「今は歩くリハビリはいいから、痙攣おさえることに集中して」
そう誰に言われたのか、直近のことなのに覚えていないけれど、
外に出る
できれば10mダッシュする
最近始めた「1日1チャレンジ」今の自分のできるかできないかギリギリラインを設定して毎日なにかに挑戦していく活動で、わたしは「歩く」を超える「走る」を掲げた。
腕も脚もガチガチに固めたうえに翌日寝込んだけれど、達成した。
ただ2022年3月14日の診察では、
- 右側腹筋の痙攣の出現
- それに伴う息苦しさ・呼吸困難
を理由に、

悪くなっているのがわかっていて、これ以上減薬はできない。
減薬をとめなかったのは、あくまで「悪影響が出ない範囲で」だから。
と、ついにこれ以上の減薬を止められた。
それでも減薬は続けたいしもっと回復したいと思っている話を、通院記録混じりにしたいと思う。
身体障害者には高すぎる「スポーツ」という行為
そもそもわたしは右脚に全廃:脚として体を支える役割を果たせない宣告を受けていた。
全身不随の後遺症のなかでも右半身麻痺時代の後遺症が大きく、比較的回復して「全廃とは言えないかもしれないな~」と自分で勝手に感じ始めてきた今でも、基本的には右半身麻痺の生活をしている。
喘息の持病もある。
でもスポーツは好きだった。
好きではないけど護身と生存目的だったスポーツ
走れないけど、スポーツは好き。
だから(先天性も含めて)喘息以外の病気が発覚する前は、できるだけ走らなくて済むスポーツ――武道や水泳をしていた。
それはわたしの意思ではなくて「護身」と「生存」を考えた父親の意向で、当時はあまり好きではなかった。
ちゃんと好きで健常者時代には打ち込んできたはずのスポーツ
わたしは喘息に加え、母()から受け継いだ運動音痴もあり、野球やサッカーなどの有名どころはまったくできなかった。
とても苦手だし、観戦は好きでもやるのは嫌いだと自分でも断言できる。
でもテニスは人並みにできたし、バドミントンは本気勢にこそ勝てなかったけれど人並み以上にはできていた…と思う。
少なくとも体育では負けなかった。
自分から進んで選んだ高校の部活は剣道で、下手だけど何回かは勝てた。
今でもやりたいと思う程度にはまだ好き。
ただ不思議と、1番好きなのは習ったことも部活に入ったこともないバスケットボールとバレーボール。
高校のときの球技大会ではMVPを取ったこともあった。
- バスケでは、センターラインからドリブルしてレイアップシュートを決めること
- バレーでは、セッターとしてトスを上げること、2アタックすること、フェイントすること
走れないけど、サーブ以外はそれなりに得意だったし、何より競技自体が好きだった。
健常者の頃の好きなスポーツは身体障害者にとって高度すぎた
競技自体が好きなのは、身体障害者になった今も変わらない。
どちらも、どれも好きで、機会があればまたやりたいと思っているし、なんなら機会を作ってやろうと思っている。
そのくらいまで回復しようと思っている。
でも現実問題として「わたし」がやってきた、かつてはできたはずのスポーツは、どれも「右半身麻痺のわたし」には高度すぎた。
【謎の常識】障害者は障害者スポーツをやれ
「バスケをしたい」と言えば「障害者バスケがあるよ」と言われる。
「バレーをしたい」と言えば「それは難しいな」と言われる。
親切な人に出会えば、「代わりにボッチャ(障害者スポーツの有名どころ)はどう?」と言われる。
親切心から言ってくれているのはわかってる。
それが現実的な解決法なのもわかってる。
それでもわたしは、バスケかバレーをしたいんだ。
代替案も却下も求めてなくて、それができるくらいの回復を望んでいるんだ。
ただ、それだけ。
わたしは、障害を負う前にやった、あのスポーツがやりたいんだ…!
なのにその心情は、あまり理解されない。
片麻痺で車椅子バスケはできない
障害者用の車椅子バスケは、手が使えることが前提にある。
そもそもバスケは手でボールを扱う競技。
だから手は使えて当然。
じゃあ片麻痺ならどうすればいい?
一応、片手で漕げる車椅子もあるにはある。
けれど「ある程度」片方の車輪にもう片方が連動してくれるだけで、競技で使えるほどのスピードは出ない。
それに車椅子を漕いで片手が塞がったら、ドリブルができない。
車椅子バスケはできない。
片麻痺でできるスポーツは障害者スポーツへ限られていく
飛んで跳ねてが基本のバレーは、脚が不自由だともっとできない。
だから「障害者スポーツを」と言われる。
でも、
- 脚が不自由な人には手を使ったスポーツを
- 手が不自由な人には脚を使ったスポーツを
- 目が不自由な人には耳を使ったスポーツを
不自由なところ以外を活かす障害者用のスポーツはたくさんある。
でも、片麻痺という「縦半分」が使えない障害へのスポーツは、それこそボッチャとかの極端な障害者用スポーツしかない。
「片麻痺」は「もう半分が使える」と誤解されがち
そもそも「片麻痺」はとても誤解されている。
