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【あなたはどこまで許容する?】書くことと誤字脱字の指摘について

人間関係

作家と名乗るにはおこがましい分際でも一応書くことを仕事にしていると、誤字脱字に出会う。

書いていても、読んでいても。

 

「誤字脱字チェック」を頼まれているときには、(辞書をひいたうえで)容赦なく指摘する。

でもわたし自身が頼まれてもいないのに積極的に指摘することは、ほぼない。

 

ただ最近は小説投稿サイトに「誤字脱字報告機能」も搭載される時代。

それに以前から「コメント欄」での指摘もあった。

自分の誤字脱字を擁護するわけではないけれど、そうした「読者による誤字脱字チェック」について「校正士」として思うことがあったので、せっかくだから話してみたいと思う。

 

校正士としての原則:原稿を尊重せよ

校正士の試験を受けるうえで、まず最初に叩き込まれるのが

原稿の尊重

だ。

自分が「間違いだ」と思っても、それは筆者の「わざと」である可能性がある。

だから、

身の程をわきまえて、極端な漢字間違いや史実不合致は指摘しても、それ以外は指摘するな。

おまえが出しゃばるな。

と、けっこう割と散々に言われる。

 

お前の知識が正しいと思うな

お前の感性がすべてと思うな

という意味だ。

わたしも校正士の資格を取る過程で「添削のし過ぎ」「原稿を尊重しろ」と指摘されたことは多々ある。

 

誤字脱字を指摘してもいい場合

わたしはたまにSEOライティングを教える、教師というほどでもないけどそんな感じのことをやっている。

SEOライティングのときは、検索に関わるような「使わなければならないワード」がはっきりしている。

「使っては検索順位が落ちやすいワード」もある程度は決まっている。

それはツールを使ったりGoogleの規約を読めばわかる。

そういう

「与えられた仕事をこなせていませんよ」

「あんまりそういう表現しないでもらえます?」

みたいなときは指摘してもいいと思う。

具体的には、自分が組織のいわゆる上層部にいて、文章を書いている相手を管理している場合だ。

こういうときの指摘は

忠告:ルールを守ってください

助言:こうしたほうがスキルアップしますよ

の意味がこもっていて、自分のためであり相手のためでもあると思うし、

「書き方を教えてください!」とお願いされた立場なら、(相手のために)指摘する義務すらあると思う。

 

誤字脱字を指摘するのはどうかな?と思うとき

わたし自身は文章を書く身でありながら読むときのほうが多いので、指摘されるよりも指摘されている人を見る機会のほうが多い。

ただそれを「なんだかな~」と感じたのが、今回このページを書くにいたったきっかけだ。

明らかな誤字でも筆者が直さないならいいんじゃない?

たとえば「意外に」を「以外に」と書いていることがある。

文章を読めば明らかに誤字、変換ミスだとわかるときがある。

ただそこで読者が「意外←以外」みたいなコメントをしていると、わたしはいち他の読者として

「ニュアンスでわかるんだし別にいいじゃん?」

と感じる。

「どうせネットだし、修正したいときに筆者がするでしょ」

というノリだ。

そもそもそこまで気にしていたらネット小説など読めない。

プロの書いた活版でもたまに誤字はあるのに、素人の書いているネット小説にそこまで完璧を求めていたら

「もうおまえ読むのやめろよ」

となるし、たぶんそのほうが早い。

そのくらい、細かく指摘しようと永遠に思えばできてしまうくらいに、「正しい日本語」はルールだらけだ。

明らかに読者の読み込み不足な場合がある

たとえば「やめろ」を「やめれ」と書いてあったとする。

日本語としては間違っているのだとわかる。

しかし親しい誰かと話しているときにふざけて「やめれ」と言うことはないだろうか?

 

わたし自身は、あまりない。

そもそも「やめろ」と言わないから「やめれ」も言わない。

けれど小説に出てくるそのキャラクターは言うかもしれない。

筆者の「わざと」かもしれない。

 

日本語には「同じ読み」が多い。

これが誤字脱字のもとになるのだけれど、オヤジギャグのネタやミステリーのタネにもなる。

(今「ネタ」と「タネ」をかけてみた)

こうやって音で遊べるのが日本語だともいえる。

 

