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1番苦しいのは自分なのに、英雄はいつだって周りの人間だ

社会論
「ここまで支えてあげて、本当にすごいねえ」

病気で苦しんでいるのは自分なのに、なぜかいつだって悩み苦しむ中で支え続けた周りの人間の方が褒められ称えられ、余計に苦しくなることはありませんか?

わたしはあります。

 

「これからもそうだと信じていたのに」

病気で苦しんでいるのは自分なのに、なぜか勝手に、病気にかかったことを周りの人間に責められることはありませんか。

わたしはあります。

 

これはそんなわたしの、仲の良かった祖母と病気をきっかけに生じた齟齬のお話です。

溺愛されていた

祖母にはたくさんの孫がいます。数人レベルではなくたくさんいます。

わたしはそのうちの1人に過ぎません。

ただわたしは、大学生の身分ながらもかなりのバイトをしていたので、そして京大にいたので

これが理由としては1番大きいです

京都の観光地をたくさん知っていましたし、隠れた名店もたくさん知っていました。

なのでバイト代を使って、祖母を京都へ何度も観光に連れていきました。

京大周辺には古民家カフェなど大学生向けのおしゃれな洋風のお店が多くあります。

1番多いのはなぜかインドカレー屋さんですが(^_^;)

普段は通常メニューで6000円以上するのに、ランチタイムだけ1000円代の本格ステーキ屋さん。

祇園都路里の抹茶そば定食。

祇園や錦市場の商店街めぐり。

貴船の川床で懐石料理をごちそうしたときは、川床自体が人生初とあって

「こんな孫は他にいない」

と喜んでくれました。

この笑顔が見られるのなら、別に高かろうが安いものだと思っていました。

わたしの好きな料理は祖母の筑前煮でした。

わたしは祖母が大好きでした。

嫌われている

今わたしは祖母に嫌われています。

というよりも、愛されていた分、愛している分、病気にかかった失望が大きすぎて、祖母自身が「わたしが病気にかかったことへのショック」からまだ立ち直れていないのでしょう。

わたしだって自分が病気にかかったショックから立ち直れてはいません。

それは日々刻々と変動する中で、悪化をひしひしと感じているからです。

このページは、硬直20分以上指1本たりとも動かせなかったときの10時間後に書いています。

わたしはテグレトールという、てんかんでよく使われる抗けいれん薬の効き目の時間の分しか身動きができません

薬の血中濃度が下がれば動きは止まります。そして徐々に全身痙攣へ移ります。

大抵は硬直時間を耐え抜き、全身痙攣で暴れだした腕をなんとか薬まで届かせて薬を飲み、効くのをまた待ちます。

そんな変動の中で生活しています。

ただ、祖母がそんな一刻一刻のわたしの体調を知るはずありません。

祖母が知るのは

「わたしが病気にかかった」
「再発を繰り返して歩けなくなった」
「障害者になった」
「精神病もたくさんある」
「自殺未遂をしたことがある」

この定常的な事実です。

いつだって変化する自分の体調に振り回されて苦しんでいるのは自分自身なのに、なぜか周りの人間は、定常状態すら受け容れられずに「どうして病気になったの?」と言う。

 

知りませんよそんなこと。

 

ある絵本作家は「感謝が足りないから病気になる」と言いました。
別の人は「罪を犯したから病気になる」とわざわざ伝えてきました。

 

わたしは多少荒れていました。それは認めます。

両親の罵声の中で育って、荒れない方がおかしいだろとも思っています。それも認めます。

でも、

小学2年生から家事を全部担って

妹たちを両親から守ろうとして、世間から守ろうとして

家に負担をかけないように塾に行きたいとも私立に行きたいとも言わないで

きちんと言われた通り国公立大に入って

成績優秀者の支援が受けられるようひたすら真面目に勉強して

遊ぶお金もバイト代から全部出して

その頃は女子大生らしくインスタくらいしかネット関連をほとんどしていなかったから誰かと喧嘩することもなく

複数の学生団体のリーダーを担って

ただ一生懸命生きていた。

それが罪で、感謝不足で、自分のせいで病気になったのなら、わたしは一体どう生きれば良かったのですか

わたしは未だによくわかりません。

なぜあなたが?

