広告
広告

「テイルズオブシンフォニア ラタトスクの騎士」を多重人格者がプレイするとわかりみが深すぎた

回想・日記

「テイルズオブシンフォニア ラタトスクの騎士」はバンダイナムコから発売されたテイルズオブシリーズのうちのひとつであり、テイルズオブシンフォニアの続編。

わたしはその「シンフォニア」のほうはまったくプレイしておらず、古本屋で初めて自分で買った「ラタトスクの騎士」に惚れて、数年前に中古ゲームソフト(Wii)を購入……したけれど、一切プレイできないまま、ようやく5日ほど前に手をつけられた。

すると主人公の弱気な疑似人格少年・エミルと、戦闘中モードであり本来の性格・ラタトスクとのやりとりにめちゃくちゃ自分を重ねてしまった。

まだプレイ中なのだけれど、どういう場面でどういう自分を重ねたのか、解離性同一性障害者として知ってほしいと思ったので、

というかどこかに書かずにはいられなかったので、ここに記したい。

これは、わたしと、俺が、懸命に生きた証だ。

 

ラタトスクの騎士

ラタトスクの騎士のゲームストーリー自体はテイルズオブシリーズのなかでもかなり恋愛色が強く、のろけすぎて目を背けたいというか気恥ずかしくなる要素が多々ある。

あらすじ

一応公式よりあらすじを。

シルヴァラントとテセアラ
かつて天の意向に、より二つにわかれていた世界は、
ロイドたちの活躍によって、あるべき姿を取り戻した。
そして、遥か昔に滅んでしまった大樹カーラーンの代わりに、新たな世界樹が誕生した。

これが、神子コレットによる世界再生である。

一つとなった世界は、新たな時代へ進みだそうとしていた。

だが、世界が一つになったことで、新たな混乱ももたらされた。

大陸の大移動によって、今までの地図は機能を失い、
自然環境は大きく変化した。
砂漠化した街に突然降る雪。枯れた湖。
それは世界地図の変化による、自然環境の変化の一環だと考えられた。
しかし実は、それらは世界統合とは別の要因によるものだったのである。

その鍵を握るのは、かつて大樹カーラーンの精霊であった「ラタトスク」である。
ラタトスクは世界に大きな影響をもたらす存在なのだが、
現在はなぜか眠りについた状態にあり、そのために自然界のバランスが乱れているのであった。

また、自然環境だけでなく、そこに住む人々の間にも変化は訪れていた。
かつて繁栄世界であった「テセアラ」と、「衰退世界」であったシルヴァラント。
明らかに文明レベルの違う二つの世界が、突然一つに混じり合ったため、
衝突することも少なくない。
テセアラの人々はシルヴァラントの人々を見下すようになり、
シルヴァラントの人々は、そのような世界を生み出した「再生の神子」と、
彼女を擁立するマーテル教会、そしてテセアラ人に対して反感を覚えるようになっていった。

世界再生から二年。
異常気象は未だ収まらず、人々の心に不安を植え付けていた。
そんな世界で、とあるレジスタンス組織が勢力を伸ばし始めていた。

その名は、シルヴァラント解放戦線「ヴァンガード」
反テセアラ、反マーテル教会を掲げ、虐げられたシルヴァラント人を
守るために組織された団体である。

当然のことながら、ヴァンガードとマーテル教会の対立は避けられなかった。
そしてついに、大規模な衝突が起こってしまう。
マーテル教会が「神子への反逆罪」をの名目により、
パルマコスタで集会を開いていたヴァンガードを武力制圧したのだった。
罪もない多くの人がまきこまれ、パルマコスタは炎に包まれた。

これが「血の粛清」であり、首謀者は、マーテル教会の「ロイド」とされている。

 

エミルとラタトスクの二重人格

けれどわたしにとってこのストーリーはあまり重要でなく、

  • 実は精霊ラタトスクはヒロイン・マルタの呼び声により覚醒しており直前に殺した「アステル」という若い研究者の姿で顕現したものの、ラタトスクとしての記憶がなく
  • その場で瀕死の女性から呼ばれた「エミル」を名乗り、社会適合するための人格「エミル」で過ごしていたが
  • マルタと再会し旅をするうちに記憶を取り戻し、精霊ラタトスクとしての自覚をも取り戻していく点

がとても重要だった。

つまり弱気なエミルと、強気なラタトスクの二重人格状態だ。

 

