これは、わたしが急性期に左手以外動かず、車椅子で入院生活を送っていた頃の話です。
その頃のわたしは、
以前Twitterでも呟いたことがありますが、
306は難病部屋
それでもみんなが笑っていた。
未来なんてないですよ、と笑っていた。
それでも、みんな今を生きていたんですよ。
先のことはわからない。
それでも、それだからこそ笑うしかなくて、みんな笑っていました。
そのとき、部屋で1番重い(というのも変ですが)希少難病で、左手以外動かないという1番症状の重いのがわたしで、
そして車椅子を乗りこなして、PCやスマホで遠隔で授業を受け、リハビリも諦めずにずっと笑っていたのがわたしでした。
そこで出会ったのが、VIPの入院患者さんのおばあさんでした。
そしてその方は、息子がすぐ近くのiPS研究の偉い人だから、この大学病院で治せない病気はないと本気で信じている方でした。
その方にわたしは気に入ってもらえたらしく、
と会うたびに励ましていただきました。
それが苦痛になったのは、ある日
と言われた日でした。
わたしは効く薬がないのに、この人は効きすぎて、たった1日の苦しみで、重病人を名乗るんだ。
別に重病人を名乗るのは自由だし、それはその人にとって物凄くつらかったのだと思いますが、
不安やショックを必死に押し殺していたわたしにとっては、それは簡単に心を砕くひと言でした。
そして決め手は転院前最後の日、
談話室で脳神経内科の患者で集まって雑談をしていたときのことでした。
全員の自己紹介、病名、症状、入院した経緯を話すと、やっぱりわたしだけが希少難病で、
言われました。けど、
難病宣告された上に、
数少ない薬も使えない体質だと言われて、
毎日凄まじい痙攣に襲われて、
自分の脚で立ち上がろうとしただけで痙攣が何時間も続く
「治らないけど、頑張るしかない」
そうみんなと話していたところにおばあさんは現れて、
「治る治る!この病院に入院してるんだから、治る!」
と言いました。話をしていたみんなは「いやこの子…」と反論しかけてくれましたが、おばあさんは聞かず、外出のため去っていきました。
後から他の方づてに聞きましたが、
笑っていると、軽症に見えるそうです。
わたしは重病人アピールをしたいわけではありませんが、絶対に軽症ではないので、
こうして笑って、めちゃくちゃになった心をごまかすことが軽症に見えると知って、とてもつらかったです。
以上、今だから話せる入院つらかった話でした。