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なんさんへ/お手紙3

ブログ文通
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ちなみに前回の文通はこちら↓

なんさんより/お返事2 https://harukams-medicalbeauty.com/nansan-2/

 


<なんさんへ>

 

わたしはまだセーターすら着られないのに、周りはコートを着始めましたね。風邪も流行しているようです。お元気でしょうか。

 

先日戴いたお手紙ですが、わたしもあーそうなんだ!と思う部分もありました。

あと娘さんのお言葉、本当に名言ですね。

 

わたしがどちらについて考えているか、についてですが、わたしが発信する理由というのは決まりきっていて、

わたしが散々苦しんだから、もう誰も苦しんでほしくない、苦しんでいる姿を見たくない、っていうわたしのわがまま

なんですよね。

 

病気になる前も、ありふれてはいますけれど多少複雑な人生を送ってきたもので、

家出とか警察沙汰とかリストカット自殺未遂不登校カウンセラーさん通い、とか色々やらかしては沢山の人に迷惑をかけてきました。

 

病気をしてからは、それこそ色々な希望も絶望も味わって、

説明された治療の副作用でも確率低いから大丈夫って言われたもの全部ひっかかって、造影剤ですら痙攣で呼吸停止で、何度も何度も死にかけて、

それでも救われた命なのに、消えたくなるほどの身体的、精神的苦痛を味わったわけです。

(身体的苦痛の話はこちらです→https://harukams-medicalbeauty.com/ikirukati/

精神的苦痛の話は、まだ載せていません。それでも入院中から今に至るまで、沢山あります。

 

わたしは理学療法士(PT)というリハビリをする人になるための学科にいます。

復学したら、実習に行って国試を受けてPTになる予定でした。入院してすぐは、まだそのつもりだったんです。

でも、できないって気づいてしまったんですよ。

 

わたしは、急性期病院の、神経リハをするPTになりたかった
リハビリをして回復してきた人に、もっとリハビリしたらもっと動くようになるよって希望を持たせるのは比較的簡単です(たぶん)。
でも、全く微動だにしない人に、リハビリしたら動くようになるよって希望を持たせることって、本当に難しくてその励まし自体が残酷だったりするんです。

 

だからわたしは、もちろん病気の特性もありますが、全身付随からリハビリしてここまで動けるようになったから、
そういう人の気持ちがわかるから、
「つらいね、わかるよ、感覚ないってこういうことだよね、痺れだけあって気持ち悪いってこういうことだよね」って理解できるから、

 

転院先のPTさんには「PTでMSっていうことに価値あるよね、患者さんのことわかってあげられるよね」って言われました。

 

わたしも価値を認めていないわけではないんです。

 

ただ、

誰が脚や腕の感覚ない人にリハビリしてもらいたいですか?
誰が自分の家族をそんな人に預けようと思いますか?
そもそも毎日の体調すら読めずに、天気次第で出勤できないし体の動きだって止まります。リハビリしている最中にわたしが痙攣し始めたら、患者さんどころじゃなくなるのに、そんな人どこの病院が雇ってくれますか?

患者さんが転けそうになったら、支えるどころか一緒に倒れます。

 

京大まで行っておいて退学も考えたけれど、わたしが学んできたこと、これから学んでいくこと、全て無駄にしたくない。拾って役立ててくださる方がいれば幸いだし、わたしなんかでいいの?っていつも思います。

 

それでも役に立てるのなら、どうぞ使ってください、拾ってください。わたしの人生はまだ20年少しかもしれないけれど、そこに共感したり、気持ちが楽になる何かがあるなら使ってください。

 

本当はPTとして体で恩を返したかったけれど、それが叶いそうもないから。

 

それが発信の決め手です。

 

わたしの苦痛に、絶望に、意味があったと思いたい。

それこそ承認欲求の塊です。

 

わたしが消えたい気持ちに負けてしまうまで、その瞬間までは、自分の人生に意味があったと思いたい。

 

だから形を残すんです。

同じ悩みを抱えた人が現れたときに、こんな道を選んだ人間がいたことを知って、そこから自分の人生をもっと良く生きてほしいから。

 

わたしがいなくなるその日までに、どうにかして「弱くても生きられる社会」を作りたいから。
自然界じゃないんだから、弱肉強食じゃなくていいじゃないですか。
理性があるんだから、強者が弱者を助ける社会でいいじゃないですか。

 

生き方なんて個人の選ぶものですから、違って当然だし生き方指導で稼いでいる人を否定もしません。助かる人がいるのも否定しません。

 

わたしが考えているのは、なんさんの仰る「前者」で、「生き方についての問題提起」というのは、ひとりひとりに「その生き方でいいの?満足してる?」って聞くみたいなものです。

それで満足していればいいし、していなければ「どうしたいか、それは自分で考えてみないといけないよね」って、そういうめちゃくちゃなお節介なわけです。

 

そうなると、はじめになんさんが仰っていた立場の違いみたいになるのかな。年下から言われてイラッとする人だっているだろうし。

 

ですが先日ツイッターで話題になった生き方指導の方は25歳だし、そういう人に生き方を習おうとする人がいるのだから、受け入れられる人は受け入れられるんですかね。その辺りも含めてよくわからないなあという感じです。

 

全部全部わたしのわがままで、

完全な理想論で、

どうしたって叶いっこないって言われて、

それでもどうしても、ひとりでも多くの人の役に立ちたいから、

そこにあの日助けられたこの命の意味を見つけたいから、

だから社会を変えるなんて無茶なことを目指すんです。それがわたしの行動原理。

 

なんかいつも以上にはちゃめちゃな文になってしまいましたね。何かにかこつけて、なんさんの人生観みたいなものを伺ってみたかったのかもしれません。

 

行動原理はしっかりしているのですが、そのとき自分が何を考えているかってあまりよくわかっていないのです。

振り回してしまってすみません。

 

インフルエンザも話題になる季節です。どうかお体ご自愛くださいね。

娘さんにも、感謝を伝えていただけると幸いに存じます。

毎度ご丁寧なお返事、ありがとうございます。

 

はるか 拝

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