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小説と医学と電線と数学と【勉強なんて世界をちょっと綺麗に見るためで十分だ】

気ままライフ

インターネットの接続がうまくいかず少し集中力がないので、ちょっとだけ雑談をしたいと思います。

これはわたしが最近、過去作の改訂作業をしていて感じたものの話です。

小説改定作業の話

わたしの本業は、自分でも正直よくわかりません。

ただ恋愛小説を書いているのは確かです。

売れない作家ですが、コアなファンの方々に激励をいただいて細々と続けられています。

ただ違うペンネームですし宣伝する気もないので、タイトルなどは明かさないでおきます。

 

第1作を発表したのは、大学受験が終わったときでした。

合格発表から入学式までの間に、当時は連載という形で書き始めました。

わたしは気合の入れた小説なら終わり方までを想定して書くタイプなので、伏線や表現には苦労しましたが完結までたどり着きました。

ぶっちゃけ、はじめはまったく人気がなかったです。

それでも書き進めるうちに応援してくださる方が増え、完結したときにはたくさんのレビューやコメントをいただけました。

なかでも「日常で触れることのない理系の話題を身近に感じられてよかった」とのレビューをいただいて嬉しかったのを覚えています。

 

書き始めは入学前でも、連載時には大学生でした。

一般教養から医学専門科目まで、たくさんの理系情報に触れられる時期でした。

どれだけテストやレポートが大変でも、作品のためになりそうな最先端情報に触れられる科目なら積極的に受講しては、講義中に「あのシーンで使おう!」と記憶してはメモを取ったのを覚えています。

その知識はさすがにもう、よほど重要なものでない限りは薄れつつありますし、作品に落とし込んだら忘れることも多々ありました。

 

今回改訂作業をするにあたって、先日とりあえず全体を読みました。

自分で書いておきながら、泣きました。

よくもまあこんなものが書けたなと。

今連載しているものは、ありがたいことに人気はあるのですが、あの頃には到底及びません。

知識も、熱意も、多分第1作目がわたしの人生史上最高傑作だったのではないかと思います。

知識の吸収量の話

理学の話が出てきては「これあの授業のあの教授のやつだ」と思い返し、

医学の話が出てきては「疾病論のあの教授のとき」「解剖学のあのとき」と、学生時代を思い出して懐かしくなります。

あのときは新しい知識を吸収して、新しい世界を知って、周りは知らないことだらけで、無知なことが逆に心地よくて、新しい世界を見る楽しさに溢れていました。

嫌いや苦手な科目を克服するのに必要なのは何か?

話は変わって先日、「2次方程式を解けたら何がいいか?」というツイートが回ってきました。

既にたくさんリプライがついていて、数学的な利点や物理学への応用や、とても「学問として」「知識として」役に立つことがたくさん書かれていました。

なるほどそれは勉強になる。

それはそれとして、

『数学や物理を嫌い・苦手な子たちは、そのメリットを聞いて「それなら勉強しよう!」と思えるのか?』

それは些細な疑問といえばそうですが、もともとは小学校の教師を目指していたわたしとしては永久の難題です。

『興味のない・苦手意識のある分野を積極的に学ぼうとしてもらうには、どうしたらいいか』

家庭教師で失敗した話

正直な話をすると、わたしは過去1度、家庭教師の指導に失敗したことがあります。

医学部志望の子相手にメインで数学、補助として5教科すべてを頼まれていましたが、その子には「数学ができる楽しさ」を伝えきれませんでした。

ちょうどドラマ「コード・ブルー」の放送期で、コード・ブルーを見て医学の道を志したその子に

「コード・ブルーの世界に行きたいなら、今はドラマは見ずに頑張ろう」

と言っていたのですが、彼女は出した数学の宿題はやらずコード・ブルーを観て、進路は医学部で成績は一向に上がらない……と、ひたすら頭を抱え続けました。

今の彼女は別の道へ進み、それなりに満足はしているそうです。

ただ医者になって活躍したいという彼女の夢を後押しするには、力が及びませんでした。

勉強するのは本人で他人には限界がある

でも

  • 宿題はやらない
  • 反復もしない
  • ミスの見返しもしない

と受験勉強には致命的なことを繰り返しながら彼女の夢を叶えてあげようというには、さすがに限界があります。

わたしは自ら勉強したい子にしか勉強を教えられませんし、勉強を教える意義を見いだせません。

本人がしたくないなら、それでいいじゃないか。

ずっとそう思ってきたし、今もそう思います。

苦手意識やモチベーションは変えられるかも?

