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「ジョゼと虎と魚たち」重度障害者の車椅子ユーザーが感じた低評価の理由|小説レビュー

レビュー

車椅子を押す広告は、いつもお年寄り車椅子ユーザーを若い女性が押すように描かれる。

だからわたしは、若い女の子が若い男の子に車椅子を押されている、アニメ版ジョゼのポスターが大好きだ。

それは、わたしと彼とのデート風景に似ていたから。

そしてわたしはこの「ジョゼ」に原作小説があることを知った。

映画版ではなく、原作。

脚本家の手の加わっていない、原作。

それは映画版の小説よりも評価が低い。

その理由は現在1番上にあるレビュー。

「表題作で興味をなくした」

主人公の女性の言動の醜さと、それに引っかかる未熟な男子大学生。社会人という設定にしたらこの女に引っかかることが説明できなくなるので大学生になっている。最後のほうに言い訳みたいに女性が家事をしていることが書き添えてある。

引用元;Amazonレビュー

この物知り顔のレビューを見て、なお映画版ではなく原作を買って、読了してから再びこのレビューに戻ったわたしが感じたこと。

「このレビューを書いたのは、関東住み健常者の男性だ」

 

「ジョゼと虎と魚たち」あらすじ

Amazonの説明文にあるあらすじはこうだ。

足が悪いジョゼは車椅子がないと動けない。世間から身を隠すように暮らし、ほとんど外出したことのない、市松人形のようなジョゼと、管理人として同棲中の、大学をでたばかりの恒夫。どこかあやうくて、不思議にエロティックな男女の関係を描く表題作「ジョゼと虎と魚たち」のほか、仕事をもったオトナの女を主人公にさまざまな愛と別れを描いて、素敵に胸おどる短篇、八篇を収録した珠玉の作品集。

引用元;Amazon

でも「ジョゼと虎と魚たち」はとても短い

他の作品のほうが長い。

実写版もあるけれど、この短編をよく映画化できたなと思うくらいに原作は短い。

凝縮されている。

だからきちんと読まなければとても誤解を招くし、ジョゼの独特の大阪弁が輪をかけて目立つのだと思う。

 

「ジョゼと虎と魚たち」の誤解

この作品には誤解を招く要素がたくさんあるし、意図的に販売側が誤解を招く表現をしているのではないかと思う箇所がある。

というか本当に読んだのか?とも思う

 

誤解①管理人ではない

「恒夫が管理人を務める家にジョゼが暮らしている」と書かれているが、まったく違う。

恒夫は通りすがりの大学生。

坂道の上から突き落とされたジョゼに遭遇し、その容姿に惹かれて面倒を看るようになったに過ぎない。

ジョゼを子どもだとも勘違いしていた

 

ジョゼは祖母の家、一軒家で暮らしている。

管理人などそもそもいない。

 

映画はまだ見ていないけれど、漫画では恒夫をふと「管理人」と呼び出したことは明記されている。

もちろん、小説にも。

漫画では「恒夫はバイト」だと描かれている

 

誤解②大阪弁の強さ

他の作品には京都弁も出てくるのであえて関西弁ではなく「大阪弁」として区別する。

大阪弁では「バカ」も「アホ」も言う。

親しい相手には

 

初対面の人を罵倒できるのは、何かしらのタガやネジが外れているかネット上かだ。

たとえ語調が強かろうが、大阪弁の「バカ」「アホ」の意味は軽い。

エヴァンゲリオンのアスカの「あんたバカ~?」程度かそれ以上によくある
ついでに恒夫もそれなりに言い返している

 

誤解③脚の麻痺は弱くない

脳性麻痺か何かだと説明されているジョゼの脚だが、腕が動くからこそ誤解の生まれやすい描写がある。

それが、

  1. つかまり立ちができる
  2. 恒夫が杖を作った
  3. 「ローラーシューズ」で移動

この3点。

 