わたしはよく「なんであんたが…」と言われます。

 

知りませんよそんなこと。

 

なんならわたしが1番思っています。

どうしてやりたいことができないのか。

書きたい論文を書き終えることもできず、同じ神経難病で苦しむ子を支える医療者にもなれず、

外出時は車椅子で、右腕も不自由だから自分で漕ぐこともできなければ、左手も痙攣するので電動車椅子の操縦も危険。

誰かに押してもらうしかない。

祖母に車椅子を押してもらうときは、胸が張り裂けそうです。

いつも帰って1人で泣きます。思い出して今も泣きながら書いています。

大好きな、支えたかった祖母に、支えてもらう悔しさ。

その祖母から、

「いつまでも、病気する前みたいな一緒に出かける日が続くと思ってた」

と言われた絶望感。

旅行が好きな祖母を連れ出す楽しさを病気に奪われたこの悔しさと、祖母に回復を諦められている事実を突きつけられた衝撃

 

ねえおばあちゃん、わたしが1番、続くと思ってたんだ。

次は丸太町の美味しいお蕎麦屋さんに行く約束だったよね。

それとは別にさ、わたしはあの日、一気に全身不随になった日の2週間後には、友達とスイーツを食べに行く約束をしてたんだよ。

いつまでも日常が続くと1番思っていたのは、わたしなんだよ。

そうしてわたしは、筑前煮が嫌いになった。

支え続ける人間の方が圧倒的

病気のつらさは本人にしかわからない。

けれど「病気の本人」は世界にたった1人しかいない。

だから世の中は、病気に苦しむ人を支える人が圧倒的多数になります。

病気は決して美談ではないのに、病気に苦しむ人の傍にいた人の話は美談になります。

それは、病気に苦しむ人が圧倒的に多いため、共感も多く集まるから。

けれど、

「こんな状態の人を今まで世話してきたなんてすごいね、大変だったね」

その周りの人へ向けられる賛辞が、共感が、

病気に苦しむ本人を追い詰める

 

「こんな状態の人」って何?

忘れてるかもしれないけど、病人だって障害者だって人間なんだよ。

1番つらいのは本人なんだよ

それを差し置いて、「今までよく頑張ったね」とも言わないで、世話した人の方を美化する。

だから病人や障害者への差別はなくならない。

1番苦しんでいるのが本人だと周りが気づかない限り、世間が気づかない限り、周りを褒め称える風潮をやめない限り、病人や障害者は社会のお荷物と思われる。

それが、わたしは悔しい。

病気や障害に苦しむ本人たちが「苦しい」と声を上げたところで、「支える方が大変だ」と思われることが悔しい。

支える方が圧倒的に多いから、賛同が多いことが悔しい。

もう散々病人や障害者はお荷物なのかとか死ぬべきなのかとかの議論をしてきたので、これ以上は書きませんし疲れてきたので書けません。

ただもう、これ以上、1番病気や障害に悩み苦しむ本人を安易に傷つけることはやめてほしいのです。

そんな社会は終わりにしてほしいのです。

誰もが迷惑を掛け合って支え合って生きていることを思い出してほしいのです。

自分の生活と他人の世話、ではなく、誰もが自分と他人の世話を、形は違えどしていることに思いを巡らせてほしいのです。

これは、わたしと祖母の話。

されど、わたしと社会の話。

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まぁるいせかい管理人
haruka(はるか)

多発性硬化症+名前も研究中の希少難病などを併発した20↑歳女子。仕事は小説家とライターとカウンセラーと極秘。福祉用具開発プロジェクトの成功☆
嫌いな人間と一緒にされるのが嫌で人間をやめた。
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