わたしはよく、健康だった頃の夢をみます。
- 走り回る夢
- 大笑いで転がりまわる夢
- 剣道をしている夢…
など、今はできなくなったことばかり
そんな中で最もよくみる夢が、
大学の友人と楽しく授業を受けて雑談している夢
です。
親から虐待されている夢もみる中で、この夢が1番キツイです。
夢での虐待はフィクションだから耐えられますが、
大学はフィクションではないし、楽しかった記憶はまだ鮮明に残っているから。
痙攣、我慢したら行けますか?
右半身と左脚、左手で手すりつかんで引きずっていったら行けますか?
痛み、我慢したら行けますか?
わたし独りが我慢したら、みんなのところへ行けますか?
毎日薬の副作用で眠って、それでも痙攣と痛みで起きて
目覚めて薬を飲んでしばらく経つまでトイレにすら行けなくて
ああ、わたしの身体は本当に薬で動いているんだな
って毎日痛感して
それでも頭は人並みに、たぶん人並みに以上に回るし(一応京大生なんで)
プレドニンでより頭の回転が早く、焦燥感が強くなっているから
ぼくはどうしたらみんなのところに行けるんだろう
って思い悩んで、それでも我慢することしか思いつかなくて
全身が痛くて痛くて痛くて
そんな中で
みんなに会いたい
健康だった頃なら会えたのに
その想いだけが募っていく
現在「愚かな僕たちは~」という短編集を書いています。
これは
病気になってできなくなったこと
を題材にした短編集にするつもりでした。
PCのミスタッチも増えて、ライター業も音声入力を頼る日々
自前のポーカーフェイスで、痛みも苦しみも周りのひとには一切伝わりませんが
最近ようやく、母に痛みが伝わりました。
わたしが
手足を切り落として筋電義手、義足にしたい
と申し出たところ、
「それだけ痛いというのはわかった」と。
切断したい、と言うのはこれで何度目か
わかりませんが、常に痛いというのはわかったそうです。
まあ痛みも痙攣も何も変わりませんが。
自己研究の一環で「中途障害者の障害受容ステージ」というものを考えているのですが、なんとも難しいですね。
書きかけの「受容」段階を経験したのちに、こうして「受容できていない」状態が現れています。
受容段階は今あるステージでは決してないと思う。けれど文章にするのは難しい。
ただやっぱり
健康だった頃に戻りたい
それだけは変わらないような気がする。