つかまり立ち

脚が麻痺していて一切力が入らなくても、腕力があればつかまり立ちはできる。

ただし、そこから動けるかは別問題。

立ち座りが自由かも別問題。

これは「洗濯物干し」につなげるための描写だが、自分の脚で体重を支えられるという意味ではない。

実際に脚が麻痺してみないとわからないポイントだろうな

杖で移動

一般的な片手杖や松葉杖のイメージがあるとわかりづらいだろうが、両脚麻痺の杖歩きに要求されるのは、

  1. 腕力
  2. 体幹の筋力
  3. 痛みを我慢する気力

大きくこの3つ。

松葉杖もそうだが、両脚麻痺用の杖にはもたれかかれない

もたれかかると腋窩動脈を圧迫して腕に血が回らなくなるので腕と体幹で挟んで使う。

めっちゃ痛いので相当な我慢が必要。

介護の専門ではない恒夫が杖を作ったことも凄いが、それを使い続けるジョゼの忍耐力も褒められるべき。

 

「ローラーシューズ」

かかとにローラーのついた一般的なものではなく、台車のようなもの。

わたしも「床に傷が付く!」と怒られるまでは使っていた。

板とキャスターがあれば作れるし、脚の動かない人間にとって「移動手段はすべて脚」なのでローラーシューズと呼びたい気持ちはわかる。

ただこれはジョゼの気持ちに寄り添いすぎて、健常者にはわかりにくい表現になっているだろう。

 

誤解④身体障害者は強くない

身体障害者は健常者と比べてどこかの機能が欠落している。

人により機能や意識に違いはあれど

 

そしてそれを補う道具が必要だったり、手助けが必要だったりする。

 

他者の助けが必要なことがわかっているので、たとえヘルパーさんにであろうと強い態度や口調に出ることはとても難しい。

 

現にジョゼは恒夫以外の介護者からはいないものとして扱われ、親からも捨てられて施設入りしている。

 

そのジョゼが強い態度、八つ当たりのような態度を恒夫にはする。

それを恒夫は、

ジョゼにとっての甘えなのかと考えている

し、

 

ジョゼのセリフでも

「嬉しすぎて不機嫌になったんや」

など、機嫌の悪くなるタイミングと理由は明記されている。

 

なぜAmazonレビューがああなったのか、単なる読み落としと想像力の欠如としか思えません。

わたしも重度身障者として家の中ですら困ることはありますが、それを口に出せる仲の人がいるのはとても羨ましいです。

 

本への感想は自由ながら、この作者の作品はどれも「奔放な男女」です。

ジョゼだけを愚弄するコメントは…どうなんでしょうね。

 

「ジョゼと虎と魚たち」に惹かれた理由

わたしがこの作品に惹かれたのは、絵柄や

ジョゼ、25歳
わたし、24歳

という年齢の近さもありながら、

「この映画作品は原作の強姦要素を排除することで内容が軽くなっている」

というニュース記事を見たからです。

 

「こんな華やかな絵なのに、元はそんな重い題材を扱っていたのか?」

と興味をもちました。

 

性犯罪を扱った映画はありますがそれは大抵メインテーマであって、サブ要素ではありません。

サブとして取り入れるのならメインテーマは何になるのか、メインとのバランスは取れるのか、などさまざまな興味がありました。

結論、「あーこのシーンをカットしたんだろうな」と思うものはありました

 

「ジョゼと虎と魚たち」の感想

ここからはわたしの率直な感想です。

わたしは悲しかった。

 

ジョゼの車椅子

車椅子の種類は電動と手動だけではありません。

手動の中にも

  • 自走式(自分の腕でこぐもの)
  • そうでないもの(誰かに押してもらうもの)

があります。

 

ジョゼは自走式、「腕は健常者同様に使えた」との表記もあります。

序盤に出てくるこのひと文で、わたしは突き放された気持ちになりました。

 

勝手に親近感を抱いていたのはわたしですが、

「あージョゼは腕が使えるのかー」

と、

事情を知らないいろんな人に自走式車椅子を提案される度に

「自分、右腕の麻痺もあるんですよ。左手も常に使えるわけじゃないんで」

と断るときの、

 

せめて腕が使えたら良かったのになー

 

がジョゼにはある。

それが羨ましかったです。

 

レビューの浅さ

何度読み返しても解せないのが、ジョゼに対するこのレビューの浅さ、障害者への無理解です。

 

ジョゼの言動の醜さ

 

市松人形のようなジョゼにはかえって高飛車な物言いのほうがしっくりくる

しっかりと恒夫の感情として描写されています。

 