「片方が使えなくても、もう片方は使えるでしょ?」
違う。全然違う。
「筋肉を作用させるには固定筋が必要」みたいな専門的な言い方もできる。
けれどたぶん「完全に片方だけでできる動きはとても少ない」と言ったほうがわかりやすいと思う。
「本当は歩けるんでしょ」の残酷さ
先日ヘルパーさんに色々言われたなかで不愉快極まりなかったもののなかに
「本当は歩けるんでしょ」
がある。
「右脚に体重かけて立てるし、診察室でも動いてたよね?」
診察室内はプライバシー保護的に許可していないのに覗かないでほしいだとか、すりガラスだったら見ていいと思うなだとか、先生の介助ありで動いてたのを「歩いてた」と勝手に勘違いするなだとか、言いたいことは色々あったけれど、
「立てる」と「歩ける」は根本的に異なる
まずはこれに尽きた。
片足立ちにかかる具体的な負担
平均的な体型として、体重が60kgとする。
両足を地面につけて立ったとき股関節にかかる負担は、体重の半分である30kg。
ただ「歩く」ときには、「片足立ち」になる瞬間がある。
よく勘違いされるけど、片足立ちのときに着地している方の脚へかかる負担は、体重分の60kgじゃない。
片足が地面についていない分、上体は傾く。
そのままだと傾いてこけてしまうから、こけないように上体を支える力がいる。
物理用語でいうと「トルクが発生する」。
発生したトルクや元の体重を考えると、着地している方の股関節にかかる負担は単純計算で約150kg。
立つ姿勢の30kgで耐えられるからといって歩くときの150kgにも耐えられると思われては、あまりにもつらすぎる。
片麻痺では両脚とも片足立ちが困難になる
「麻痺して立ちづらい筋肉」や「麻痺した足を上げる難しさ」も含めると、麻痺した方の脚では立つことすら難しい。
「大丈夫な方でケンケンすれば?」と言われることもあるけれど、無事に麻痺した足を上げ続けられるのなら苦労しない。
- 麻痺した方では体を支えきれず、立てない
- 大丈夫な方では立てても、そもそも麻痺した足を上げられない
麻痺側の脚を上げられる人もいるだろうけれど、麻痺のひどい人は上げられない。
しかもこれは脚の麻痺に限った話。
片麻痺は体幹も半分麻痺しているし、バランスを崩したときにナチュラルに役立ってくれる「腕」も麻痺している。
片足立ちって超難しい。
両方とも片足立ちできない以上、必ず片足立ちの瞬間が含まれる「歩く」という動作が片麻痺患者には難しい。
この「片麻痺だと両方の足で片足立ちができなくなる」という点は、悲しいことに本当に理解されない。
「歩く」と「走る」の差はスピードではなく「両脚跳び」
「歩行」と「走行」との違いはスピードでもなんでもなく、ただ「両足とも接地していない時間があるか」で決まる。
- 歩行:両足立ち+片足立ちでの動作
- 走行:片足立ち+両足中空での動作
「走る」動作に必要なのは、片足立ちできる能力と、両足が地面に着いていなくても体勢を崩さない能力。
そして、片足ジャンプする能力。
片足立ちする能力も乏しければ、片足を浮かせるのも厳しい。
そんな片麻痺患者に、片足ジャンプは難しすぎる。
走るなんて夢の世界だ。
でも、
走ろうとしてもいいじゃないか。
夢をみるのはタダだって、たぶん誰か昔の人が言ってた。
夢を叶えるのは努力だって、きっとみんなが思ってる。
じゃあ、
走ろうと努力したっていいじゃないか。
いつか走れるようになるための、いつかスポーツができるようになるための正攻法じゃないか。
これから回復していくための、道標じゃないか。
それを「あんたには無理だから」とか「妥協してこれで」とか言われる意味が、わたしにはわからない。
「走る」課題の理由:だって、走りたかったから
「歩けるでしょ」って言われて「は?ふざけんな」って思っただとか、走るどころか歩くのすら難しいだとか、これまで散々言っておいて矛盾していると思う。
でもやっぱりわたしは走りたかった。
わたしが「走る」を課題にした理由は、とても子供じみた、というか自分でも引くくらいに子供な理由で、
ずるい。
ずるい、ずるい。
みんな「ストレス発散」とかで走ったりスポーツしたりするのに。
わたしはどうして、外に出ることすら、こんなにもしんどい。
歩きたい。走りたい。スポーツをしたい。
ただ健常者にとっては当たり前で、時として苦痛でもあることを、
「身体障害者」というだけで「代替品」を提案されるわたしは、
本物がしたい。
中途障害者だからこその、前にはできた記憶があるからこその願いかもしれない。
でも、わたしが障害者でなければ簡単に叶ったはずの願いだ。
願いすらしなかったかもしれないほどの、夢だ。
「障害」を他人がとやかく言うのは間違いでは?
障害があるからって「できない」と決めつけられると腹が立つけど、「障害があってもできるだろ」って思われるのも腹が立つ。
とてもワガママなことを言っているのはわかってる。
でもパラリンピックひとつ取っても、

