みなさまこんばんは、お加減はいかがでしょうか。
わたしの方は、昨日書き忘れた両脚の激しい痙攣の名残で両脚とも痺れMAX、しかも朝から歩き出しすぐに痙攣して倒れ込むという個人的大事件でしたが、誰にも見つからず終わりました。
歩けないということ
退院、授業に間に合わなかったなぁとか
またここ、「トイレ自力で行きたいよね」から始まって
「毎朝パンを焼きにトースターまで行く」のが目標になるのか
とか色々思いました。
しかも今日はリハの先生が来る、とのことで、朝からブルー。
と思っていたら、まさかの白い巨塔(教授回診)が真っ先にあり、それはもう大勢の方に見守られながら(笑)、主治医の先生との面会を果たせました(^^♪
ただ今日の体調はすこぶる悪く、朝から手脚は痺れてほとんど動かず、
お茶を汲みに、トイレに、と移動する度に右脚は痙攣、左脚は脱力し、
かろうじてその辺りにあるものにもたれかかって転倒を防ぐ、という状況で…
先生からは
とのお言葉をいただき
との会話から、憂鬱だったリハの先生との面会も消え、少し気分は上向きに(*^^)v
昨日は入院記録を書いてからなぜか激鬱になり、恋人との電話もぶち切って泣きじゃくり…という始末で。
鬱の本質は?
さて本題ですが(?)
わたしはどうも
にかかっているようです。
そしてそのために動き回って体を壊し、現在の麻痺のある身になりましたが、その「病気」は
によってさらに悪化しているような気がします。というか、そうです。
ナニカしないと。
動けるうちに。
ナニカしないと。
だから、勉強も、リハビリも、動画も、記録も。
以前、自己肯定感を養うことで希死念慮がなくなるといったことをツイートで見てから、「どうしたら自己肯定感を養えるのだろう」と考えていましたが
切実に、そう思うんですよね。
だから、
死にたいという気持ちも
生きている資格がないという気持ちも
わたしはとても、激鬱時には共感しますし、
と元気なときには伝えていますが
恐らく鬱になりやすい人はかなり自分を追い込んだ人で
そして追い込まれて作業があるのに慣れているからこそ
と思ってしまうのではないでしょうか?
激鬱を抜けて無感情期を迎えたわたしは、今はそう思います。
みなさま、おやすみなさい。
良い睡眠、良い夢を(^^♪