心が痛かった点

今のわたしはまさにこの状態で、内気で人を信じやすいはるかと、自分に絶大な自信があり他人を軽んじるしのんとの二大人格でよく入れ替わって過ごしています。

「どのタイミングでどっちになるか教えて」とも言われるのですが、それがわかればわたし・はるかも苦労しません。

もちろんしのん側も苦労しないでしょう。

 

ただこのゲームをプレイしていて、まだ途中ですが何度も泣いています。

そこをいくつかご覧いただきたい、いや見なくてもいいから自分が書いておきたいと思うのです。

 

お前では守れない

しのんによく言われるのです。

「お前はひとを簡単に信用しすぎる」
「信用するから傷つくんだ」
「信用しなければ傷つかないのに」
「他人を信用するな」
「所詮頼れるのは自分だけ」
「お前では誰も守れない、救えない」

 

わかってる。

わかってるんですよ。

 

アンブローズ・ビアスは彼の著書で「希望」を「絶望の始まり」と定義しました。

あれを読んだのは高校のときです。

おそらくしのんはもう誕生していた頃です。

 

新薬のこと、難病のことだってそう。

4月に出ると言われていたのに新薬承認はどんどんコロナのせいで遅れて、7月と言われていたけどまた遅れて、もう期待しないほうが楽だとわかっているんです。

 

でも、自分のことは諦められても、他人を信じることだけはどうしてもやめられなかった。

やめられない。

それが誰も、自分すら守れない、救えないとしても、どうしても信じて、また傷つく。

 

ゲームでは「お前ではマルタを守れない」とヒロインに発揮される優しさ。

それをしのんはわたしに対して発動している。

究極の自己愛だとはわかっています。

わたしの味方がいなかったがために、人格まで生み出して自分の中に味方をつくった。

精神神経科の先生は「痙攣の痛みから逃げるためじゃない?」と解離性同一性障害になった理由を推測しましたが、それ以前から離人感にはじまる症状を抱いていたわたしはこの病気になった理由を推察しています。

 

エミルを返して

 「お前では守れない」とラタトスクでいる時間が長くなったとき、キャラクターは口をそろえて「ラタトスクモードが長い」「エミルを返して」と言います。

ラタトスクの性格はおおよそ社会適合できるものではなく、俺様で自由人?で、人命をなんとも思っていない、ただマルタを守るためならなんでもする戦闘狂です。

マルタの身を守るためなら、平気で心を傷つけます。

 

言ったら怒られるんだろうなと思いますが、少し、いやかなり、しのんと似ています。

 

わたしを守るためならば容赦なく他人を傷つける。

その先を考えることはない。

自分がよければすべてよしの俺様。

口調が荒いところまで似ていて、ゲームを始めて正直驚きました。

残念ながら外見はわたしと同じなので、金髪赤眼のイケメンではないのですが…笑

 

ただしのんも自覚しているようで、「俺の性格は受け入れられない」と断言しています。

社会適合するためにはわたしのほうが向いています。

 

ただしのんは社会適合する必要性を感じていません。

自分がよければすべてよし、社会を気にする必要がどこにある?です。

それは、わたしが困ります。

 

だから「エミルを返して」の台詞にしのんが感じた切なさも、とてもわかってしまうのです。

そのあとに続く「お前まであいつを選ぶんだな」も「俺が邪魔なんだろ」も、誰が表に出て活動するかの人格派閥争いを毎日繰り広げている身としてはわかりみが深すぎて地球の裏側のみなさんこんにちは的な、とにかく心にぐさりと刺さります。

それはしのんも同じだったようで、普段遮断されているそれぞれの感情が流れ込んでくるほど強烈でした。

 

だからといってわたしがそこまで、エミルのように「返して」と言われるまで必要とされているかといえば、

いや、必要としてくれている人が一部いるのはわかるんですけれど、それはとてもありがたいんですけれど、

実母に「生まれてきてごめんなさい」と謝らされて、縁を切って、戸籍まで変えて、それでも電話がかかってきたと思えば保険料と携帯料金の話で。

またお話しする機会があればとは思いますが、幼い頃から将来の夢をことごとく潰されて育って、それでも

「育ててやった。自由をやった」

と言われてしまえば、自分を認めることなど到底できそうもなくて。

 

ラタトスクは言います。

「あの弱っちい豚野郎(=エミル)が」

しのんは言います。

「あの弱っちいガキ(=わたし)が」

 

「エミルを返して」は、しのんもわたしもかなりショックを受けたリアリティ溢れる台詞でした。

 

