診断後のショック
診断後のショックが1番大きいでしょう。
いろんなことに気づいたのは診断後です。
MSという病気の重さに気づいたのも、診断後です。
「当たり前じゃないか」
そう思うでしょうが、授業で慣れ親しんだ病気だからこそ事の重大さがわかっていなかったのです。
勉強し続けた
わたしは、診断されて3週間後に控えていた秘書検定の勉強を空き時間に続けていました。
漢検1級の勉強は、字が書けないので断念しましたが、1か月後のTOEFLの勉強も続けていました。
入院した日から2週間はテスト週間だったので、教科の勉強もしていました。
いつでも外に出てテストが受けられるように
テストの日には病院を出られると信じていました。
馬鹿だなあと、2年半経った今ならわかります。
この病気は熱にとても弱いのです。
少しでも体温が上がれば、発症や再発時には脱力して何もできなくなります。
わたしの場合は目すら見えなくなります。
そして現在、何度も再発を繰り返し首から下に麻痺を抱えた身では、汗をかくことすら困難で、自分で体温管理することが非常に難しくなっています。
わたしが試験の受験資格を剥奪されたのは、こうしたわたしの意気込みに対する教授たちの思いやりがありました。
もちろん同級生と一緒に進級したかったわたしはその思いを受け容れられなくて、
- この先生はレポートでも良いって言ってくれてる
- この先生は病院でテストしても良いって言ってくれてる
と掛け合ったのですが、駄目でした。
遊べない自分
「ああ、もう、戻れないんだ」
それを思い知ったのは、診断2週間後に上げられたインスタの投稿でした。
キラキラ女子大生らしく、Twitterはほとんど触らないもののインスタはしていたわたしは、特別インスタ映えスポットには行かないものの「映える」ものがあれば撮るタイプで
そしてテストが明けた日には、友人数人とホテルのスイーツビュッフェに行く約束をしていました。
その日の夕食は覚えていません。
なんの変哲もない病院食だったと思います。
あの病院のことだから、きゅうりとにんじんとカリフラワーの多い夕食だったことでしょう。
そして眠る時間。
ステロイドを大量に内服+点滴していたわたしは眠ることができず、唯一動くようになった左手でインスタを開きました。
約束していたスイーツビュッフェに、自分抜きで行った写真。
悲しかった。悔しかった。
ベッドの上で、自力で食事もままならず返却してばかりの自分が悔しかった。
食器を握ることすらできず、犬のように皿に顔を突っ込むことでしか物を食べられない自分が悔しかった。
病気になって1番悲しかったことは、笑っちゃうくらい些細なことですが、これです。
自分の居場所がなくなったこと
みんなと一緒に国試に受かって働いて…なんてレールに乗った人生でなくて良いから、いつでも飲みに行けるような仲間がいてほしかった。
あの頃のまま、変わらずにいてほしかった。
卒業式
みんなの卒業式にはコスプレして出てやろうと思っていました。
衣装も準備していました。
わたしは休学中の扱いだったけれど、関係なく、みんなにエールを送りたかった。
呼ばれなかった。
病気だからかもしれない。
ちょうど入院したからかもしれない。
最後にみんなに会えなかったことが悲しかった。
再発した自分が悔しかった。悔しい。憎い。
こんな病気にかかった、自分が憎い。
ネットにて
わたしが自由に活動できるのはネット上です。
現実ではあまりに非力です。
階段を登れなくて、左手で足を持ち上げて運んで、手すりを持って、…を繰り返していたら、左手が筋肉痛になりました。
右手は自由に動かないのに…変なの。
でも、わたしにできることならなんでもやりたいって思う、それは、自分を憎まないための予防線、埋め合わせ、そういったものなのでしょうか。
今のわたしは、ズボンすら痛くてまともに眠れなくて、
偏頭痛を抑えるためにカフェインを摂取しすぎていて、
生理用ナプキンで褥瘡(床ずれ)ができかけていて、
感覚麻痺でそれにも気づけない体を持ち、
薬で常にぼんやりした頭の中で、
いくつもの人格が荒れ狂う、
そんなわたしです。
「障害者になりたい」
そういう意見をもち、わたしに「歩けない状況とつらさ」を語ってきたご老人が最近いらっしゃいました。
深堀りすると長くなるのでここで留めますが、
わたしは、わたし以外のすべての人が、「健常者」と胸を張っていられるような、
そんな世界を、望みます。
ありがとうございました。