わたしは大抵いつも自主退院するのですが、今回の強硬退院にはそれなりのストレス、フラッシュバック原因、増悪する全身痙攣などの要因がありました。
中でも大きかったのは、同室さんへのストレスでしょう。
強硬退院の原因
今回、同室さんに対してわたしが一方的にストレスを感じていました。
同室さんの話
というのも、同室さんは肝臓病(さすがに細かい病名は伏せます)
- 妊娠、授乳中も酒をやめず
- 救急搬送されてICUに入ったことを自慢気に大声で語り
- 医師から「絶対安静」と言われても守らず
- 入院しているのにタバコをやめず
- 夜中にはお菓子をボリボリ食べ続け
すなわち
治る病気にも関わらず自分の不摂生で病状を悪化させた上に
薬で治そうとしていて
と苦言を呈する医師は難癖つけて変えさせ
自分の耳触りの良いことを言う人しか周りに置かず
という人だったんです。
難病のわたしからすれば
- 治る病気で治す方法があって
- これまで緊急搬送されて酒もタバコもやめる機会があって
そして
疑問で疑問で
わたしにとってのつらさ
わたしの精神衛生上割ときつかったのは
わたしが全身痙攣にひっそり涙を流しながら
発狂するのはかろうじて「うるさくて周りの人に迷惑だからと」耐えているときに
わたしと同じ貧血の数値に関わらず、相手は肝臓が悪いからと輸血することになり
と疑問に思ったことです。
「治るなら治せ」は無粋?
死にたいと思っている人に対して
「生きたくても生きられない人もいるんだから生きなさい」
と言うことは、相手に寄り添っていない無粋極まりない言葉ですが
治せない病気の人が治る病気の人に対して
「治りたくても治せない病気の人もいるんだから治しなさい」
と思うことは、やっぱり余計なお世話なんですかね?
以前知らない人にTwitterで「治るなら治せ、治らない病気もあると知れ」とぐちぐち言われたこともありますが
あのときは治療法に大きなリスクを伴うためキレましたが、今回は「安静にすること」が治療法なので、「?」な気持ちです。
どう生きるかは個人の自由ですが、医療をかじった者としては
し
んですよ。
散々「お前は税金泥棒だ」と叩かれたわたしですが、できることなら治したいし、自分でリハビリするなど、できる限りの努力もしています。
こんな、治す気のない人の方がよっぽど税金泥棒な気がしています。
そして難病患者として言うなら
んですよ。
治る病気で治せるうちに何度もターニングポイントがあって、未だに治そうとして苦言を呈してくれる人もいるのに、わざわざ治さない道を選んで自分の病気の酷さを自慢する
その気持ちが、わかりません。
以前勘違いされたのであえて言いますが、わたしは「治らない病気の自分かわいそう」と言いたいわけではありません。
ただ、
それこそ、自分かわいそうと思うことしか楽しみがなくなるじゃないですか。
わたしは楽しくないですよ
あり得たかもしれない「病気のない」大学生活の方がよほど楽しかっただろうと思いますから。
ひとりでふらつかずに歩けて、炎天下でも移動できて、ボルダリングやボウリングもできて…