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声をかけてはいけない人がいる/相次ぐ誹謗中傷より考察

考察
この記事は約5分で読めます。

はじめに

最近、色々な方から批判中傷が殺到し、精神的にかなり追い詰められたので、そのストレスを感じる自分の心理への自己分析より綴ります。

テーマ:わたしの考えるわたしについて。あと決意表明。

本文

たとえばわたしは、自分に対する反対意見や、誹謗中傷があったときに、まずはその人を理解しようと努めるわけです。

そして、温かい言葉なりなんなりで、その人の心が少しでも和らぐのかを考えるわけです。

しかしながら、そういう言葉に反発のある例があり

またそういった言葉をかける行為自体がその人にとって有害行為となることもあるわけです。

たとえばわたしが遭遇した例で言えば(キリがないけれど)

ネット上では、

  • わたしは「見下していない」と言うのに「見下している!」と主張する、被害妄想の大変強い方
この方には散々色々言われたので、多少の言葉遣いの悪さをお許しください。
  • Twitter上で、「リプするタイミングを読め」と言ってくる方
  • 反対意見をもつわたしを「常識外の異常者」として、または「卑怯者」として平気で罵る方
  • 「いいねもらって満足か?」と僻んでくる方
  • 「治らない病気、誰にも救ってもらえない存在がいることを忘れるな」とリプを飛ばしてくる方
ちなみにわたし自身難病で薬やステロイドの効かない特異体質ですので、そういったことは重々承知でございます。
ただ「救ってもらえない」とか、どんだけ他力本願やねんとは思いましたが。
元々かなりストイックで体育会系なので、すみませんm(__)m

またリアルでは、

  • 自転車でわたしにぶつかってきておいて「前を見ろ」と怒鳴り散らす方
  • ハンバーガーを食べながらの傘さし自転車運転でよろけてきた人を避けたら、「お前が避けるから俺がぶつかりそうになった」と怒鳴り散らしてくる方

けっこう世の中理不尽で、闘病しながら、少しでも誰かの役に立てればと活動するには、かなりストレスフルです。

ネット上はブロックできますが、現実はそうともいきませんし。

ただそうした中で考えたのは、

言葉をかける行為が救いとなる人をどうやって見極めるか
つまりは、
言葉をかけてはいけない人をどうやって見極めるか

です。

そして気がついたのは、

わたしに誹謗中傷その他的外れな応答を示す方には2種類いらっしゃる

ということです。

まあ人様をこうしてタイプ分けする自分も何様なんだとは思いますが、血液型占いみたいなものだと思ってくだされば(;^_^A

声をかけないようにしようと思った人

まず1パターン目が、「言いたいだけ」タイプです。

日頃の鬱憤を晴らすため、
あるいは過去に壮絶な体験をして傷ついたため、
あるいは成功体験しかないため、

など、個人の背景は様々ですが、とりあえず自分の思いを誰かに言いたいだけパターンです。どちらかといえば年配の方に多いですね。

そして2パターン目が、「何も考えていない」タイプです。

これは周囲に便乗して、よく調べもせず、ひたすら悪口に乗っかって、しかもそれが正しいと信じ込んでいるので、非常に質が悪いです。どちらかといえば中高生に多いかと思いますが、「思考停止」という状態は、多くの成人でも見られるかと思います。

ただどちらも共通して言えることがあって、それが、

自分の人生経験だけを元にして語り、それが全てで正しいと思っている

ということなんですよね。

自分はこういう経験をしたからこれが正しい、とか、自分はこういう経験をしたからこれは間違っている、とか

正誤判定を自分の体験に委ねるわけです。

自分の体験をもとに語るのが悪い

と言っているのではなく、

自分の体験をもとに相手の意見を排除するのが問題だ

と言っています。

ただこれもわたしの意見なので、絶対正しいとは言っていません。

わたし自身、この歳の割には家庭環境いじめ自殺未遂警察沙汰難病に、何度も死にかけたり、異様な苦痛を味わっているので、同年代よりは人生経験も豊かだろうとは思っています。

でもね、

「こんな経験をしたから教えてやろう」

という姿勢は、同調勢力の中では優位でも、反対意見が出たときに、それを潰すしか自己の優位性を保つ手段がないんですよ。

わたしは、それはとても悲しいことだと思います。

人の数だけ感じ方があって良いんじゃない?
人の数だけ考え方があって良いんじゃない?

何が正しいとか誤りとかじゃなく

その人はそう考える。わたしはこう考える。
一致しないね。それもありだね。

で良いと思うんです。

自分が経験したから教えてやろう、という姿勢は、あまりにも傲慢だと思います。

わたしは自分の経験をこうしてサイト掲載という形で綴っていますので、傲慢で1パターン目の人間なのでしょう。

それでもわたしがそういう上記の方たちとは違うと言いたいところは、これはあくまでも「参考程度」であり、これが全てとも考えていません。

みんな違って当たり前、参考になれば嬉しいし、誰かが待ってくださる限り書き続けます。
ただし、ストレスに弱いのであまりに酷い言われようをすればシャットアウトしてしまいます

これがわたしのスタンスです。

最近妙に変な絡まれ方をすることが増えたな、と思ったので書きました。

わたしはこういう考え方をする。

だから反対意見にも、少なくとも一度は耳を傾ける。

そして上記2パターンに当てはまった場合は会話が成立しないので諦める。

という感じです。

昨日病院の待ち時間に、仏教の歴史の朗読を聞いていたのですが、(そしてわたしは仏教徒ではないし大部分は聞き流しですが)

歴史的文献に残るような人は、登り詰めても満足せず、自分の知らないことがまだあるかもしれないと修行に出る

んですよね。

わたしは文献に残るような人になりたいとも思わないし、勿論修行に興味はないし、どちらかと言えば穏やかな引きこもり生活を送りたいという感じなのですがf(^^;

それでも、

自分の人生経験で満足せず、常に学び続ける謙虚さは大切にしたい

と思いました。

以上が、昨日1日を通して考えたことです。

こうして考えるきっかけをくださった方にはとても感謝していますし、

この感謝は忘れずに、謙虚でいたいと思った自分を忘れずに、

これからも「心がけた発信」をしていこうと思います。

拙長文でしたが、ここまで読んでくださってありがとうございました。

もしご気分を害されないようでしたら、これからも宜しくお願い致します。

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