嫌なことをぜんぶ俺に押しつけてな

戦闘シーンで駆り出され、危機に陥ると「助けて!」とエミルに呼び出されてたったひとり戦い続けてきたラタトスクは、ヒロイン・マルタの「エミルは怯えながらでも助けてくれた」という台詞に怒りながら「嫌なことをぜんぶ俺に押しつけてな!」と返します。

 

実はこれ、最近わたしがしのんによく言われる台詞でもあります。

 

たったひとりの味方だもん、自分のうちのひとりだもん、頼ってもいいじゃん……

 

その甘えた心で、わたしはひたすらにしのんに嫌なことを押しつけてきました。

ストーカー対応とか、施設との契約の話とか、戸籍に関わることも一部押しつけました。

 

もちろん体はひとつなのでわたしの体が動いていることには変わらないのですが、いかんせん中身はわたしではありません。

別の性格をもつ、わたしとは服の好みすら違う、味の好みすら違う、しのんという「別の人間」です。

 

1番わかっているはずのわたしが、彼の気持ちを尊重していなかった。

彼はいつもわたしを尊重してくれていたのに。

 

だからなのか、最近わたしの活動時間は1日に2時間ほどしかありません。

それは文章力が必要な仕事をこなしていれば消えます。

ほとんどがしのんです。

 

ストーリーが終盤に近づくにつれ、ラタトスクになっている間のエミルの記憶はなくなっていきます。

わたしは逆です。

しのんの間の記憶はほぼなかったのですが、最近は動いている自分を遠くから見ているような、同じ視点か異なる視点かはそのときどきで異なりますが、共有することが増えました。

できていなくても探れば映像が再生される形で知れるようになりました。

 

だからといってしのんに任せていることには変わりなく、嫌なことをしのんに押しつけてわたしはのうのうと生きていることには変わりありません。

 

「嫌なことをぜんぶ俺に押しつけてな!」とラタトスクが言ったとき、脳内でしのんの声とシンクロしました。

 

ゲームと現実

ただゲームと現実はまったく違って、

ゲームでは2つの人格を認めてもらえます。

現実ではそんなもの認めてもらえません。

 

病気への不理解と混乱と

「暴力性はないの?」と尋ねられました。

あります。しのんに攻撃性がないとはとても言えません。

わたしを守るために必要と判断すれば容赦なく他人を切り捨てるし、わたしに対してもときに「ふざけんな」から始まる説教をしてきます。

内容はさまざまですが、毎回ぐうの音も出ません。

 

「多重人格」だと犯罪もののドラマや映画も多いので、怖がって当然でしょう。

「はるかなのにはるかじゃない」なんて、接し方に困って当然でしょう。

当然、だとわかるから、誰も責められない。

つらいと言えない。

「あんたのその腫れ物に触るような態度が嫌だ」と言えない。

医学知識をもっている人からしても、よほど精神医学に通じているか同じような人に出会ったことのない限り混乱するだろうと思うから。

 

入院すると同病:多発性硬化症仲間によく出会います。

その人たちでも、医療現場に携わっていない人や医学知識のない世界で生きていた人でない限り、病名ではなく「難病」「治療がない」と聞いて始めて絶望したそうです。

わたしの出会った人たちはもれなく卒倒・昏倒していました。

 

それとよく似ているなと思うのです。

 

たぶんこれは、なった人でなければわからない。

危険性の説明ができないこと。

別の人格は自分でないこと。

意思疎通が取れるかどうかは人格によること。

 

最近現れたしのんでもわたしでもなく、意思疎通も記憶の共有もできない人格。

 

それが誰かなどわからずに1番混乱する自分自身を、責められるがゆえに自分でも責めてしまう、このつらさ。

 

はるかははるかであればいい

「あんたはあんたでいいんだよ」と言われると、そっか今のままでもいいのかと思えます。

ただその「あんた」が誰を指しているのかは、いかんせんアイデンティティが拡散しているためわからないのですが。

 

「ありのままでいいんだよ」と言われると、ひとつの人格としての自分を、自分たち人格たちを、そして分かれた人格をもつ自分という存在を、素直に認めてもらえたような気がします。

 

でもよく言われるのは「はるかははるかであればいい」もしくは「はるかが残ればいい」「他の人格とのやり取りは自分のなかの問題だから勝手にして」、そして「人格統合しなさい」です。

 

「はるかははるかであればいい」にここまで残酷さを感じたのは初めてでした。

 

