広告
広告

徒然日記:産婦人科冊子と出産プランニングと色々で絶望して泣く話

通院記録

自分のパソコンのIPアドレスだけ弾かれているとわかった今日から、例年通り「今年のことは今年のうちに」スタイルでパソコンを借りつつ投稿が増えます。ごめんなさい。

わたしは今、世間でいう「マタニティブルー」にあります。

自分は親に向いてないかもしれないと思っては大丈夫だと思い直して自己暗示する日々がまだまだ続いています。

けっこうな頻度で情緒不安定ななか、とりあえず急ぎの作業だけ、手がつけられればつけられない日もあります。

そんな2週間前、病院から「両親学級」の案内をされました。

なぜか1冊限定の両親学級冊子

両親学級はご時世をかんがみてZoomで行うということでした。

ただ「Zoomで使うから」と渡された冊子は1冊。

その日にはもう家に帰っている旦那と、里帰り出産のわたし。

「2冊もらえませんか?」と言うと「1冊しか配れないきまりなので……ただお母さんが持っていればいいですよ」と言われました。

はるか
はるか

このイクメン推奨時代に、なぜ。

とは思ったものの、この段階では絶望していません。

問題は中身でした。

圧倒的に自分には関係のない「出産・育児」本

妊娠20週で渡すものらしいその冊子を、わたしは20週を超過してから渡されました。

はじめの数ページは「妊娠15週までの流産の危険性」

>たぶんこの冊子を渡す段階でみんな15週は過ぎてる。

次に「妊娠中の妻への夫の日ごろのスキンシップ」

>旦那がそばにいる前提…。

「自然分娩の流れ」

>帝王切開についての記述は一切なし。

「赤ちゃんのための妊婦体操」

>一番簡単なものですら、わたしにはできない。無力感。

「授乳の仕方」

>唯一関係があった。

「沐浴の仕方」

>わたしは体温が上がると痙攣するか力が抜ける体質なので、沐浴など力の必要で温かい場所にいなければならないことは旦那にしてもらうことにしています。

>だからといって絶対にわたしはやらないというわけではないけど、頻度はきっと旦那のほうが高くなる。

「復職の時期」

>戻るような職は、ない。

 

わたしには関係ない。

わたしにはできない。

無力感と悔しさに打ちのめされて泣きました。

わたしはこんな、世の中のお母さんが当然にやっていることができないのか。

「ほぼお母さんがやることなので」って渡されたのに、わたしがやること、やれることはほぼほぼ書いてない。

むしろ旦那が持っていたほうが良い気すらしてる。

でも「入院時に持ってきて」って言われたから、旦那には渡せない。

きっと旦那のほうが必要な本なのに。

どうしてこんなに何もできないんだ。

また破水疑いのなかで、やっぱり今日も打ちのめされる。

 

帝王切開に決まった話

わたしの出産は、脳神経内科の主治医と産婦人科の主治医との間で帝王切開に決まりました。

主治医
脳神経の主治医

君の痙攣は硬直が多いから、痙攣したって産まれた赤ちゃんを踏み潰すことはないだろう

と言われていましたが、やはりリスクの少ない帝王切開を選んだそうです。

ただ現在は

主治医
産婦人科の主治医

麻酔科の先生と相談中だけど、腰からの麻酔を使えないようならうちでは手に負えない

と言われていて、入院予約はしたものの本当にこの病院で産めるのかは保留中です。

 

同じ出産なのに「帝王切開だと出産一時金は下りないかも」

自然分娩も帝王切開も同じ「出産」のはずなのに、帝王切開では出産一時金が下りないことがあるそうです。

出産費用、約50万円。入院費は別。

一時金が下りれば実質負担は8万円。

だけれど帝王切開は、下りないかもしれない。

同じ出産で、少子化対策にとても貢献していると思うのだけど、なぜ。

疑問がどうにも晴れません。心配は募るばかりです。

下りるか下りないかで、この先この子がどんな水準で暮らせるかが変わる。

産まれ方から人生を左右される。

それに、帝王切開はわたしが望んだことじゃない。

望んでいない病気にかかって、望んでいない症状で苦しんで、予防的に選ばれた帝王切開。

他人の判断で、これからの生活が変わる。

他人に左右される人生が、わたしはとても怖い。

 

