「その行為に生産性などないのに」
「もう嫌だ!」
少年は叫んだ。いや少女かもしれなかった。
ともかく年端のいかない、いたいけな顔をした、1人の、子供とも大人とも言い難い人間は叫んだ。
何が嫌なのか。それは言わなかった。ただただ「もう嫌だ」と叫んだだけだった。
崖の上。絶景好き、あるいは崖マニア、またあるいは自殺願望者の間では至高とされている東尋坊の先端で、その何者かは体を大きく前へと折り曲げて絶叫した。
曇天。時化(しけ)が強く、寄せる波は崖を切り崩そうとしているかのように迫りくる。
天気が優れないからか、他に観光客らしき人影はない。地元民もいない。だからこそ絶叫できた。人目もはばからずに叫ぶことができた。
少年あるいは少女の頭の中では、様々な事情が駆け巡っていた。
それは撚り糸のように長く多く、駆け抜けたと思わせて別の思考の糸と絡まっていく。
脳みその形を模するかのように、もつれた思考の糸は存在していた。
――そう、存在していた。
目には見えない。だが確かに存在していた。
そして少年あるいは少女が思考停止するその時まで、その糸の固まりは存在し続けるだろう。
糸の1本1本はとても煌びやかだ。鮮やかな赤色。発光している。
手に取ろうとするとすり抜けていく。それでも重力に従って垂れ下がり、別の糸にすくい上げられていく。
助けることはできない。思考は思考でしかすくえない。掬えない。救えない。
だから少年あるいは少女は叫んだ。「もう嫌だ」
思考を止めること。それは自身を救うことを放棄することだ。それでも思考を止めたかった。
1度走り出した思考は自身の意思を離れ、プログラミングされたコンピューターがネットワーク回線を伝うように機械的に進んでいく。そしてファイアウォールで立ち止まる。
悩むのだ。
「これは破っていいものか」
「これは破れるものなのか」
少年あるいは少女はひたすら破り続けた。拡散するネットワーク回線をすべて走り続けた。
迷うことなく複雑に入り組んだ道を折れ曲がり突き進み、そうして得た「天才」と言う称号と「機械のようだ」という冷笑。
山登りをするようでも、ましてや 崖登りをするようでもないぶかぶかでアイロンのかかっていない皺だらけのシャツにウォッシュドブルーのジーンズという出で立ち。場違いにも程がある。
その中身、隙間から見える手首足首は白く細く骨が浮き出ている。首も骨ばってはいるが、喉仏の有無ははっきりしない。第二次性徴を迎える前だろうか。
顔は整っている。整っているという印象しか与えない程に整っている。
強いて言うなれば、普段は勝気に開かれている大きな瞳には、今日は涙が滲んでいた。それだけだ。
ショートヘア。ボブカット。手入れしているのかしていないのか定かではないが、強風に煽られてなびく髪は艶やかだ。
しかし女子と断定できるものでもない。
――中性。
そんな言葉のよく似合う人間だった。
そう、人間だった。
少年あるいは少女――he/she(ヒー/シー)は、間違いなく紛うことない人間だった。
悩み苦しみ、こんがらがる思考を振りほどくためにとさらに思考する人間だった。そして機械扱いに傷つかないほど大人でもない、感情をもつ人間だった。
he/sheは天才だった。誰もがそう呼んだ。he/sheの脳内で繰り広げられる思考と、それがアウトプットされた現実に対してそう呼んだ。
he/she本人を見る人はいなかった。だから叫んだ。
「だから」という理由だけでは片づかないほどにこんがらがった思考を整理するために。
いや、何も叫んだ理由はそれだけではないかもしれない。本人もわかっていないかもしれない。それほどまでに、何もかもが不明瞭だった。
「行き詰まる」と人は言う。
間違った使い方では「煮詰まる」とも言う。
he/sheは行き詰まっていた。
1つのデバイスから広がっていくネットワークの糸を手繰り寄せても、別の糸へ移っても、求める答えは見つからなかった。
「なぜ生きているのか」
単純かつ何百何千何万通りも、もしかすると何億通りもある生きる理由について、he/sheの思考は止まって潰えた。
「もう嫌だ」と叫んだ。
そこには生きることを強制されることも含まれているだろう。天才として生きることも含まれているだろう。期待に応えるという重責から逃げたい気持ちも含まれているだろう。
すべてを内包した、心からの叫びだった。
「もう嫌だ」
すべての痛みと苦しみを自身に集めて、彼女あるいは彼は飛び込みたくなった。
思考の海へ。糸の海へ。意図の海へ。海へ。