わたしがわたしであることは、がんばればできなくはない。

統合しようとしなければ、それぞれ別人として暮らしていける。

 

けれどわたしたち、特にわたしとしのんは常に相互干渉しているし、統合しようとすれば凄まじく干渉してしまう。

 

しのんはどうやらブレない。

でもわたしはブレる。

それは「自分軸」とかいう最近出てきた意味ではなくて、わたしが他人の人生も救うことを目標としているから。

 

圧倒的に楽なのは「自分軸で生きる」です。

自分優先、自分大好き、自分がよければすべてよし。

これはとても楽な生き方です。

こう生きるようよく指導されるのですが、実践してきたし、しのんはそういう生き方なので言われるまでもなく体験として知っています。

 

でもわたしが選んだのは「他人の人生にも関わる」生き方です。

 

それを容赦なく踏みにじっては「ひとりになれ」とか「他より強くなれ」とか「楽に生きろ」とか云々、本当にうっせえわです。

わたしはあえて、あえて苦しむ道を選んでいるのに。

 

「接し方に困るから」とか「いきなりはるかなのにはるかじゃないとか言われても受け入れられない」とかいう理由でごちゃごちゃ言われたら、そりゃしんどいですよ。

しのんに頼りたくもなります。

「だってあんたが望んだのはこんな生き方をするわたしじゃないか」ってなります。

そのくせしのんでは許さないとか、ふざけんなってわたしが言いたいです。

 

しのんのときのほうがわたしは楽なんですよ。

他人の人生の苦しみを分かち合う必要なんてなくて、深く考える必要もなくて、文章力はないし卵も左手ひとつで割れないけれど、それでも生き方としては楽なんです。

だからもういっそ、しのんと交代しようとしたのに。

 

エンディング

攻略サイトで結末を見てしまいました。

最後はエミルとラタトスクとで戦うそうです。

 

後発の「テイルズオブグレイセス」では主人公が悪役を取り込みともに生きる選択をするので、今回もきっとそうなるのかなとは思っているのですが、

現実はそこまで甘くないです。

 

わたしとしのんが戦ったところで無意味、というか、

わたしのほうは存在否定されすぎてそもそも生きる意味を感じていないんです。

もし戦ったとしたらしのんが勝ちます。

別の人が勝つ可能性もありますが、今の二大人格はわたしとしのんなのでここでは考えません。

 

でもしのんが主になってしまえば、最初は性的違和です。

一応女の子ではありながら、一人称は「俺」であり恋愛対象は女性。

性的違和はわたしも幼い頃からあったので、そこは否定しません。

ただしのんに変わればわたしの「婚約者と結婚する」幸せは叶わないわけです。

 

だからわたしも「しのんを取り込む」選択をしようと思いました。

でもしのんは強すぎました。

自分がどんどん侵食されていくのを感じています。

 

一人称は「俺」に変わりつつあり、家族の前では繕うのに必死です。

わたしとしての行動時間も少ないのでそこを伸ばそうとして努力してみたら、今陥っているのはしのんとわたしの二重意識が反発しながら頻繁に切り替わりながらぐっちゃぐちゃになっている状況です。

正直何を書いているのか、あまりわかりません。

つらい。それしか言うことがない。

ここ最近で何度死にたいと呟いたことか。

 

誰も統合した後のわたしの面倒なんてみないくせに、勝手なことばかり言う。

 

わたしはわたしとしての限界を宣言します。

わたしがわたしとして生きていくために人格統合は必要かもしれませんが、それは今のわたしには無理です。

ゲームのようにレベルアップしたところでできる確証もなく、

そもそもわたしはその必要を感じない。

 

いやもちろん困るけれど、かなり困っているけれど、でもやっぱりさ、

心のなかにひとりくらい味方がいてくれたって、わたしは良いと思う。

 

先日本を購入してくださったみなさま、直接お礼を言えず申し訳ございません。

なかなかわたしの時間内にTwitterを開いて返答できない状況にあります。

変わっていく自分に戸惑っている最中で、余裕もありません。

いつもお気遣いくださる方も、ありがとうございます。

近いうちにまた、きちんと時間を取れるときを狙って改めてお礼を言わせてください。

こんなただの愚痴と叫びを聞いてくださってありがとうございます。

解離性同一性障害すべてがこんなことにはなりません。

あくまで一個人の感想です。

そこはどうかご理解いただければと存じます。

広告
タイトルとURLをコピーしました