木村花さんの死を受け、Twitterでは「SNS上の誹謗中傷が法に基づいて裁かれることを望みます」というハッシュタグが誕生しました。
今までの法律改正タグ
今まで「誹謗中傷」や「いじめ」などのハッシュタグは存在しましたが、これをあえて「法に基づいて裁かれることを」という「法律改正」を望む文章を入れ込んだハッシュタグはTwitter史上初です。
…と言いたいところですが、違います。
調べていないので誰が最初かはわかりませんが、少なくともわたしは数年前、今と同じIDのアカウントで「現代のいじめは犯罪」「少年法改正を望みます」といったタグを作り、いじめの主犯とのダイレクトメッセージを動画にした上で「拡散希望」としました。
今回起きている木村花さんの誹謗中傷に耐えかねての死を受けての「ネット上での誹謗中傷が法で裁かれるように」という運動は、著名人が始めたから賛同者によって広まっているに過ぎません。
わたしが行ったときには、予想外にも「かつていじめを受けていたと主張する人物ら」によって
- 自分の受けたいじめで法改正を望むなんておこがましい
- この程度なら自分の受けたいじめの方が酷い
などと拡散を止められました。
いじめの内容は以下の本の中にも記してありますが、相当酷いものです。
当時のわたしのフォロワー数は2500ほどでした。
今回法改正を望むツイートをされているのは、最低でもフォロワー数1万を超えている方々が中心です。
そして有名人が実際に亡くなりました。
これが1番要因として大きいでしょう。
それが遅いのだと、常々言ってきた身としては腹立たしい限りです。
健康なうちは健康の素晴らしさに気がつかない。
だからわたしは「健康ってすごいよ、歩けるって当たり前じゃないよ」と言ってきました。
単純に話すうちだけでは言葉の大切さに気づかない。
だからわたしは「言葉って凶器になるんだよ、言葉ひとつで人を殺せるんだよ」と精神崩壊からやっと立ち直ろうとしている身で伝えてきました。
なのに、やっぱり誰かが死なないと気がつかないんですね。
関係ないんですね。
馬鹿なんですかね。
ネットと法律
現実での誹謗中傷は名誉毀損などで訴える手段もありますが、ネットでの誹謗中傷は匿名で行われるため特定が難しく罪にも問えないといわれています。
日本のIT系管理の大臣も「パソコンを触ったことがない」と発言し国内外を騒然とさせましたが、それゆえかネットに関する法律はゆるゆるです。
ただ脅迫文をメールで送りつければ捕まるように、IPアドレスを特定したりすれば個人を特定することはできます。
法改正へ
そこへ起きたのが今回の「誹謗中傷による有名人の自死」つまり「ネットによる殺人教唆」「言葉による殺人」です。
これまでいくらネットの書き込みで「死ね」などの酷いものがあっても、それを「流してこそ一人前」という空気がありましたし、現在もあります。
しかし、なぜ誹謗中傷がある前提でSNSをしなければならないのでしょうか。
わたしもフォロワー数が増えるにつれ、ストーカーじみた「ツイートひとつひとつに悪口の返信or引用リツイート」が増えましたが、有名人だとわたしの比ではない数を受け取られていることでしょう。
それを勘違いして、誹謗中傷された側の自己責任にするのは確実に間違っています。
悩んでいる人間に「死ね」と言うことは、死への最後のひと押し。
自殺教唆です。
そして消えた命は自殺によるものではありません。
殺人によるものです。
希死念慮と誹謗中傷
わたしはよく「うつ病などの症状にある希死念慮(理由もなく死にたいと考えてしまう症状)で死にたいときに『死ね』と言う余計なお世話の返信を送る人間は自殺教唆で捕まってほしい」と言いますが、
今回の件も根底にあるものは同じ、
だと考えています。
日本には「私刑」という言葉があります。
これは「自分の気持ちの整理のために」と誰かを罰することで、日本人はこれをとても身勝手な行動と考えて嫌う傾向が強いようです。
その代わり勧善懲悪は好きなようで、「誰かのために」誰かを傷つけることは厭いません。
ただこの勧善懲悪は、水戸黄門様のように圧倒的身分があり常に正義だと決まっているお方か、鼠小僧のように悪者だけど庶民の味方のような悪に身を堕とす覚悟のある方のお話です。
すると残る選択肢は、誰かを傷つけた誰かに法的罪を問う、ただその一点になるわけです。
今回の「#SNS上の誹謗中傷が法に基づいて裁かれることを望みます」はそうした気持ちの表れだと考えて良いでしょう。
発端となった事件を知らなかったわたしですが、常々闘病仲間さんに「死ね」とメッセージを送る嫌な人間へ苛立っていたのでこの運動に便乗して法改正へと働きかけたいと思います。
感情に任せて一気に書いたものなので少し変なところもあるかもしれませんが、ご覧くださってありがとうございます。
ぜひ「ネット上での悪意とその裁き方」についてご一考願えますと幸いです。