難病患者同士、あるいは病名の決まらない者同士で話していて感じることがあります。
それは「自分の病名が決まること」への意識の違いです。
難病と病名不明の通告時
医師から難病か病名不明か告げられたときの反応をまずご紹介します。
難病や病名不明仲間さんはおわかりのはずですが、自分と違う反応かもしれないのでぜひ読んでみてください。
難病だと言われたら
原因不明、治療法は確立されていない。
そんな病気にかかっていると宣告されたとき、こんな反応をした人がかなり多いようです。
いつか出る新薬やいつか試せる治療法に期待を寄せて、ただ悪化していく自分を見つめながら、「諦めるな」という周囲の声に応えるように自らを奮い立たせるほかありません。
絶望と期待がない混ぜになるのが、病名が難病だと決まったときです。
病名不明と言われたら
原因も症状も対処法も、もちろん治療法もわかりません。
症状と対処法は手探り、治療法は人体実験のように試しては次、試しては次の連続。
病名に対する意識
そう長年「病名不明」と言われ続けた人は言います。
しかしそれでも「この病気じゃないのか、あの病気じゃないのか」と、ふとした瞬間には考えてしまう人は多いようです。
難病でもつらくない?
「難病はつらい」と主張すると
と言い返されることがまあまああります。
ただこういう方々に共通しているのは、「難病だから、解明されていないからこその苦しみを味わっていない」ということでしょう。
もちろんその人の人生すべてに付き添ってきたわけではないので詳細はわかりかねます。
ただ自己紹介を伺い会話をしている限りでは、障害が軽度であったり、そもそも障害がない場合が多々あるのです。
こうした人たちを含め、わたしは「難病なんてまだ解明されていない病気って言うだけだよ」と主張される人に伝えたい。
病名がわかったときの反応
病名が決まった場合の反応は個々人でかなり異なります。
嬉しく感じる人は「あーこれでやっと治療法がわかる」「治療ができる」という人です。
治療法がわかっていたり、難病でもある程度対処できたりする人に多い傾向があります。
つらく感じる人は、治療わからない人。
どうしようもなく途方に暮れます。
周りのすべき対応は?
医療者を含め、そうした未知のものと日々闘う患者の周りの人は、患者自身の考えていること、感じていることをしっかりと聴いて汲み取ってあげる必要があると思います。
聴いて汲み取ってくれると、とても嬉しいのです。
以上、難病と原因不明の希少病の解析を待つ身としての、お願いを含めた思いでした。
つらいのは難病だけじゃない、お前だけじゃない、なんてわかってる。
でもそれでもつらいと思う。
その気持ちをわかろうとしてあげないとコミュニケーションは断絶します。
それを同じ闘病者にも医療者にも、どちらでもない人にも知ってほしかったのです。
ご覧くださってありがとうございます。