃくちゃ自分大好きなわたしを知る人はとても信じられないかもしれませんが、わたしは自分が大嫌いでした。
まず男に生まれたかったし、暴力暴言が当然の家に生まれたくなかったし、同級生と当たり前に遊べるくらいには裕福でありたかったし、習わせられて始めた習い事を続けるだけでぐちぐち言われ続ける家に生まれたくなかったし、
挙げるとキリがありませんが、とにかく生まれたことが嫌で、生きていることが嫌で、それでも生きている自分が大っ嫌いでした。
自殺相談したら親友を失いました。
そんなわたしは極端に「自分なんか…」と卑下する菜摘に対して、今読んでいるからこそ「ウジウジするなよ」と思いますが、それは昔の自分への苛立ちでした。
ウジウジ悩んで情けない菜摘を変えたのは、人との関わり方の変化です。
職場で敵対心なく声をかけてくれた人と仲良くなり、唯一友人と呼べた人とも腹を割って話し、嫌がっていた家族のことも気にかけるようになり…
すべては篤生のアドバイス通りにした結果ですが、それでもそのアドバイス通りに行動できたのは菜摘の気持ちあってこそです。
わたしは現在カウンセラーとして度々お話をうかがうことがありますが、相談してくださった方が
とは思わないように、全力で相手を褒めることにしています。
それは「わたしがいくらアドバイスしたって、それを受け入れて行動できたのは相手自身」であり、わたしができるのはただ「状況に応じたアドバイスまで」で基本は「話を聴くことしかできない」からで、
と思ってもらえなければ、その人の自己肯定感は上がらずまた同じようなことで悩んでしまうことになるからです。
悩むことは悪いことではありません。
ただ、同じことで悩むというのならそれは「以前に悩みを解消できたのは誰かのおかげ」であり「根本的には何も変わっていない」ということになってしまいます。
それはとても避けたいのです。
人様に関わらせていただく身として、成長、進歩などはとても嬉しく思いますが、
そこに必要なのは肥料や後押しであり、引っ張り上げることではありません。
この点でわたしは篤生の在り方にカウンセラーとしての手本を見たような気がしています。
自己肯定感は育てられますが、最終的に育てるのは自分自身です。
そこまで親を愛せるか
わたしが感じたのはもう1点。篤生の菜摘を思う気持ちの強さについてです。
篤生は自分の20歳の誕生日に自殺した菜摘の日記を見て、菜摘を救うために自分の寿命と引き換えにしてタイムスリップしています。
菜摘を救うために、自分は生まれたらすぐに死ぬことになったと言います。
わたしは思えません。無理です。
わたしは自死遺族ですが、それでも「よし自分の命を犠牲にしてあの人を助けよう!」とは、障害だらけのこの体でも一切思えません。
去年までその人は心臓発作で亡くなったと教えられていましたし、わたしが希死念慮を抱いたときにはその人の顔が出てきて「こっちへおいで」と言います。
その人が実は自殺していたと聞いて、その理由も聞いて、そうして湧いた思いは「勝手に死にやがって」という怒りです。
そのくらい、余程の人でない限り「あの人の代わりに自分が死ねば良かった」とは思えません。
つまり篤生にとって菜摘は、何をしてもほとんど反応のない親であったとしても大切だったということになります。
家族愛すばらしー!で片付ける気は毛頭ありません。
これ、「自分を見てほしかった」以外になくないですか?
自分を見てほしかったけれど叶わなかったから、自分を見てくれるように菜摘を変える。その結果自分はいなくなる。
この「自分を見てほしかった」という気持ちには、篤生自身気がついていなかったような気がしています。
また自分がいなくなれば、「自分を見てほしかった」と思うこともなくなります。
究極のPTSD解消法です。
篤生の心理は「菜摘からの愛情を受けたかった」ただ1点に絞られる気がしているのです。
みなさまどう思われますか?
生きづらい社会で
わたしは障害者はお荷物か、闘病者は死ぬべきかなどたくさんの訴えをしています。
わたしの病気上難病に偏ってしまいがちですが、HSPや多発性硬化症による感受性の高さ、感情過敏などをもつ身として、この1冊には衝撃を受け、最後のページには涙が止まりませんでした。
ぜひ生きづらさを感じる方、自己肯定感が低く高めたいと思っている方、アダルトチルドレンの方にお読みいただければと思います。
今回紹介したもの
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