障害があっても頑張ればなんでもできるって思えるから勇気をもらえる

頑張ってもどうにもならないことだってあるのに、努力次第で障害は乗り越えられるって思われるのが嫌
いろんな意見があって、わたしはどっちの意見にも賛成できる。
ただこの意見には共通点があると思う。
障害があっても頑張ろうと自分が思うのは良いけれど、障害のせいでできないことがあったときに「努力が足りない」と他人から思われるのは、なんか嫌。
統合するとこんな感じになるんじゃないだろうか。
障害をもっていても努力するかしないかは、障害者本人が選べるものであるべきだ。
他人に強制されることなく、そして諦めを強要されることなく。
やりたいことをやる「当たり前」が叶わない環境で
努力したい人に「無理だ」「諦めろ」と言う。
努力したくない人に「努力すればできる」と言う。
受験でも就活でも闘病でも同じ。
やりたいと思えばやればいい。
やりたくなければやらなければいい。
本人の意思が通って良いはずなのに、もう諦めたいと思えば
「勉強していい学校に行け」
「良い企業に勤めろ」
「病気に負けるな」
「諦めるな」
と努力を強制されて、でも高い目標を掲げればそれはそれで
「お前の頭では無理だ」
「中卒高卒三流大卒ではまともに働けない」
「障害者にできるわけない」
と、その努力は無駄だから諦めろと言われる。
違うと思う。
頑張りたい人には頑張る環境と機会が用意されるべきで、どうにかして諦めさせようとするのは違うと思う。
頑張りたくない人にはもう頑張らなくていい環境が用意されるべきで、どうにかして努力させようとするのは違うと思う。
「わたし以外がわたしのことに口出しするな!」と全力で走った
「自分の人生は自分で切り拓くものだ」とか言いながら、生きてるとなぜか他人の口出しが多くて、もう耳をふさぎたくなる。
だからわたしは走った。
痙攣予防用の2mの弾性ベルト3本で腕と脚をガチガチに固めて
それでも起こる腹筋の痙攣を左手で握り潰しながら
右脚を引きずって
まだ治ってない捻挫の左脚を酷使した、ジャンプとも呼べないジャンプで
目算10m以上進んだ。
5m、筋肉の避ける音がした。
久しぶりに筋線維の裂けた内出血痕ができた。
10m、喘息が出始めた。
昔から走るのは大嫌いだったことを思い出した。
学校体育の3kmマラソンだって、完走できたことの方が少ない。
「運動部のくせに」ってよく言われてたのを思い出した。
2022年3月5日の朝6時。
半袖半パンの真夏の格好で寒さを感じない自分に、戻ってきたと思っていた温冷覚はまだまだだったのだと悟った。
そういえば先日会った人たちも、みんな「寒い」と言っていたなぁと思い出した。
「わたしは全然寒くなかったなぁ」と、感覚麻痺の程度を痛感したのを思い出した。
倒れ込んだ地面はさすがにほんのり冷たくて、気持ちよかった。
喘息でゲホゲホしながら見上げた曇天は、灰色なのに青空な気がした。
咳き込みながら見る空はそんなに嫌いじゃなかったなぁと、運動の気持ちよさを思い出した。
自分の意思を自分が尊重すること
「障害だから仕方ない」と、他人は言う。
「あんたには無理だ」と、他人は言う。
わたしは、いつかわたしをコントロールできると思う。
わたしの体調は、良くなると思う。
良くしようと思って頑張っている今のわたしの努力は、未来のわたしに届くと思う。
だから、邪魔させない。
わたしが「GO」と言えばわたしは走るし、
わたしが「NO」と言えばわたしは休む。
それが今のわたしのルールだ。
もし同じように考えてくれる人がいるのなら、一緒にやってみてほしい。
- 自分がやりたければやればいい
- 自分がやりたくなければやらなければいい
ただこれだけのルールを守ることで、自分の意思を自分自身が尊重してあげられる。
