「死にたい」と言う人を引き止める活動をして半年ほど経ちました。
その結果、というのもおかしいですが、「死にたい」と言う人が共通して口にする言葉は、
であると、けっこう早い段階で気づくことになります。
なので「死にたい」を引き止めつつ、「自己肯定感を高めるためにはどうすれば良いのか」を考えていました。
また、
という内容のツイートを拝見したので、それについても考えていました。
自己肯定感とは
まず自己肯定感とは、
「自分は自分だと認めること」
「自分はこれでいいんだと認めること」
ですよね。
そして「自己肯定感が低い」とは、
「こんなの自分じゃないと思うこと」
もしくは
「今の自分が嫌でしょうがないこと」
つまり
「なりたい自分、想像上の自分がいて、それとは今の自分はかけ離れているように感じること」
簡単いえば
「自分はこの程度じゃないと思うこと」
となります。
自己肯定感が低いことは問題か
自己肯定感が低いというのは、先ほどのことでいうと
「向上心の裏返し」
のように思えます。
また、病人としてのわたしからすれば、
「過去の自分との比較」
のように感じてなりません。
昔はあんなにできたのに、今の自分は…
そう思うことは、正直多々あります。
これを書いている今だって、本当は勉強したいのに、右腕が痛すぎたり脱力したりして動かないから、左手だけでor音声だけで入力できるスマホを頼っています。
継続した関係を築けるか?
「自己肯定感の低い人は、継続的な人間関係を築くことができない」という内容のツイートについては
自己肯定感の低い人は、何か嫌なことがあった時に、それでも
「もしかしたら自分がわがままなだけなのかもしれない」
「相手は何も悪くないのかもしれない」
と悩み続けた挙句その解決方法が「相手との関係を絶つ」しかないので
新しい友達が出来ては消え、出来ては消え…と、継続的な人間関係を築くことができないのではないかと考えました。
これも、
理想の自分ならば嫌なことは起こらない、起こさせない
相手に嫌な思いもさせない
という考えの結末かなと。
「向上心の裏返し」である限りは問題ありませんが、自分を責めるのであれば大問題です。
嫌なことはどちらにも責任があるから起きます。
100%相手のせいなこともあります。
このときに、相手の責任である可能性も考えられないのはなぜでしょう。
否定する言葉の強さ
「あなたのせいじゃないよ」
という言葉よりも
「お前のせいだ」
という言葉の方がはるかに強いんです。
それは
言葉が、あなたよりもお前の方がキツイように
語調が、優しいよりも吐き捨て責める方がキツイように
人数が、擁護するよりも責め立てる方が多いように
だから、「否定された経験」「責められた経験」の多い人ほど問題に直面したときに相手の責任を考えられず、それが「自己肯定感が低い」と評されるのだと考えます。
結論:自己肯定感は自分では高まらない
ひとつのわたしのツイートが、ちょっとした議論を生みました。
自己肯定感を高める方法
って本や教えには意味がないその本を書いているのは自己肯定感の高い人で
俺みたいになって人生変えろ
って言ってるに過ぎない簡単に自分を変えられる人には効くだろうけど…
本当に自己肯定感のない人には
他人から肯定し続けられること
が必要否定されてきた分以上に
— haruka@MS/PTS (@harukaMSPTS2) August 7, 2019
現在もこれを引用リツイートし
「意味がないとは言えない」
というご意見が殺到しております。
このツイートで言いたかったのは要するに
そして
ということです。