そんな筆者の遊び心を理解せずに「自分は言わないし間違っているだろう」とただ指摘したら、それは「誤字脱字チェック」ではなく「ただの原稿の踏み荒らし」だ。

校正で「原稿を尊重しろ!」と1番怒られるパターンだ。

読み込み不足で指摘しても、指摘した側はドヤ顔になれるかもしれないが、された側は「ちゃんと文章を読め」「読まないなら読むな」の感想しか出ないだろう。

誤字の指摘を不快に感じる人は書かなくなる

仕事として書いているライターさんすら誤字を指摘したら辞めていく時代だ。

趣味として書いている人に誤字脱字なしのクオリティを求めたら、作者自身が楽しくなくなってしまう。

書くことが楽しくなくなって書かなくなれば困るのは続きを楽しみにしている読者なのに、わざわざ相手と自分の首を同時に絞めなくても…と読者としてのわたしは思うし、

校正士としては「もう少し原稿に真摯に向き合う謙虚さがないと誤字脱字の指摘はあんまりしないんだよ…」と小声で言いたくなる。

 

「小声で」というのも「誤字脱字の指摘も一応ひと様の書いた文章だしなあ…」と思っているからだけど、

その作者のファンで全力でその作者を応援したいときなんかの本心としては「お前のほうが間違いだろ、読むならちゃんと読め」くらいは言いたくなる。

 

それでも誤字がどうしても許せない場合もある

「軽率に注意するのはどうかな?」と言っても、わたしにも誤字が許せないことはある。

それが「法律」「資格」「勉強」に関わるときだ。

先日資格試験を受けたのだけれど、試験勉強をしているときに法律や条文の漢字が間違っていてブチギレそうになった。

「支援」を「支媛」はまだわかるとして、

「児童」を「児里」と書いてあったときには、

「これ法律の引用のくせに間違えんなよ…」と思った。

「引用」は一字一句、句読点の位置や漢字表示もすべて変えてはならないというルールがあります

活版印刷だから起こるミスだろうけど、「試験の合否を左右するものがこれではちょっとなあ」と、その出版社全体が頼りなく思えた。

 

紙の小説でも良いシーンで誤字脱字を見つけるとちょっと気分が沈むけれど、怒るまではいかない。

ちょっと気分は沈むけど(大事なことなので2回)

 

出版社の人も印刷所の人も人間だしミスがあるのはわかる。

ただ、ミスを全力で防ぐのが君たちの仕事じゃないのかい?

と思うし、赤本の答えが間違っていたときなんかは

これで受験勉強する子たちが大勢いるんだよ?

これでもし落ちたら君たちは責任を取れるのかい?

と思ったし、なんなら今でも思っている。

 

総括:実害のない誤字脱字は指摘不要じゃないか?

たぶんわたしが1番「じゃあ読むな」の類の人間だ。

でも本当に指摘しようと思えば指摘足りないくらいに間違いにあふれていても、そこから何か(楽しみとか)を得ているならある程度は許容していいと思う。

 

ちなみに序盤の

それはツールを使ったりGoogleの規約を読めばわかる。

これは日本語的に間違いだ。

「~たり」は2つ以上のものを並列するときに「~たり~たり」の形で使わなければならない。

→それはツールを使ったりGoogleの規約を読んだりすればわかる。

これが正しい。

だけど長いから省略した……みたいなことは尽きないし、

さらにいうなら、ネットのライティングで「間違い」を漢字表記することは好ましくない。

SEOには響かないけれど、字を小さくするとつぶれてしまうような、画数の多い文字はひらがな表記が好ましい。

(「好ましい」も読み始めだと「好き」か「好み」かがわからないので「このましい」とのひらがな表記が好ましい)

とか、日本語のルールにネット表記のルールを加えると、本当にがんじがらめで何も書けなくなってしまう。

(今の「何も」もひらがな表記が好ましい)

「やってらんねー」ってなる。

このページだって「口語なら口語にして、『しかし』などの文語を混ぜて使うな!」と、ネットライティングなら指導が入る。

 

だからもう「ネットで趣味でやってるならそれでいいんじゃない?」とわたしは思う。

「仕事としてやってるならもうちょいがんばって!」とも思う。

 

どこまで許容できて何が許容できないかは人によりけりだと思うけれど、もし誤字脱字のすべてにチェックを入れるのなら相当な労力が必要だし、

自分が間違っているときもあるから気をつけてねと忠告して終わろうと思う。

けっこう好きなネット作家さんがめちゃくちゃ「誤字の誤指摘」されていて思った話。

読んでくれた人、ありがとう。

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まぁるいせかい管理人
はるか

考察家。作家。開発者。多発性硬化症+希少難病+先天性心臓奇形などをもつ障害者。病歴や薬歴は多すぎるので管理者情報参照。今までにないものを創るお仕事。京大医学部を病気により中退。ケアストレスカウンセラー、保育士などの資格をもつ。

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