学歴やら職歴やら障害の程度やら、とにかく他人からの視点でいろいろ判断されては本人の意思が蔑ろにされる世界で、わたしはこれを読んでいるあなたに
自分らしく輝いてほしいと願う。
【余談】努力できるときは限られている
昨日、つまり走った翌日、わたしがどんなに目標を掲げたところでわたしの体は「無理」と言った。
丸1日寝込んだ。
掲げた課題はすべて失敗だし、タスクもこなせなかった。
頭皮の発汗でしか体温を下げられないわたしにとって、もはや運動は敵になったことも思い出した。
頭と体は、なかなかうまくいってくれない。
脳が司令を出しても体に伝わらずに動けないのが、わたしの体験した神経難病:多発性硬化症だ。
そういえばうつも似ていた。
どれだけ体を動かそうとしたところで動かないし、どれだけ「動かなきゃいけない」とわかっていたところで動けない。
結局動けないときには動けない。
努力できないときにはできない。
そんなときは、きっと誰にだってある。
休んだほうが良いとき、休まないといけないときは、きっと誰にだってある。
だからといって、努力できるし努力したいときに「諦めろ」と言うのは違うと思う。
いつかまた休むしかなくなる日が来るのなら、
わたしは努力できるときに努力したい。
自分が見ている自分の努力
これは、走った2日後の深夜から一旦ランニング的な休憩を挟んで書いている。
さすがに一昨日の今日なので左脚の動きもままならなくて、左右の股関節が全力で拒否していたし、
ふくらはぎと太ももに関しては内出血とか足もげそうとかの次元じゃなくて全部の肉がちぎられるような激痛だったけど、
今日もわたしは走った。
今日もわたしは、わたしの意思を貫いた。
自分の思う通りに生きるのが難しいこの世界で、
自分の思い通りには動かない体で、
いつかまた、好きなスポーツができる日を目指して、
わたしの意思で、お粗末な短距離走をしてみせた。
神様だって見逃すような一瞬だろうけど。
でもわたしは、わたしの努力をちゃんと見ていた。
誰も見てなくても努力するわたしを、わたしはちゃんと見ていた。
以前Twitterの質問箱へ「努力って報われるとは限らないですよね?」と届いたことがある。
わたしはそれに「それでもやってみないとわからないのが努力だ」と返した。
今なら追加して「報われる前に諦めたくなるのも努力だ」と答えると思う。
走った記録はわたしの意思であり、意地であり、夢への第一歩。
あとたぶん、わたしなりの闘病生活でもある。
わたしがわたしとして生きていく物語の途中。
だからわたしは、走り続ける。
いつか終わる、その日まで。
そう書いた日からなかなか公開できず約2週間ほど経った今、現実の世知辛さを思い知らされている。
【2022年3月14日通院記録】「これ以上の減薬はできない」宣告
走れたのは上に書いた2日のみ。
それ以外は、家族が「生きてる?」って心配するほど寝込んでばかりいる。
捻挫も治っておらず、歩くリハビリは本当にできていない。
それどころか筋トレすらまともにできない。
全身不随から復帰して以降、入院中でも密かに継続してきた腹筋。
最近は腹筋の筋トレをすると右側腹筋が痙攣して呼吸困難になり、救急車寸前の日々を毎日送っている。
救急車を呼んでいない理由も「呼んだところで為す術もないから」って残念極まりない理由。
今日は明け方にベランダに出られた。
そんな些細なことを、とても喜ぶ状況。
左目や左脚の痙攣も伝えていないし伝え忘れたのに、腹筋の痙攣を伝えた時点で、

処方を前に戻そう(痙攣止めを1種類半分にしたけど、それをやめよう)
と言われてしまった。
「さすがに今回はテグレトール(主治医が戻そうとしているやつ)じゃなくてランドセンかプレドニゾロン減らそうかなぁ」と、効くとわかっている痙攣止めではなく他の薬を減らそうと思っていたわたしとは相容れない。
堂々めぐりする会話。

