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VIP患者さんの大学病院崇拝(入院事件簿vol.6)

闘病記録(入院記録)
わたしの苦しみや痛みを理解して、とは思わない。
それでも、笑顔だから軽症だとは、思わないでほしい。

これは、わたしが急性期に左手以外動かず、車椅子で入院生活を送っていた頃の話です。

その頃のわたしは、

自分が難病だということは理解し、
疾患特性については誰よりもよく理解し、
自分が薬の効かない体質だということにショックを受け、
また学校の試験の受験資格を拒否されたことに対して嘆いて、
夜は痙攣の痛みとショックの大きさで泣いてばかりいましたが、
昼間は泣いたってしょうがないから、ずっと笑っていました。

以前Twitterでも呟いたことがありますが、

306は難病部屋

それでもみんなが笑っていた。

未来なんてないですよ、と笑っていた。

それでも、みんな今を生きていたんですよ。

先のことはわからない。

それでも、それだからこそ笑うしかなくて、みんな笑っていました。

そのとき、部屋で1番重い(というのも変ですが)希少難病で、左手以外動かないという1番症状の重いのがわたしで、

そして車椅子を乗りこなして、PCやスマホで遠隔で授業を受け、リハビリも諦めずにずっと笑っていたのがわたしでした。

そこで出会ったのが、VIPの入院患者さんのおばあさんでした。

その方がVIPだというのは、本人も言っていましたし、口腔外科医の扱いも違ったので、同じ病棟のみんなは周知だったと思います。

そしてその方は、息子がすぐ近くのiPS研究の偉い人だから、この大学病院で治せない病気はないと本気で信じている方でした。

その方にわたしは気に入ってもらえたらしく、

孫にほしかった
いつも笑顔で素敵ね

と会うたびに励ましていただきました。

それが苦痛になったのは、ある日

薬が効きすぎて、重病人になった

と言われた日でした。

わたしは効く薬がないのに、この人は効きすぎて、たった1日の苦しみで、重病人を名乗るんだ。

別に重病人を名乗るのは自由だし、それはその人にとって物凄くつらかったのだと思いますが、

不安やショックを必死に押し殺していたわたしにとっては、それは簡単に心を砕くひと言でした。

そして決め手は転院前最後の日、

談話室で脳神経内科の患者で集まって雑談をしていたときのことでした。

全員の自己紹介、病名、症状、入院した経緯を話すと、やっぱりわたしだけが希少難病で、

「なんでそんなに笑っていられるの?」

言われました。けど、

笑うしかないじゃないですか。

難病宣告された上に、

数少ない薬も使えない体質だと言われて、

毎日凄まじい痙攣に襲われて、

自分の脚で立ち上がろうとしただけで痙攣が何時間も続く

笑うしか、できないんですよ。
心が折れないようにじゃなくて、
とっくに折れていたのを隠すために。

「治らないけど、頑張るしかない」

そうみんなと話していたところにおばあさんは現れて、

「治る治る!この病院に入院してるんだから、治る!」

と言いました。話をしていたみんなは「いやこの子…」と反論しかけてくれましたが、おばあさんは聞かず、外出のため去っていきました。

後から他の方づてに聞きましたが、

笑っていると、軽症に見えるそうです。

わたしは重病人アピールをしたいわけではありませんが、絶対に軽症ではないので、

こうして笑って、めちゃくちゃになった心をごまかすことが軽症に見えると知って、とてもつらかったです。

笑っているのは、軽症の証でも、治る希望をもっているわけでもありません。
他にできることがないから、せめてと思って笑っていることもあるんです。

以上、今だから話せる入院つらかった話でした。

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まぁるいせかい管理人
haruka(はるか)

自称小説家の漫画家志望。仕事はライターとカウンセラー。
多発性硬化症、うつ病、WPW症候群、スティッフパーソン症候群疑いなど100万分の1レベルの希少難病を併発した23歳女子。京大医学部中退。
今の夢はエンジニアとお嫁さんと「人間として生きること」
「君の絶望は僕が背負った!」が決めゼリフ。

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