はじめに
このページでは、わたしの死生観について述べていきます。
何度も死にかけた人間として、また、死への衝動を堪えながら日々を生きる人間として、そして訪れる死を受け入れて今を生きる人間として綴ります。
わたしの死生観
わたしは、わたし自身の中に対して生きる希望を見出だすというよりは、
自分を大切にしてくれる人、自分が大切にしたいと思う人に出逢えること
その人たちの力になれること
に希望を見出だします。たとえそれがどんなに些細なことだったとしても。
ただ、その人たちの力になれること、と言っても、献身に希望を見出すというわけではありません。
献身すること自体というよりも、
献身によって、自分が大切にしたいと思う人に、自分が大切にされることを願っている
のだと思います。
「自分が大切にしたい人」が「自分を大切にしてくれる」とは限らない。
だからこそ、
そういう人に出会えたら幸せ
だと思うし、
出会えることを願う気持ち自体が、人生の最後の希望
と考えます。
やはり死へ向かうときの気持ちは穏やかではなくて、それを鎮められるものは、人として生きる限りは、最後にすがるものってやっぱり
人と人との関わり
だと思います。
ただそれは、信頼できる人が傍にいることが希望となる、という意味ではなくて、
穏やかな日々、楽しかった思い出、傍にいてくれた人、そうした記憶の中での繋がりで良いと思うんです。
例えば、わたしはまだ大切な人に先立たれてはいませんが、もしそうなったとしても、記憶の中で、心の中で繋がっていればいい、という感じです。
だから、死を迎えるそのときに、自分の大切な人が傍にいなくても良くて、
今までに築き上げた人との関係性に満足できたときに、人は穏やかな気持ちで死を受け入れられる
のではないかと、わたしは考えます。
つたない考察ですが、ご覧くださりありがとうございます。