ただ勉強のモチベーションとして、違う教え方はできたんじゃないかと、今になって思います。

たとえば、「数学のこの式は医学のここに活きていて、コード・ブルーだとこんな感じで出てくるよ」とか、うまく説明できていれば、彼女はもしかしたら数学も勉強したかもしれません。

それでも彼女はコード・ブルーを観続けたでしょうが、それはそれとして。

勉強できると何がいいのか

『2次方程式が解けると何がいいの?』は、これと同じだと思っています。

みんながみんな、自分の関心に合わせて説明してくれるわけじゃない。

説明されたって、将来使うとは思えないし、理解したいとも思わない。

 

でも、

『2次方程式を理解できるからこそ楽しめる世界は、けっこう身近にある』

そう教えてあげることはできるよなと。

数学と物理と空と電線

わたしは電線が好きです。

最近は「地下電線」とか言って、「景観を損ねるから」と埋められがちな電線が好きです。

電線は数学で「カテナリー曲線」と呼ばれるものにあたります。

物理学でいうと、重力に最も耐えうる曲線の形です。

ネックレスのチェーン部分も「カテナリー曲線」です。

数学の世界では、電線もネックレスも同じになります。

首に電線巻いてるのも、電柱にネックレスつなぐのも、数学では同じっておもしろいですよね。

 

それを知って空を見上げたとき、空を見るのには邪魔になる電線は、

「単に電気を運ぶもの」ではなくて「ちょっと綺麗なカーブを描いた線」に見えるかもしれません。

美意識は人それぞれなので断言はできませんが。

知識や教養、雑学の意味は「ちょっと世界を綺麗に見られる」でもいい

知らないことを知るのは、自分に即利益があるかどうかだけではないと思います。

受験勉強は即座の結果が求められるのでどうしようもないところはありますが、彼女がこの先一生「数学は嫌いだ」と思うのと、「数学があるからコード・ブルーもある」と思うのとではこの先全然見えるものが違うでしょう。

わたしが学科としては必要ない内容まで勉強したことは、成績としてはそこまでいい形にはならなくても、誰かの心に響く小説を残せたという意味にはなりました。

 

読書をしていると思うのですが、いい作品に出逢えるとちょっとやる気が出てきます。

ちょっといい気分になって、ちょっと頑張れそうな気がして、そしてちょっと世界が変わったような気がします。

 

勉強なんてできなくてもいいし、本だって読まなくてもいい。

知識なんてなくたっていいし、体だって動かなくてもいい。

ただ何かしら「あった方がより気分良く生きられるもの」というのはあって、そういうものがあるだけで人生が変わってくるものがある。

そのなかで手っ取り早く身につけられるのが「知識」だと思います。

教養、リベラルアーツ、雑学と呼び替えてもいいです。

 

勉強する意味だとか生きる意味だとか、そんな崇高なことを求めるのではなくて、
偏差値の高い大学に入れるからとか社会に求められているからとかいうくだらない目的のためでもなくて、

「ただちょっと綺麗な世界を見てみたいから」

その程度の理由で勉強してみてもいいんじゃないかなと。

それで挫折したら、いつでもやめていいし。

それも「学ぶ自由」の一部なんじゃないかなと。

 

ただやっぱり、知っているから見える世界というのはあるよなと、今日のわたしは思うのです。

お付き合いありがとうございました。

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まぁるいせかい管理人
はるか

考察家。作家。開発者。多発性硬化症+希少難病+先天性心臓奇形などをもつ障害者。病歴や薬歴は多すぎるので管理者情報参照。今までにないものを創るお仕事。京大医学部を病気により中退。ケアストレスカウンセラー、保育士などの資格をもつ。

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