障害者ってだけで出産の最終決定権もサポートもない

思えばこの子を産むと決めたときも、「産む産まないの話なら産みます」と答えたわたしに返ってきたのは「産めるかどうか神経内科の主治医に聞きます」でした。

わたしと旦那の子どもなのに、最終決定権は医師にありました。

もちろん母体優先の原則は承知しています。

それでも、この子を産みたいと思ったわたしの気持ちは。

この子を産んでほしいと思った旦那の気持ちは。

医師の判断で左右される。

 

そして障害者の子どもへの支援もありませんでした。

相談支援専門員さんとお話ししましたが、

7
相談支援専門員さん

障害者支援となると障害者本人への支援になるので、障害者の子どもへの支援は現状、実費でどこかにあるかどうか…

と言われました。

この国では障害者が子どもを産むことについて、難病人が子どもを産むことについて、考えられていないのだなと感じました。

優生思想の名残かもしれません。

 

たぶんこんなことを言えば「一人で育てられないのに子どもを産むな」と言う人もいるでしょう。

ただわたしは「旦那と二人で」育てる前提で話していて、もし旦那がいないときにわたしの手から離れてしまったら…という「危険予知」の話をしています。

支援をあてにした子育てではなく、子どもの危険性をできるだけ下げるための話をしています。

そこは勘違いしないでほしいところです。

 

妊娠してから障害等級の上がり障害名も変わったわたしは、自分の手足の能力に自信がなくなってきました。

相当回復していたのに、今の移動はすべて車いすです。

腹筋の筋トレもできないので、長時間座るのもつらくなってきました。

そんななかで、どうすればいずれ活発に動くだろうこの子を守れるか。

どうすれば、どこまでリスクを下げられるか。

周りの環境を整えようとするのは、障害がなくても当然やることだと思います。

でも現状、この子の環境を良くする方法が見当たらない。

わたしがつきっきりで寝ずに世話をするしかない。

それをすれば、わたしが倒れる。入院する。本末転倒。

世のお母さんには「甘っちょろい」と怒られそうだけれど、でもわたしには、保育園や幼稚園へ連れていく能力も、現状ない。

子育てに活かせるように保育士の資格は取ったけれど子育て初心者なのは変わらないし、わたしがずっと見ていたら、この子が小学校に上がるまで同年代と遊ぶ機会がなくなってしまう。

なんにせよ、とても不安だ。

 

不安要因が重なった情緒不安定

こうしてたくさんの心配や不安が重なると、考えすぎはよくないと言われたところでやっぱり考えてしまうし情緒不安定になってしまう。

そこでやってきた父からの「もういいや(お前と話すことはない)」連絡。

わたしは頼りたいときに頼らせてくれない、逆に甘えてくるのは、親じゃないと思っています。

余裕があるときにだけかまってくれるのは、愛玩動物かそれ以下の扱いだと思っています。

わたしはもうすぐ親になるけれど、父の親ではないから。

父を支えるのはもう奥さんの役割であって、小学生時代からのわたしの「母親代わり」を求められても、もう困る。

わたしは別の家庭をもつ人間で、今は絶賛しんどいど真ん中だ。

過去が絡むだけに簡単には言えないけれど、わたしがわたしを生きるために、父や母のご機嫌伺いはもういらない。

旦那と、もうじき生まれる子どもがいる。

自分の家庭を最優先にするのは、「親を捨てた」のではなく「親離れした」「自立した」だけだと思います。

 

今はグズグズメンタル渦中に放り込まれた爆弾を処理して気持ちを落ち着かせている最中ですが、落ち着いているときはこう言えるのに、突然「マタニティブルー」が重なって来てはもう絶望して自殺したくなるのが厄介なところです。

できればこの不安やら苦しみやらがこの子に伝染しないようにと、祈る日々が続いています。

「大丈夫、この子は強い子だ」

それは本当にそう思っているときもあるけれど、自己暗示のときもあります。

そんな弱さをもつのもわたしだけれど、そんな弱さをもつわたしが、今はとても、悔しい。

広告
まぁるいせかい管理人
はるか

考察家。作家。開発者。多発性硬化症+希少難病+先天性心臓奇形などをもつ障害者。病歴や薬歴は多すぎるので管理者情報参照。今までにないものを創るお仕事。京大医学部を病気により中退。ケアストレスカウンセラー、保育士などの資格をもつ。

#haruka(はるか)をチラ見してみる
コメント
通院記録
他の人にも読んでほしいなと思ったら
#haruka(はるか)をチラ見してみる
はるかのせかい
広告
タイトルとURLをコピーしました