またジョゼの言動の不安定さは、

  • 幼い頃に後妻を迎えた父とその女との間の娘のように愛されたかったこと
  • 記憶の改変があること
  • それはジョゼにとっては事実であること
  • 祖母がジョゼを隠したせいで他にコミュニケーションを取れる人がいなかったこと

などから愛着障害の一種とも考えられます。

 

さらに肝心なところでは傍にいるよう頼める素直さも備わっており、どこが醜いのかわたしにはわかりません。

 

正確には「わたしは醜いとは思わない」

 

恒夫の成熟性

引っかかる未熟な男子大学生」と評された恒夫ですが、

恋人とも呼べない女の子と

終わったら顔も見たくない

など、それ相応に女性経験はあるうえにけっこう歪んだ感覚の持ち主です。

なのにジョゼのことは気に入っているというのは、もはやセンスの問題でしょう。

 

ついでに大学生だったのは出会った当時で、小説ではほとんどが就職してからの話です。

 

言い訳のように女性が家事を

これ、1番悲しかった文言です。

ジョゼは恒夫に対して言葉では厳しく当たりますが、かいがいしく家事をします。

 

あのね、身体障害者って、できないことを他人に頼る分、できることで恩返ししようとするんだわ
一部例外あり

 

ということで、言い訳ではなくてジョゼなりの恒夫への愛情表現なんですよ。

好きでもない人の世話なんて、ただでさえ自分のことで大変なのにしようと思いません。

 

レビューを書いたのが男性だと感じたのも「この女」「引っかかる」「女性が家事」など、女性蔑視を感じたからです。

 

女性は家事をして当たり前ではありません。

 

肝心なことが書かれていない

この「ジョゼ」の本質はキャラクターの性格でもなんでもなく、

円満な幸福を考えるとき、必ず死を考える

というジョゼの幸福論にあるでしょう。

 

ちなみに似た表現で「東京喰種」に、

人生で最も幸福なことは、自分らしく死ねること

引用元;東京喰種re:

というセリフがあります。

 

重度身障者として思うこと

あまり最後まで書くと短編なのでもうすべてを語ることにしかならないので書きません。

たださまざまな感想はあるでしょうが、本に関しては他人のレビューほどアテにならないものはないなと思いました。

というレビューを基にしたレビューですが

 

レビューへの反感

基準上どうしても「重度身体障害者」になってしまう自分がこのレビューを読み、作品を読み、レビューに戻り、作品へまた戻り…と繰り返して悩み、それをヘルパーさんへ話して言われたことがあります。

 

いろんな経験をしたから、そういうことがわかるんだね

はい、そうですね。

 

外へ出ると悪意の世界。

わたしは背があるのでジョゼのように突き飛ばされないけれど、容赦なく蹴られます。

タイヤの空気が減れば、ブレーキの力は弱まる。

車椅子は揺らぐ。

ぶつかったって誰も謝ってくれない。

危険な世界。

 

だから母はわたしを軟禁した。

ジョゼの祖母がジョゼを外に出さなかったように。

外界との接触を絶てば、危険なものもないから。

 

でも、誰かとつながっていたい。

 

わたしはネットで外とつながるけれど、「ジョゼ」の書かれた時代にそんなものはない。

 

そしてひとは平気で言う。

こっちは働いてきたのに、お前は何をしてるんだ?
申し訳程度に家事をしているだけじゃないか。

思う通りに動けたら、障害者はやっていない。

 

こんな世界は、知りたくなかった。

 

刹那の幸せと死

 

「ああ、自分は死んだのだ」

わたしもよくそう思う。

幸福なときほど死を意識する。

 

あまりに刹那的だと笑われるかもしれない。

けれど、もう1年か2年前になるけど未だに忘れられない、

「病人障害者は性奴隷になって死ね」

そう言われた身として、また自分の役立たなさを知っている身として、

 

幸せを感じる刹那こそが死の瞬間であり願望であり、つまりは障害者としての自分を忘れられるときだとわかるから。

 

だからわたしはこの作品で胸が痛くなった。

何度も泣いた。苦しんだ。

それでもひとときでもジョゼが幸せなら、わたしはそれがこの小説のすべてだと思う。

 

ページ内引用元表記なしはすべて「ジョゼと虎と魚たち」原作より

 

今回の本の紹介

以下は今回レビューを書くうえでKindleにてお世話になった本たちです。

  • 原作

  • マンガ

  • 映画版電子特典付き脚本

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