僕は減薬に反対しなかったけど、それはあくまで悪化しない範囲での話であって、悪化してるなら僕は反対するからね。
主治医は、医師として当然のことを言っている。
痙攣で毎晩呼吸停止してるのに減薬したいっていうわたしの方が、ドMなのかなって思うくらい。
伝え忘れたけど痛みだって増してる。
毎秒、毎コンマ何秒、泣き喚きたいくらい痛い。
泣き喚いたって足りないくらい痛い。
「痛い」って表現はもう適してないんじゃないかなっていうくらい、痛い。
痛いって言ってもなんの解決にもならないし、痛いときに痛いって言うなら「痛い痛い痛い痛い痛い……」で喉も声もカラカラガラガラになるから言わないだけで、とにかく痛い。
なのに薬を減らしたいってわたしの方が、世間一般的に絶対おかしい。
それはわかる。

僕らだって、1人で生きていけるわけじゃないんだよ。誰かとか何かとかに頼って生きてるんだ。
それが君の場合は薬ってだけで、薬は悪いものじゃないからね?
めちゃくちゃ心に響くんだけれど、薬が悪いものとは思っていなくて。
むしろ必要な人には必要だと思ってる。
でもわたしは、もうちょっと自分の力で頑張ってみたい。
たぶんもうちょっと、自分でなんとかできると思う。
今は一時的に悪化してるけど、慣れればきっと耐えられるし、回復だってできると思う。

ランドセン(別の痙攣止め)減らせませんか?

ならテグレトール(半分にした痙攣止め)戻すよ?

うう……

じゃあテグレトール戻すからね。

あ、それは余りがあるんで大丈夫です。
退院時処方などで重複し余っていた分があるので、元に戻さなくても足りる量は持っている。
ただ先生は終始渋い顔。

飲む飲まないはお家でのことだから見れないけどね、次のとき「余り飲みました」って言ってくれるのを待ってるからね。
きついときだけでも飲んでね。
念押しがすごかった。
今のところ、啖呵を切った風な手前「余りは飲んでいません」と言いたいところだけど、飲んでる。
夜だけだった腹筋の痙攣が昼間にも侵食してきて、さすがに耐えられなかった。
ただきついときに飲むと、めまいと吐き気に倒れて気がついたら半日経っていた…現実はきつい。
元の処方でもどうやら追いつかないらしい。
これが怖くて飲みたくなかったのに。
テグレトール4錠&ランドセン8錠というのが、以前増やして減らしてを繰り返しながら探ったちょうどいい痙攣止めの量だった。
今の処方はテグレトール2錠&ランドセン6錠。
症状が悪化するのは、予想はしていませんが覚悟のうち。

「病は気から」は信じてないけど藁にもすがりたいので、最近は「気だけでも元気に」主義に転向してみた。
予想すると現実になりそうでなんかやだし、予想はしてない(ことにした)
最近はランドセンが効かないようで、そんなときにテグレトール4錠で効かないとなるとまたテグレトールが増えてしまう。
やだなー。
飲むのめんどくさいなー。
最近の減薬を続けている理由、
- 子供が欲しいから
- 飲むのがめんどくさいから
めっちゃめんどい。
薬が悪だとかじゃなくて、めんどい。
だったら薬の要らない体を作ろうか。
毎日薬を飲む努力が必要ない方向へ努力したい。
細かいことを語るともっとある気もするけれど、単純な話だけをするなら「この程度自分でなんとかしてみせるぜ!」って気合いが1番の処方を戻したくない理由かもしれない。
きっとわたしなら、息が止まろうが何時間も痙攣が続こうが1日に何十回と痙攣しようが、生きていけるし回復できる。
わたしの未来への望みと願掛けみたいな、変な意地。

わざわざ痛くて苦しい方を選ぶ気持ちは、僕にはわからないけどね?
ですよねーって笑うしかないくらいにわたしは頑固で、楽観的なのかもしれない。
頑固な割にはあっさり薬を使ったけど、まあこの結果も次回報告しようと思う。
「テグレトール4錠では効かない」
いやだなー。
でも先生に嘘はつきたくないし、正直に話すんだろうなー。
次は精神神経科もあるので、そっちでもお薬の相談できるのがありがたいです。
以上、2022年3月14日の通院記録を終えます。
努力でなんとかできないこともある。
努力はほどほどに。
上の「超頑張って走るぜ」の内容と矛盾するけれど、
努力できるときに努力しておかないと、たぶん後悔する
努力できないときは絶対に来るから
2022年3月16日の心境としてはこんな感じかな。
みなさま無理は禁物で。
あー、バレーボールしたい。