これは3月半ば。1週間だけの入院のときの話。
わたしは右腕がまったく動かなくなり検査入院となりました。
検査の結果、再発ではなさそうだから抗けいれん薬を減らして様子を見ようとのこと。
減薬ならば家でもできると、わたしは退院しました。
そしてわたしは同室の方へ「お世話になりました」と挨拶へ。
そこで思いがけず尋ねられたことは
ということでした。
わたしは今腕が動くか動かないかの瀬戸際に立っていて、仕事とかそれどころではありません。
- きっと悪気はないんだろう。
- 学生とも想像していないだろう。
- 何かの保険とか助成で暮らしていますっていう答えだと、助成の受け方の話やらができて良かったのかもしれない。
後から考えて、その結論に至りました。でもそのときは、
がありました。
車椅子に乗っているわたしに「仕事どうするの?」と仰った方。
大学を中退という道を選んだ自分にとって、
就職先の決まっていない自分にとって、
大学院に進むつもりだったので就活すらしていない自分にとって、
予想外の人生へ病という抗えないものに突き飛ばされた自分にとって、
にとって、
という常識は、かなり結構とてもきつかったです。
わたしは車椅子に乗っていますが、脚だけではなく手も思うように動きません。
そもそも腕が動かなくなったのが入院の理由で、病院でできる治療がないから退院するだけで回復したわけではありません。
という諦念に似た怒りを、その瞬間に処理できず。
「じゃあわたしは仕事どうするんだろう」
「わたしは大学を辞めてどうするんだろう」
「わたしは何をしているんだろう」
そう考えてしまって、笑顔がひきつりました。
すぐに再入院
そして退院して1週間。
体調は悪化の一途を辿り、抗けいれん薬を減らしたせいで増えた痙攣に首や顎、舌の痙攣が加わり、痙攣で窒息死しそうだからと再入院が決まりました。
筋肉が強ばる希少難病の疑いもあり、検査をしながら実験的に血漿交換という血を入れ替える治療とステロイドパルスという免疫力を下げる治療を同時に行いました。
痙攣は激しく、首のカテーテルからは血が逆流しベッドは血塗れ。
毎晩呼吸困難に停止で意識が途絶え、気がつくとたくさんのモニターに繋がれていました。
そんな毎日の中で検査技師さん(医師かもしれない)に投げかけられたのが、
という、またしても仕事内容を問う言葉でした。
嘘偽りなく答えると、相手は言葉に窮しました。
わたしの緊張を解こうと世間話をしてくれただけです。
決して追い詰めるためではなく、むしろ無難な会話のはずなのに、ただ「仕事の話」はわたしにとって地雷でした。
気を遣ってようやく絞り出してくれた言葉は、
無職ともニートとも言わない、凄まじい気遣いを感じました。
ただわたしは仕事について尋ねられることに若干の耐性ができたので、休学時代からしている在宅バイトの話をしました。
すると技師さんは「じゃあテレワークできる人か!南の島でもパソコンあれば良い人か!お金持ちになる人やな!」と明るく返してくれました。
ただわたしは思いました。
パソコンがあれば仕事はできる。
でも、
だから入院して
と治療しているのに、働かなければならないのだろうか。
大人になれば働くのが当たり前
なら
大人になっても病気を理由に働かせてもらえない人は
わたしはとても疑問です。
この世は、上のどれとも違います。
弱肉強食だからと富を搾取し傲る人がいて、病気でなくとも自分は弱者だと諦める人がいる。
働かず生き残るのは適者というよりも強者と呼ばれ、少しでも不器用な人は社会不適合者とのレッテルを貼られる。
年金や生活保護に国民皆保険といった制度があるにも関わらず、病人を支えてやってる自分たちの苦労を病人は知らない病人の方が楽しやがってと働こうにも働けない病人を妬む人がいる。
勘違いしてはいけない。
病人のわたしが言えば自己弁護に聞こえるかもしれません。
それでも、病気を抱える苦しさや、病気を抱えている者への社会の冷たさを考えると、
そして「自分たちが病人を支えてやっている」と傲る人たちにすら罪の意識を覚える病人は、決して悪くはないと思うのです。
ただ、真面目に闘病している人たちは、苦しみと向き合っている人たちは、弱音すら吐くことを許されない風潮で生きる人たちは、
そんな人たちを貶し妬む人たちは、自分たちの「社会不適合さ」を病人へなすりつけている、つまりは八つ当たりをしているように思うのです。
さてどうでしょう。
わたしたち病人には、働けない人もいます。
でも、
極論ですがわたしは、事情も心情も知らずに「病人は楽」だと短絡的に考えて無責任に「病人は死んだ方が良い」と言う人の方が、死んだ方が良いと思っています。
以上、わたしが「医療費の無駄だから死ね」やその他吐かれた罵詈雑言を元に考えを述べさせていただきました。
ご覧くださってありがとうございます。
そして願わくは、貴方が身近な闘病者への接し方を考えてくださることを。